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本の虫干し、Apple Mac Plus 関連本

 Apple Mac Plus の箱から何冊か本が出てきた。



 我が家の本たちは一定の頻度でページをめくられ、風に当てられている。いわゆる虫干しだ。



 ところがこれらの本、Mac Plusが現役引退した20年前に一緒に箱に入れられ忘れ去られていたのだ。早速虫干し。



 PC98のMS-DOSに別れを告げ斬新なインターフェイスに感激したものだ。

 しかし、当時はインターネットのない時代、情報検索もできず、筐体を開けメモリー増設するだけでもこんな本が必要だった。

 

 懐かしい。読み始めると止まらない。まる一日が過ぎてしまった。

 

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本、高慢と偏見、ジェイン・オースティン (続)

 NHKのEテレ番組「100分で名著」のテキスト、ジェイン・オースティンの「高慢と偏見」を読み、その後図書館で借りてきた「高慢と偏見」を読み始めた。



 集中力の続かない昨今、文庫本で660ページあるこの本を読みきれるかなと心配した。実際200ページ読むのに一週間かかってしまったのだ。ところが残りの400ページ余りを一日で読み切ってしまった。

 この本は200年前英国の女流作家によって書かれた中流階級の家族の日常を描いた恋愛小説である。賢いが皮肉屋の父親と馬鹿な母親の間に生まれた5人姉妹。その長女と次女の話が中心になる。

 定石通り、出会い、別れと大円団の構成になっている。こんな単純なプロットで660ページ、情景描写が延々と続くのだろうと思っていたら、余計な文章は無い。逆に短い文章が読者の想像力を刺激する。

 この物語では次女エリザベスとその相手ダーシーの心の動きを会話を中心に表現されている。ところがテキストによると、この本の中でもうひとりの主人公、長女のジェインとビングリーの会話はただの一つも書かれていないというのだ。これには驚いた。彼らの会話は読者が無意識に頭の中で組み立てたものということになる。

 会話による状況説明、地文による会話の表現などいろいろな技術を駆使し本文の何倍もの情報を提供してくるこの本、翻訳も素晴らしいのだろう読みやすい。おすすめの本だ。



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本、高慢と偏見、ジェイン・オースティン

 NHKのEテレ番組「100分で名著」のテキストのバックナンバーにジェイン・オースティンの「高慢と偏見」を見つけた。



 大学入試に失敗し予備校へ通っていたとき、英語の教師が心の底から心酔したように、この本はすごいから是非読んでみなさい、と言っていたのがこの「高慢と偏見」だ。

 もちろん英文で読めと言っていたのだからタイトルも"Pride and Prejudice"ということになる。韻を踏んだようなこのタイトルも気に入ってPenguinのペーパーバックを購入、読み始めたのだが半分も読んだところでギブアップした。

 高慢と偏見というタイトルから社会派の本だと予想して読み始めたのに、どうも様子が違うのだ。

It is a truth universally acknowledged, that a single man in possession of a good fortune, must be in want of a wife.

 最初の文章がこれ。「金持ちの独身男なら妻を必要としているのは世の常識である」えっ、なに、これ。

 少し読み進めて、これは社会派小説ではなく18世紀英国の中産階級と上流階級の境目にいる人達の日常生活がオースティンのちょっと皮肉も混じった文章で描かれていく恋愛小説なのだとわかった。

 その上、rentとおぼえていた単語が英語ではletなどと言われると辞書を引きながらでないと読めない本ということで一気にモチベーションが下がってしまったのを覚えている。

 その本がNHKのEテレ番組「100分で名著」で紹介されていたのだ。再挑戦のつもりでテキストを購入。読んでみると、著者である京都大学の廣野由美子教授があの予備校の英語教師に負けない情熱でこの本の素晴らしさを力説している。

 図書館で大島一彦訳を借りてきた。もちろん日本語だ。



 660頁もあるこの本、貸出期間2週間以内に読み切る自信はない。



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おすすめの本、マルクス・アウレリウス「自省録」

 学生時代70年安保を経験した私にとってマルクスとは資本論を書いた18世紀の哲学者カール・マルクスであった。

 「豊かな人間とは、自身が富であるような人間のことであって、富を持つ人間のことではない」

 などと言われると、そうだ!と拳を振り上げたものだ。

 やがて就職し、社会に歯車として組み込まれたころ読んだのがマルクス・アウレリウスの自省録だった。SFマニアであったが、年に数冊は教養系の本も読もうとしていて、この本もそのうちの一冊であったのだ。

 評判の本であったが、20代の若者にはあまりピンとくるものがなく、一度読み通しただけで本棚の肥やしになっていた。

 その自省録がこの4月、NHKのEテレ番組「100分で名著」で紹介されていたらしく、テキストを売っていた。2000年も前のローマ皇帝、マルクス・アウレリウスの個人的ノートがなぜ今でも読まれているかのヒントがあるかもしれないと購入した。

 このテキスト、自省録が書かれたバックグラウンドが説明されていて、またテーマごとにまとめ解説されているので理解しやすい。あっという間に読み通し、もう一度自省録を読み返すことにした。



