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年をとっても記憶はよくなるって、、、

 最近本当に物忘れがひどい。あんなに綿密に料金計算してJRの「都区内フリー切符」を購入して東京に出かけたのに、「い、いけねーSUICA使っちゃったよ」なんて落ち込むこともある。

 こんな精神状態のとき、本屋で「記憶とは何か」とか「記憶の大脳生理学、もの憶えをよくするために」なんていう本を見つけるとつい買ってしまう。

 最近も池谷裕二著「記憶力を強くする」という本を買った。この本で面白かったのは増殖する神経細胞があるという記述だ。今まで、脳細胞の数は誕生したときが一番多く、年をとるにつれどんどん減っていくものだと聞いていた。そして毎日数万個の神経細胞が死んでいっていると脅かされていたものだ。

 ところが、記憶に重要な働きをする脳の中の組織、海馬の中にある顆粒細胞は増殖する能力があり、頭を使えば使うほど増え、記憶力が増大すると言う。まったくいい話である。

 これに関して、タクシーの運転手の海馬の大きさを測定した結果が出ている。その結果、経験を積んだドライバーほど海馬が大きいということがわかった。地図を記憶し、目的地までの経路を瞬時に計算する能力が海馬を育てるのである。

 これは記憶力が減退し、方向音痴の私にとって二重の福音である。地図を覚え、方向感覚を養い海馬を刺激してみよう、一年後には「青年の記憶力」を回復しているはずだ。

 でもまてよ、このタクシードライバーの話題、どこかで前に聞いたことがある。そういえばエンジェルフィッシュのトピックスも、鏡像文字の話も別のところで読んだことがある。どうもこの本は何かの種本をそのままコピーしているのではないか。

 部屋の棚にある本を調べて、ついにその種本を見つけた。種本の題名は「記憶力を強くする」2006年3月26日購入、、、、、一年前にも同じ本を買っていたということ。最近物忘れがひどくて、、、これでは一年後の「青年の記憶力」もちょっと期待薄かもしれない、、、

Photo: 海馬の写真が無かったので樺、駄洒落だって?えへへ、、、、、

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フランシスコの二人の息子

 「フランシスコの2人の息子」はブラジル音楽界のスーパースター、ゼゼ・ヂ・カマルゴ&ルシアーノの極貧時代から成功までを描いた、ブラジルで歴代興行収入第一位になった、事実に基づいた映画です。

 ブラジル音楽と言えばボサノバを思い浮かべるでしょう。アストラット・ジルベルトならまだしも小野リサとなると子守唄になってしまう。しかしこの映画の彼らの歌はもっと土着なカントリーソングであり、陽気なラテン系の歌が全編に流れています。

 ブラジルの田舎、義理の父から借りた土地で作物を育てているフランシスコ。子供たちにはもっと良い生活をさせたいと、貧困の中でも楽器を買い与えます。しかし、そのために地代を払えなくなった彼らは土地を追い出され、都会へ向かいます。田舎にいたのでは音楽での成功は無いともフランシスコは考えていたのでしょう。

 都会での生活は極貧でこれを助けるため長男のミロズマルと弟のエミヴァルはバスターミナルで歌い始めます。この映画の最大の売りはこの二人の子役です。何しろかわいい。初めてお金を稼いだときの表情の変わりようがこの映画のひとつのハイライトです。

 貧しさからか自信のない目つきをしていた子供だった彼らが、ブラジル各地を巡業しながらしっかりした目をした少年になっていくのが良くわかります。観客は彼らの成長を共に楽しむのです。

 成功をつかむかと思われた彼らでしたが悲劇が訪れます。そして、場面は十数年後に飛び、青年になったミロズマルは挫折を乗り越えて成功をつかみます。

 この映画は題名が「フランシスコの二人の息子」とあるように主人公は父親のフランシスコです。貧しくても将来を見据え、決断を下し、小学校を作らせるなど行動力もあります。ミロズマルの挫折を救ったのも父親の決断力と行動力でした。

 実存のスーパースターの伝記ですから、荒唐無稽ではありませんし、善人しか出てこないようなところがあります。それでも彼らの少年時代のエピソードは十分楽しめます。3月17日からシャンテシネでロードショー開始です。

Photo: http://2sons.gyao.jp/photo/

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オルセー美術館展

 あの映画「ダビンチコード」の舞台となったルーブル美術館とセーヌ川をはさんだ対岸にオルセー美術館がある。今、その所蔵作品が「19世紀芸術家たちの楽園」というテーマで東京都美術館で展示されている

