桒田三秀税理士

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400年前はマジごめん

2013-02-17 08:27:24 | 日記
 私の名前は「三秀(みつひで)」。

 明智光秀と、字こそ違え、周りから「みつひで」ということで、「裏切り者」「ずるい」「せこい」「エロい」などと親しまれてきた。

 しかし、織田信長に対して「本能寺で殺して悪かった」という思いはない。

 その信長だが、男子フィギュアスケートの織田信成選手が、信長の子孫であることはよく知られている。

 先祖の信長は「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」と言われるほど短気だったとされるが、織田選手はテレビに出演したとき「鳴かぬなら それでいいじゃん ホトトギス」と詠んだほどユーモアがあり、温厚な人物だ。

 3年前のバンクーバー冬季オリンピックの時、明智光秀の子孫が織田選手に謝ったという。

 400年の時を超え、明智光秀の血筋を引くという横浜市の会社役員で歴史研究家の 明智憲三郎さんが「本能寺の変がなければ、徳川家でなく織田家が天下を取ったかもしれず、道を閉ざしたことは申し訳ない。織田選手にはバン クーバーで天下を取ってほしい」とエールを送ったのである。

 「本能寺ではマジごめん」てな感じか。

 この謝罪とエールにして織田選手が返す代わりに、相模原の公務員、織田信和さんは「過去のことは水に流している。ありがたい」と歓迎したという。

 織田家と明智家に倣い、私の子孫には、生前わたしがしでかした数々の悪事を、相手の子孫に謝ってもらいたいと強く希望する所存でござる。
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