 半世紀も前に読んだときの印象とは異なり、納得する記述が多い。頭の中にすっと入ってくるのは、NHKのテキストのおかげもあるだろうが、自分が年をとったことも大きな要素に違いないと思う。どんな本にも読む旬があるのだろう。

 マルクス・アウレリウスの「自省録」、おすすめだ。


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本の虫干し、湾岸ミッドナイト

 年に一度の本の虫干しにはこんなものもある。

湾岸ミッドナイト

 湾岸ミッドナイトは1990年台に講談社から出版されたコミックスで、改造車による公道バトルの話だ。

 元暴走族の小佐野さんに「これ面白いっすよ」と言われて買ったのが1999年6月のvol.14。それから大体3ヶ月おきに買い続けた。出てくる車がフェアレディZだったり、サバンナRX-7、インテグラタイプRと波長が合う車出てくるのが楽しみだった。

 出版日を調べその当日に本屋に買いにくほどハマったが、vol.35位から少々ズレを感じるようになってきた。結局vol.40を購入したところで購入をやめてしまった。漫画も卒業し、自分もやっと大人になったのかなあと思っていたが、その後このシリーズはvol.42で終了しているから、やはり最後の方は作者も出版社もあまり力が入っていなかったのかもしれない。

 その後ブックオフで抜けていたvol.1から揃え始め、やっと最後の2冊が我が家にやってきた。1冊100円。

湾岸ミッドナイト

 やはり初期のストーリーは今でも楽しむことができる。カビが生えないようにしっかり日干しをしておこう。

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本の虫干し、フレドリック・ブラウン

 高校時代にSFを読み始めた。

 毎月のようにSFマガジンを購入、バックナンバーも集め始めた。その中で気に入った作家がフレドリック・ブラウンだった。彼のSFは短編が面白い。当時のSFマガジンも短編を多く掲載していた。

 そこで彼の長編も読んでみようと思い購入したのが「73光年の妖怪」でこれで本当にファンになった。原題は "The Mind Thing"だから、邦題の勝利といえる。「知的生命体」のような題だったらきっと購入していなかったはずだから。創元推理文庫で150円という時代だ。

フレドリック・ブラウン

 フレドリック・ブラウンにはミステリー作品もあるが、超自然的現象が語られることも多い。これが私の好みに合ったのか、当時全く興味のなかったジャンルだが、せっせと本を買い続けた。

フレドリック・ブラウン

 さて、虫干しの際一冊だけ読むとしたら、「天使と宇宙船」の中の短編「ミミズ天使」だろう。私がダジャレ男と呼ばれるようになったのはこいつのせいかもしれないと思っている。



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頑張らない基礎英語、英文法

 「この本面白いらしいから、買って私に貸して」と姪からメール。

 西沢ロイ著の頑張らない基礎英語と頑張らない英文法の2冊だ。



 確かに非常に面白い。帯にある「中学生の時に知りたかった」のとおりである。もっとも私の旧制中学校時代は敵性言語である英語の授業は無かったので、この本は無用の長物だったろうとは言える。

 言語は覚えるしか無いだろうと思っていたが、英語の考え方がわかれば暗記は不要とこの本は言う。特に頑張らない英文法で説明している時制表現の説明には目からウロコである。

 紅毛碧眼の南蛮人の言語には、何故こんなに面倒くさい時制というものがあるのだと思っていたが、日本語と同じじゃないかと理解するとまさしく「中学生の時に知りたかった」である。

 付箋をいっぱい貼り付けながら一冊1時間くらいで読み、なるほどなあと知的好奇心を満足させて姪に貸出。すぐに帰ってくると信じて。

 結局もう一式購入した。それほどインパクトのあったこれらの本、英語を丸暗記したくない人にはお勧めだ。


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虫干しの本棚、赤江瀑

 押入れのダンボールの中に詰め込まれている本を、年に一度くらいだが日に当てている。

 今日の主役は赤江瀑だ。

赤江瀑

 この前の虫干しは半村良だったから、私の読書傾向に大きな偏りがあると思われるかもしれない。そのとおり、いわゆる伝奇小説というカテゴリーが好きなのであるが、村上春樹などもちゃんと読んでいるから変人扱いはやめていただきたい。

 さて、ページに風を通しながら一冊だけ読むとしたら、やはり「ニジンスキーの手」だろう。1970年に発表されたこの短編作品が赤江瀑のデビュー作である。

 終戦後の上野の森で強請、強盗、掻払いで命をつなぐ浮浪児達。その中のひとり弓村高に舞踏の才能を見出したロシア人の元舞踏教師が古典バレーの技術を徹底的に叩き込んだ。その高が天才舞踏家ヴァーツラフ・ニジンスキーの再来と絶賛されたのは23歳の時、そしてニジンスキーの生涯をたどるように物語は進んでいく。

 他の登場人物として風間という名の男の子が出てくると、思わず蜜蜂と遠雷を思出して爽やかな結末を期待するかもしれないが、この小説は伝奇小説の作法に則った作品だから読後感は全く違う。