 こういう展示会は「ギュスターヴ・モロー展」のように一人の作家の展示会のほうが好きである。美術館展だとどうしても総花的になってしまうから。

 パリの美術館は、古代から19世紀までを所蔵したルーブル、19世紀後半の美術品を所蔵したオルセー、20世紀の作品を所蔵したポンピドゥー・センター国立近代美術館とに分かれている。

 このようにオルセーは19世紀後半という短い期間の、印象主義を中心に集められているため、美術館展であってもその主題が明確に見えてくる。そんな意味でも、なかなか気に入った展示会であった。

 印象派の絵は近くで見ると何が描いてあるか良くわからないが少し離れた見ると画家の意図したものが浮かび上がってくる。自然そのものの描写より、より強い印象を与えることが出来るのが芸術だと考えているので、印象派の試みには興味がつきない。

 特に今回の展示会ではマネの作品に強い印象を受けるものが多かった。マネはそれまでの写実主義からはなれた印象派の中心人物である。

 その荒いタッチ、と言って良いかどうか判らないが、筆のあとの残った絵が、少し離れて見ると輝いて見える。

 マネの「アンリ・ロシュホールの逃亡」とモネの「べリールの岩、打ち付ける波」が並べて展示してある。同じような荒れた海の描写であるが、原色に近い絵の具の多用、激しい筆致で描かれているマネの方が好きである。

 こういった見方も出来る今回の展示会はなかなかお勧めである。4月8日までやっている。

Photo: http://www.orsay3.com/exhibition/imgs/pt01.jpg

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100匹目のドジョウ

 「100匹目のドジョウ」はアンソニー・サクマが創作した生物学の現象である。利根川水系に生息するドジョウの生息域は主に樹木の陰であり、従って柳の下にドジョウを探すのは理にかなった行動であるにもかかわらず、誤った格言「柳の下にドジョウが二匹」により、愚かな行動とされてきた。

 しかし近年「柳の下のドジョウ」は確率的に正しい戦略であることが再認識されている。手当たり次第にドジョウを探すより、木陰を探したほうがはるかに効率が良いのは明らかであるからである。

 そして「柳の下のドジョウ」を肯定的に引用する人が100人を超えた時、この考え方が急激に日本全体に拡散した。お互いに交流の無い、地理的にも隔離された人たちが、たとえば淀川水系で柳の下のドジョウを探し始めたのである。

 当初、社会科学的にこの知識の拡散と言う現象が分析されたが、知識の共有に至る過程を解析することが出来なかった。そして、生物化学的なメスを入れたとき、驚くべき事実が判明した。

 どうも百匹目の猿現象が人間にも起こっているらしい。ある知識の所有者が100人という閾値を越えると、空間を隔てた他の個体に容易に伝播するらしいのである。この超自然現象とも言える事実に対し、科学の目はインターネットやグーグルといったキーワードを基に解析を進めているようだ。

Photo: http://www.agri.pref.kanagawa.jp/suisoken/naisui/fishfile/dojyou.htm
注:この記事は事実に基づいていない完全な創作です。
 
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本末転倒パスネット

 首都圏の私鉄で使われてきた乗車券の磁気カード、パスネットがICカードのパスモに変わるという。JRも共通に使えるとあって大歓迎だが、パスネットが無くなるのはちょっと残念。あのカード、色々と使い道があって、重宝していたから。

 一番活躍したのは電気製品を分解する時。最近のプラスチックで出来たノートPCや、よく壊れるテレビのリモコンは、ネジのほか、爪でもしっかりかみ合っていることが多い。この爪をはずすのにマイナスドライバーを突っ込んだりするとプラスチックが傷だらけになってしまう。

 そこでこのパスネットカードが登場する。マイナスドライバーのかわりにパスネットを滑らせながら差し込んでいく。爪にあたったら、軽くそのあたりのプラスチックを押しながらパスネットを引くと爪が簡単に外れることが多い。

 ただ、かなり丈夫な材料で出来ているパスネットにとっても、かなりつらい任務のようで、帰還したときには満身創痍である。2-3回使うと廃棄処分になる。つまり消耗品である。

 こんな用途に使っていたので、まわりの人達にいらなくなったパスネットを貰っていた。現在ストックが沢山ある。

 ところが、パスネットのストックを始めて気がついたのは、たまにきれいなデザインのパスネットがあること。それからは、必ず絵柄を選んで1000円のカードを買うようにした。まわりの人も、きれいなカードを持ってきてくれるようになったのだが、ちょっと困ったことが起きている。きれいなカードを戦線投入できないのだ、もったいなくて。

