桒田三秀税理士

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仁義なき戦い

2020-02-22 06:41:04 | 日記
 お客様と話していて、イントネーションが関西っぽいので

 「大阪出身でしたっけ?」と問うと

 「愛媛です。学生の時、関西にいて、そのまま就職したから」といわれて

 「なるほど」と納得した。

 私は京都に4年、名古屋に4年いたのだが、全然、言葉は治らなかった。

 たぶん、以下に述べることが深く影響しているのであろう。 

 広島ヤクザの抗争を題材にした映画「仁義なき戦い」シリーズが深作欣二監督により

 1973年から1976年にかけて8本製作された。

 私が中学3年から高校3年までの間だ。

 京都の大学へ進学することが決まり、母親から「京都弁ってええよね」って言われた。

 当たり前だが、京都の大学へ通うための下宿生はいろんな地方からの寄せ集めで

 京都生まれで京都弁をしゃべる奴はいなかった。

 私は、ヤクザの本場、広島から来た人間として一目置かれた。

 25人いた下宿生は、

 「じゃけ、どしたんな」←(だからどうしたの)

 「ぶちまわしちゃろうか」←(軽く撫でてさしあげましょうか)

 「おんどりゃー何しょーるんな」←(あのう、何なさっているんですか)

 という広島弁に怯え、卒業する時は長崎出身の奴を除いて

 全員、広島弁の使い手になり、近隣の人から組事務所と間違えられた。

 私の卒業後、その下宿屋は、広島出身の下宿生は受け入れないということになった。

 (注)多少の盛りがあります(笑)

コメント
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