 今日掃除機を分解したとき、マイナスドライバーを突っ込んでしまった。ストックのパスネットはどこへ行ったか言うと、今では出世してトレーディングカードのフォルダーにきれいに整理されて保存されている。

 なんか本末転倒のような気もするが、ファイルを見ながら、あとディズニーリゾートラインと箱根登山鉄道のパスネットで全部そろうなー、、、、、などと考えている。


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ピンクレディ危機一髪

 トントントン、瓦礫の下から規則的な音が聞こえてくる、生存者がいる。

 「生存者からと思われる音を確認」
 「こちら本部、了解した、生存者の数は確認できるか?」
 「パイプを3回ずつたたいている、3人かもしれない」
 「、、、、3回ずつ?、、、」
 「早く3回、ゆっくり3回、また早く約3回、、これを繰り返している」
  、、、、、、、
  、、、、、、、
 「そ、そりゃピンクレディじゃないか、、」
 「ピンクレディ???」

 ピンクレディの「S・O・S」にはイントロに重ねてモールス符合のSOSが録音されている。聴いたことのある人も多いと思うが、覚えやすく助けを呼ぶには非常に良い信号だと思う。鍋のふたでも、鏡でも、ライターでもSOSを発信することが出来るのだ。

 このモールス信号が絶滅の危機に瀕している。商用でのモールス信号の使用は早くから終わっていたが、アマチュア無線ではその技能が義務化されていた。ところが、この最後の砦も崩れようとしている。

 きっかけは4年前の世界無線通信会議。無線通信規則が「モールス電信の試験を行うかどうかについては、各国主管庁の判断に委ねられること」と改正されたのである。

 これを受けて米国では今年からモールス電信の試験が廃止された。その結果、試験内容の問い合わせが例年の2倍にも達していて、アマチュア無線人口の大幅な増加が見込まれているという。趣味の王様と言われたアマチュア無線のインターネットに対する最後の挑戦かもしれない。

 アマチュア無線機器を供給しているのは日本のケンウッド、バーテックス スタンダード、アイコム等である。株価を注目したいものだ。

 そば娘に「モールス符号は覚えとくといいよ、きっと役に立つから」と勧めたが逆に携帯のメール入力のスピードアップの課題を与えられてしまった。夢の無い、プラクティカルな生物よのう、おぬしは、、、、


Ref: Morse Code Is Dead. IEEE Spectrum February 2007 P5
Photo: http://ec2.images-amazon.com/images/P/B000GIWNNI.01._AA240_SCLZZZZZZZ_.jpg

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チョコレートの悲劇

 昔からチョコレートは好きであった。明治の板チョコの銀紙をそっとむいて切れ目に沿って割るが、だいたい斜めに割れてしまう。少々気温が高くてもやわらかくならなかったから。ひとかけら食べると残りは大事にとっておいたものだ。

 車の中でのおやつも大体チョコレートだった。あるとき、ライオン娘に「チョコばっかりね、クッキーは無いの」と言われ、「クッキーじゃ口の中もごもごするだろーが」と却下、、、するわけにもいかず「きのこの山」とか「たけのこの里」を常備するようになった。妥協の産物ではあったが、悪くない。最近ではポッキーチョコレートまで守備範囲に入ってきてしまった。

 この「きのこの山」と「たけのこの里」だが味が違う。私は断然「たけのこの里」派である。甘さが控えめなのだ。明らかにクッキー部分は塩味だと思う。チョコレートとクッキーのマッチングと言う面では断然「たけのこの里」に軍配を上げる。実際、帝都のセブンイレブンでは「たけのこの里」しか売っていないことが多い。

 それでもクラッカー味の「きのこの山」がいいと言う人もいるから、両方準備しておくと話題が途切れた時、いいきっかけが出来ると思う。両方を半分ずつ入れた「たきのこの山里」というテイスティングセットも商品として面白いと思う。商品化するのなら「たきのこの山里」の商標権を放棄する用意がある。

 他人から貰うならレオニダスのチョコレートがいい。昔は新横浜のプリンスぺぺにも店があったし、横浜シアルにもあったが、両方とも撤退してしまった。ベルギーから毎週空輸されているらしいが、ちびりちびり時間をかけて食べるのであまり意味が無いかもしれない、まあいいか、、、、

 東京マラソンを見に銀座に出たので、レオニダス銀座2丁目店に寄ってお買い物。貰ったチョコレートを何気なくポケットに入れ、すっかり忘れてしまったのが悲劇の始まりだった。3時間後、ポケットの中はチョコレートの洪水。最近のチョコレートはすぐ溶ける。「何か甘い匂いがしてたのよね」とは、早く言えよ。甘いのは脇とマスクだけだ。

 「暑い、熱い、溶けちゃうよー」と叫んでたんだよね、かわいそうに。はるばるベルギーから旅をしてきたのに、ティッシュペーパーでふき取られてゴミ箱へぽい。

「たきのこの山里」:商標登録未検討中


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サンタがやってきた、東京マラソン

 「干草の山から針を見つける」という格言が有る。確かに骨の折れる仕事であるが、発明王エジソンなら干草を一本一本調べて最後には針を見つけるだろうとか、大きな磁石を使えば簡単に見つけられるとか、最近では本来とは違った意味で引用されることが多い。

 今日はさらに違った視点からこの格言を見てみようと思う。確かに私が干草の山から針を見つけるのは困難であるけれど、逆に針が私を見つけるのは容易であると言うことを、例を挙げて説明する。目的を達成するにはこれでも十分なのである。

 第一回東京マラソンがあった。スキーの仲間が三人出場するので大勢で応援に行くことにする。何しろ3万人が走るという光景を肉眼で見たかったのだ。品川の折り返し点の手前のレクサスの前と、それから電車で移動し松屋の横の銀座二丁目の交差点のところにいるからと前日に打ち合わせをしておく。

 天気予報は雨、それならばブログネタとしては悪条件も面白いかと、軒下に雪だるまをぶら下げ、雪乞いをした。今年は都心に一度も雪が降っていないし、それに三人はめっぽう雪には強いはずだから。

 あわよくばみぞれでもと思ったが、残念ながら朝起きると雨。気温は上がらず、風も強い。言ってる言葉とは裏腹に、うへ、行きたくないなーと言うのが本音である。しかし上着とズボンに防水スプレーをして出陣。寒くていやだなー。

 今回のランナーは靴にICタグをつけて走り、5kmごとに通過時間が計測されそれがリアルタイムにインターネット上で見られる仕組みになっていた。携帯でもアクセスできたが、データベースの更新中という表示が頻繁に出てなかなか情報を得るのは難しい。それでも10km地点の通過時間はわかったのでカメラを抱えて、今か今かと待ち構える。便利になったものだ。品川は15km地点のちょっと先である。

 これが最後のマラソンになるという有森裕子が通って行ったときは彼女のまわりにランナーが団子状態になっていたけれど、それ以外はぱらぱらと走っていく。これならきっと簡単に見つけられるだろう。なにしろ、昨日送られてきたカラー写真「今日の服装」をしっかり頭に叩き込んだのだから。青のタイツで緑の帽子と橙色の帽子を見つければよいのだ。

 ところが時間がたつにしたがってランナーが増えてくる。ここにもあそこにも緑の帽子がいるし、橙色の帽子もいる。その上、サンタさんは走っているし、ゲートウエイの牛さんもいれば、矢印帽子のお姉さんもいる。魚の帽子もいれば、アンパンマンの被り物までいる。ひよこのきぐるみのお嬢ちゃんはお尻の部分が雨を吸って垂れていて、いかにも走りにくそうなのに、結構いいタイムで走っている。いったいこれは仮装競争なのか、、、

 隣にいた見ず知らずの人たちと盛り上がる。「あれ、ちょんまげだー」「メイド喫茶のコスチュームだよ、あれは」「ミッキーとミニーだー」「トラとクマのきぐるみ、、」「スパイダーマン」「月光仮面」、、、、、

 そのうち、人波は群れて泳いでいる鰯状態、まさしくあれ。一秒目を離すと50人は通り過ぎる。こりゃーとても見つけられないと半分あきらめ、仮装行列を笑ってたら、隣のおばさんが「あの人、手振ってるわよ」おじさんも「こっち見て何か言ってるよ」「知り合いじゃないの」と大騒ぎ。そこにはまだ元気だった木村さんが手を振っている、パチ、パチと写真を撮る。がんばってね、次は銀座で会おう。

 その後で「ランナーからはこちらが見えるんだなー」とか「そりゃーランナーのほうが観客より断然多いのだし」とか「動くもの探すより止まってるもの探すほうが楽なんじゃないか」とかレースそっちのけで盛り上がった。

 お話の途中だけれども、体も冷えてきたし、銀座へ移動することにするか、、、、

 あと、木村さんの名誉のため付け加えると写真のサンタさんは断じて彼ではない。証拠も有る、本当は彼の名誉のため言いたくないのだが、木村さんがここ、33km地点に現れることは無かったのだ。ストイックなアスリートの彼がスパイダーマンや河童さんより先にリタイヤーか、、、、なんと言って慰めりゃよいのやら、、、、くすくす、、、、

 主催者発表:フルマラソン部門には26058人が参加し、制限時間7時間内に完走したのは25130人、完走率は96.4%だった。

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断絶そして百万分の一の奇跡

 [2007年2月17日asahi.com] ポール・ストーキーさんが、北朝鮮に拉致された横田めぐみさんにささげるSong for Megumiを作詞・作曲、CDが日本で21日に発売される。

 以前、仕事中に40歳台前半の小佐野さんと無駄話をしていた時、愕然としたことがある。フォークソング系のジョーン・バエズもPPM(ピーピーエム)も全く知らない、名前すら聞いたことも無いというのだ。洋楽も良く知っている常識人の彼がである。団塊の世代では100%の人が知っていると思うのだけれど。

 まあ20年近く年の差があるということは、団塊の世代が大正時代の流行歌、佐藤千夜子の「東京行進曲」を知っているかと聞かれているようなものだから、当たり前かもしれないが。知らないよね。

 ピーター・ポール・アンド・マリー(PP&M)は、いわゆるフォークグループで、60年代から反戦を訴え、社会性のある曲を次々にリリースしていった。コード進行も歌詞も平易だったので、今でもギターを弾いて歌える、、、、と思う。我々にとってPPMは神様の一人だったのだ。

 世代間のギャップを埋めるためにも、ジョーン・バエズやPPMを聞いてみて欲しい。最近CMに使われたりしているところからみると、そんなに古臭くは感じないと思う。もっとも車の中でフォークソングなんかが流れてくると副操縦士に即座に却下される、眠くなると言うのだ。君にはこの火のようなメッセージが伝わらないのか、嘆かわしい、、、

 その神様の片割れがポール・ストーキーで、彼がいきなりNHKのニュース画面に出てきたときは驚いた。まず頭に浮かんだのは「ああ、PPMのポールが死んじゃったのか、俺たちの青春も死んだのだ」ということだったが、安心したことにはそうではなかった。

 そのうち判ったのが、彼が冒頭の曲を作り、日本に来ているということ。69歳の今でも社会の動きに敏感であることと行動力に心から敬意を表する。「パフ」や「500マイル」のように永遠に歌い継がれていくと良いのだが、、、、


Photo: http://www.allposters.co.jp/-sp/-Posters_i1615936_.htm
めぐみさん救出を願い歌 米PP&Mのストーキーさん(朝日新聞) - goo ニュース


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グルメ、お勧めの店シリーズ 築地寿司清 横浜店

 横浜周辺で食事をするとき、なかなか適当な店が無い。中華街まで行けば、おいしいものが安く食べられるので、良い店が育たないのでしょうか。今日は横浜駅周辺での、お勧めの店を紹介します。横浜グルメ、お勧めの店シリーズ第3弾です。

 築地寿司清は全国に30店舗ほど展開しているチェーン店です。たまたま渋谷店に入ったら、値段と味がバランスしている良い店だと感じたのです。勿論、高級鮨店ではないのでタネにばらつきはありますが、普通のサラリーマンが、寿司でも食べるか、と思ったときのお勧めです。

 何回か渋谷店を利用しましたけれど、横浜にも有ると聞き、さっそく伺いました。「渋谷店でこちらにもあると聞いたもので」と言ったら、「こちらはここで30年もやってんだ」と、はいはい失礼しました。岡田屋モアーズが出来た時からここでやっているそうです。

 この店はカウンタ席の予約は出来ないようです。やはり並んでもカウンタ席にしましょう。つけ場の職人さんといろいろ話をするのが楽しみですから。しばらく並んでカウンタ席に着くと、さっそく生ビールを頼みます。久しぶりに越智さんですね、今日もよろしくお願いします。

 「何か切りましょうか?」と聞かれたので、お刺身を三種類くらいお願いします。鱈のコブ締めや、カワハギの肝和え、しめ鯖が出てきました。いつも肝醤油が多かったので、今日の肝で和えたカワハギはなかなかいけます。

 タネケースの上に竹の子が並んでいます。え、もう竹の子?温暖化ですね。竹の子焼きを頼みます。それと、わさびのお新香も。ここで日本酒をいただきます。

 あまり生ものばかりだと飽きるので、焼いてもらうこともあります。アナゴの白焼きやハラスをいただいたりします。お酒も大分回ってきました。握りをはじめてもらいます。

 いろいろな種類を食べたいので、半貫、一個ずつ握ってもらいます。まあ大体二人で行きますので、そのときは二個ずつ握ってもらって、二人で分けて食べていきます。

 「鯛とかんぱちお願いします」、、、、
 「中トロとイカを塩でおねがいします」、、、、
 「さよりと平貝はあぶって、、、
 「サーモンとあわび、、、
 「ほっき貝と車えび、えび、頭を焼いてもらえます?

 怒涛の攻めのように聞こえるかもしれないけれど、つけ場の職人さんといろいろ話をしながらだから、のんびりと気持ちの良い時間が過ぎていきます。もう二時間以上になります、最後はお新香巻きを作ってもらいます。お新香をかつら剥きして、たっぷりのオオバとゴマを入れてもらいます。

 最後に梅茶をいただいたら、ごちそうさんといって伝票を貰い、レジでお会計です。だいたい二人で12000円くらいになります。ここ寿司清横浜店は職人さんが定着している良い店です。お勧めします。

 口の中にちょっと魚の臭いが残っています、これからスターバックスに寄っていきます。こんな話を最近の若い娘さんにしたら「寿司屋の後でコーヒーなんか信じられなーい」と言われてしまいました。「寿司屋の後はラーメンだよー」とも、またビールを飲むらしい。そりゃあ、こっちのセリフだ。全く信じられなーーーーーーーい。

追記 (2008年11月)

岡田屋モアーズの耐震補強工事のため閉店していたが、店舗の位置を変えて2008年8月から営業を再開した。再開後3回行ってみたが、たねも仕事も落ちたような気がする。もう一度行ってみて駄目であれば記事を削除する予定。


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OSの正しい選び方

 15年以上前の米国のPCマガジン、1991年9月号に「正しいOSの選び方」と言う記事がある。全部で17の質問があり、それに答えるとその人にあったOSが選べるというものだ。その中の第14問と15問はこうなっている。

問14 (男性だけお答えください)もし無人島に一人の女性と一緒に流されるとしたら、誰を選びますか?

DOS) キム・ベイシンガー
OS/2) メリル・ストリープ
Windows) ルース・ウエストハイマー博士(セックス・セラピスト)
Unix) キム・ベイシンガーの写真

問15 (女性だけお答えください)もし無人島に一人の男性と一緒に流されるとしたら、誰を選びますか?

DOS) ケビン・コスナー
OS/2) アーノルド・シュワルツネッカー
Windows) ビル・ゲイツ
Unix) キム・ベイシンガーの写真

 私だったら断然キム・ベイシンガーを連れて行く。当然写真ではない。出来たら「花嫁はエイリアン」当時の彼女を。そして私も20才代に戻してもらえるとありがたい。しかし、もしキムベイシンガーが予約済みで、メリル・ストリープかキム・ベイシンガーの写真のどちらかを選べと言われると、うーん、、、、、そんな仮定の話には答えられない、、、、、

 この問題の最後には、もし17問全部の回答がUnixだったら精神科医にかかれと書いてある。問14と15は一般的にはどちらか一方だけに答えるはずであるから、確かに17問全部の回答がUnixだったら精神科医が必要かもしれない。

 Linuxフリークの方がいたら、是非このクイズに答えて、その結果を教えて欲しい。ちなみに私は、IBM社の今は亡きOS/2が一番多くて9個、気取り屋さんということか、、、、

 尚、IBMは2006年12月31日をもって「OS/2のすべての活動が終了」とアナウンスした。Windows Vistaと共にひとつの時代が終わったのか、老兵はdelete *.*消え去るのみ、、、

Photo: http://moviessearch.yahoo.co.jp/detail/typs/id38072/tph/dspl/b4/

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サー・ビル・ゲイツ

 漢字でのハンドル名、佐久間さんってSir Kumaからきているのね、と言われたが誤解である。確かに目標としているサー・アンソニー・ホプキンスにちなんでサー・アンソニー・クマと呼ばれるのはうれしいが、残念ながら間違いがある。

 たとえアンソニー・クマがナイトに叙されたとしてもサー・クマと呼ばれることは無いのだ。サーの呼称をつけるのはフルネームかギブンネームかのどちらかであるから。つまり、正式にはサー・アンソニー・クマと呼ばれ、日常ではサー・アンソニーは正しいが、サー・クマは間違いということになる。

 これはMr.やMs.などとは異なる。ミスターは姓、つまりファミリーネームにつけるのであるが、日本では良く間違える人がいる。ミスター・ゲイツは正しいが、ミスター・ビルは間違いだと言うこと。

 このマイクロソフトのビル・ゲイツも名誉大英勲章第二位(Knight Commander of the Most Excellent Order of the British Empire)をうけているからサー・ビルになるはずであるが、米国市民権を放棄しない限り、「サー」と名乗ることはできないらしい。

 この叙勲は女性も対象である。ショコラやシッピングニュースにも出ていた、007シリーズでの「M」役、デーム・ジュディ・デンチも叙勲されている。このデームというのが男性のサーに相当する称号である。デーム・ジュリー・アンドリュース のデームもおなじこと。

 個人的にはデーム・キム・ベイシンガーが誕生することを期待しているが、きっと無理だろう。何故だか日本ではキム・ベイシンガーの人気が無い。「リアル・マッコイ」のころは可愛かったのだぞぅ。それにしても邦題「ブロンディー/女銀行強盗」ってリアルカッコワルイ、、、


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日本の姓が減っている

 そのまんま東氏が宮崎県知事に当選し、本名の東国原(ひがしこくばる)を名乗ると言う。珍しい姓だ。

 日本の姓は大体10万種類くらいあるという。あるデータベースで姓の多い順番を調べると「東国原」の順位はちょうど真ん中の5万番代のようだ。そして日本には「東国原」が50世帯位あると推定できる。

 ところで「東国原」のように珍しい姓でも5万番代と言うことは、50世帯以下しかない姓があと5万種類もあるということだ。ちなみにフィンランドから日本に帰化した国会議員のツルネンさんの弦念という姓は8万番目くらいである。

 現在、日本では名字が消滅する傾向が続いていると言う。総世帯数が20を切るとその苗字が消滅する確率が大きくなり、1世代後に5千種あまりの名字が消滅するという予測もされているのだ。

 本来名字の分布は大きく変動しないはずのものだ。佐藤さんが60人と鈴木さんが40人しかいない社会を考えてみる。男女が半分ずつだとして全員が家庭を持つとする。ここで男性の姓を家庭の名前とすると、佐藤家が30世帯、鈴木家が20世帯ができあがる。全世帯が男の子と女の子、合計二人を産んだとすると、次の世代でも佐藤さんは60人で、鈴木さんは40人になる。比率は変わらないということになる。これは女性側の姓を新しい世帯の姓とするとしても全く同じである。

 ところが世帯数の少ない姓では話が違う。直感的に考えるとこうである。姓の数は増えるか、そのままか、減るかのどれかにしかならない。日本の法律では姓の数が増えることは無いといってよい。そうするとそのままで不変であるかというとそうでもなさそうだ。やっぱり減るのだろうなと理解できると思う。

 姓の数は民族のるつぼと言われる米国が一番で150万種類もあるという。日本は27万種類(字体の違いや読みの違いを考慮)あり、アジアでは中国の4100種類、韓国の250種類に比べて桁違いに多い。日本の姓が多い理由は歴史的背景があるようだが、これがどんどん減ってきていると言うことである。

 氏の変更許可の申し立てにより「そのまんま東」という新しい姓が誕生する可能性が有ったとも思うが、東国原という姓ですら、数学的に言うとあと数世代で消滅してしまう可能性が高い。かとうかず子氏が引き取った二人のお子さんは東国原姓を名乗っているのだろうか、、、、

Ref: 千田敏、間瀬茂 日本人の名字の統計解析

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冥王星から来たエンジニア

 男は火星から、女は金星から来たとすると、エンジニアは冥王星から来たのではないかと思う。団塊の世代が就職をする頃、エンジニアという職業は花形であった。日本の近代化は任せておけという気概をもって、肩で風を切って歩いていたものだ。

 米国の技術を追いかけ、技術開発とは技術改良と同じ意味であった。「そんなもの半分のコストで出来るぜ」と、得意になっていたものだ。

 米国に追いつきはじめると、米国人との接触も当たり前にこなしていた。シリコンバレーで誇り高く自己紹介をする。

I am an engineer, nice to meet you.

 相手がちょっと引くような感じがしたは気のせいだと思っていた。何年かして判ったことが、米国の技術階級社会ではScientist, Engineer,Technicianという序列があること。

 相手の名刺を見るとDr.とあることが多い。そして彼らは自分達をScientistと呼ぶ。

 そんなもの呼び方が違うだけで、君たちがScientistなら我々もScientistである。さあ打ち合わせに入ろう、とやってきた。

 そして今振り返るとまさしく彼らはScientistで我々はEngineerだった。我々は、米国でこんなものを見たぞとプロジェクトを始める。彼らは、

Not invented here.

 冥王星が発見されたのはたしかに科学技術の勝利であった。しかし今では惑星の地位を追われている。冥王星から来たエンジニアも居場所がなくなってきているのだ。

 団塊の世代では数に物言わせ、力ずくで世界に対抗することが出来た。しかし少子化と共にこのやり方は通用しなくなる。理科系大学院の充実と、企業が新卒の博士号保有者を高給で雇用する風土の確立が急がれると思うのだが、さて、、、、、

Photo: http://photojournal.jpl.nasa.gov/browse/PIA00825.jpg

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最速のインデアン

 1962年。前年にケネディが大統領に就任。そして米国がベトナムに介入し始めた頃の実話に基づいた映画「最速のインディアン」を観てきた。

 インディアンは米国の有名なオートバイメーカー。1920年製のインデアンをこつこつと40年間にわたり改造してきたニュージーランドの63才のバート・マンローは、海岸でのスピード記録に挑戦していた。

 彼はそのバイクの最高速度をどうしても知りたくなり、ニュージーランドの片田舎からアメリカ、ユタ州のボンヌビルのスピードウイークを目指して出発することになる。

 ボンヌビルはソルトレイクから80号線を西に走りネバダ州との州境にある、干上がった湖で、厚さ2メートルにもなる塩でまっ平らになっている。ここでは地上を走る乗り物のスピード記録への挑戦が繰り返されているのである。

 年金暮らしで金の無い、心臓病と前立腺肥大という健康上の問題も抱えているマンローが、どうしても挑戦したいと旅に出るわけである。結局、色々な障害を周りの人の善意を借りて克服し、最後には世界記録を立てるという筋書きである。

 本当のマンローの凄さは、手作りでピストンをつくりシェルをつくりという技術的な面が大きいのだと思う。しかし、この映画は障害を抱えながら挑戦するマンローの精神的な面と、ロードムービーという二つの側面から製作されているようだ。

 ロードムービーというと旅を通じて主人公が成長したり、変わっていくものが多い。しかしこの映画でマンローは淡々と目的に立ち向かい、変わっていく人があるとしたらマンローの挑戦に共感した周りの人たちである。

 そのほかにも、右側通行と左側通行などの習慣の違いもトピックにしているがあまり重要な要素ではない。ただニュージーランドでタクシーに乗る場合助手席に乗るのが一般的であるというのを知っていると笑える場面はある。

 途中、ベトナムから休暇で帰って来た若い軍人を同乗させるシーンがある。まだ米国の介入は初期の段階で、半年もすれば終わるだろうといわれていた時期である。作中でマンローは、第一次世界大戦もそう言われていたが、結局1000万人が死んだと答える。

 米国はこのあと13年間ベトナムで苦しむことになる。そして米国は社会問題を山積させながら変質していくのである。この映画はベトナム以前の、古き良き時代のアメリカが存在した最後の時代を、懐かしく描いているようだ。

 実際、画面に現れるのは思いやりにあふれた善意の人たちばかりで、ボンヌビルに着いてからいろいろ助けてくれたのも明るくてフェアで典型的なヤンキーである。

 俳優が年を取ると「老いとは」という映画を撮りたくなうようだが、なかなか成功した作品は少ない。ドライビング ミスデージーならまあ許容できるが、あの大好きだったポールニューマンがノーバディーズ・フールに出たときは、止めてくれいと思ったものだ。イメージが壊れるじゃないか、ポールのように年をとることを目標にしてきたのに。

 マンローをアンソニー・ホプキンスが演じている。老いを前面に出した映画であるが、非常に良い。バイクをいじっている時の小太りのお宅おじさんが、安物のスーツを着てパーティーに出かけたときのかっこよさ、目を見張ってしまうのだ。老いの目標をアンソニーに切り替えることにする、、、誰ですか、鼻で笑っているのは、、、、、

 実話を元にしているから荒唐無稽ではない。したがってハリウッド映画に比べれば実に淡々としている。しかしこれが実話だったら凄い話だ、元気を貰うぜ、と思う方にはお勧めの映画である。そしてアンソニー・ホプキンスを好きな人にも。

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