 半村良の作品はその文章のリズムが好きなのだが、赤江瀑の文章はいちいち気に障る部分がある。それでも物語の面白さはずば抜けている。

 もう一冊くらい読んでから押し入れにしまうことにしよう。



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半村良、没後17年

 17年前の今日3月4日に半村良が68歳で亡くなった。

 なくなる前の何年かは発表される作品が少なくなっていたので覚悟はしていたが、とても残念な思いをしたのを覚えている。

 半村良を初めて読んだのが妖星伝だった。文庫本読みだった私がハードカバーを買うようになったのもこの妖星伝の装丁が変わっていて気に入ったからである。

半村良

 その後手当たり次第に半村良を買っていたが、最近では読み返すことは少ない。ダンボール箱にしまわれて押入れの重しになっている。それでも一年に一回はページに風を通してやり、本棚に並べてやっている。

半村良

 もちろんペーパーバックもある。

半村良

 そして毎年一冊は読もうということで、今年手にとったのはやはり定番の妖星伝だ。冒頭からその文体に痺れる。ストーリーが面白いだけでは何度も読み返すことはあまりない。しかし文体が好きな場合は何度でも読むことができる。文体のリズムが私の読むリズムとあっているような気がするのだ。あわよくばこんな文章を書いてみたいとまで夢想する。

 半村良が亡くなった年齢をとおり越してしまった。来年もまた読むことができますように。

 

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お勧めの本 恩田 陸、蜜蜂と遠雷

 「お爺ちゃん、これ面白いから読んだほうがいいよ」と、図書館から借りてきたらしい若草色の表紙の本「蜜蜂と遠雷」を見せられた。



 そういえばここしばらく本を読んでいない。それならばと、iphoneに入れてあるアマゾンの電子書籍Kindleで見てみるとまだ文庫本は出ていないが、電子版はハードカバーの6割引で売っている。これは買えとの啓示だろう、おとなしくダウンロードのボタンをクリックした。

 日本で開催されるピアノコンクールへの出場者を決めるためのフランスで開かれたオーディションの場面から話は始まる。その会場に現れた型破りの少年が主人公の一人だ。

 物語の殆どの部分はピアノコンクールで出場者達がふるい落とされていく過程を描いている。単調になりがちな設定だが、主人公たちの過去やバックグラウンドを丁寧に説明していく事により、場面場面でいちいち感情移入ができるのだ。

 そしてこの物語は音楽の、ピアノの素晴らしさも教えてくれる。本選で演奏されることはなかったが、課題曲として指定されていたラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲作品43をスティーヴン・ハフのピアノとBBCオーケストラでどうぞ。




 昔、文庫本だったら一時間に100ページ読む乱読家だった私が最近はすっかり本から遠ざかっていた。集中力が続かないのだ。集中力が低下するのは歳のせいだから昔のように本を心から楽しむのはもう無理なのだろうと思っていた。

 ところがこの本、3日で読み切った。昔に比べるとスピードは落ちたかもしれないが、次のページを読みたいという久々に感じる快感。夕食を取りながら読んだのも久しぶりだった。 

 極め付きは、あと少しで読了となった時、ページをめくるのが遅くなったこと。そうそうこの感じ。すっかり忘れていた、アーア、もうお終いかという、この感じだ。

 まだ本を楽しむことができると教えてくれたこの本、お勧めだ。




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辞書フェチ

 我が家の少ない収納スペースの中で、大きな顔をしているのが辞書達だ。



 外国の言葉に興味を持つようになってから、気になる言語があると辞書を買っていたのでこんな事になってしまったのだ。

 一番多いのが英語の辞書。英和、和英の他、例文を探すのに役立ったロングマンの英英や同義語を探すのにロジェのシソーラスなどだ。

 そしてこんなものも、クロスワード用の辞書。



 文字数ごとに分類され、アルファベットの順でリストが並んでいる。きっと役に立つと思って購入したが、6文字の単語で3番めがAの単語、というように検索できるわけではないので、ほとんど使っていない。

 そして電子辞書の時代へ。



 これらの辞書の中で一番多く使ったのが高校時代に学校へ持っていっていた、三省堂のTHE NEW CROWNであろう。その後辞書が増えるに従いだんだん使わなくなってしまったが、最近良く眺めるのはこの辞書だ。



 絵が多くて楽しいし、何しろ活字が大きいのが年寄りには助かる。辞書を引くたびにメガネを探す必要がないからだ。

 英和辞書はこの赤表紙のTHE NEW CROWNに始まり、THE NEW CROWNで終わると断言したい。


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私の読書遍歴、青年期

 高校に入っても本から離れることはなかった。

 ただ一つの例外は英語の教科書。苦手であった。高校まで塾など無縁であったが、流石に親も心配して高校3年の時英語の家庭教師をつけてくれた。

 この先生が青学の英文科の学生で、中学校一年のときの教科書を全ページを覚え、全問題を解くことから始まった。二ヶ月で中学2年の教科書に移り、半年後には中学の教科書全ページをなめ終わったのだ。

 残りの半年で高校の教科書を征服、英文学も読もうということで渡されたのが ウィリアム サローヤンのMy Name Is Aramだった。

 この勉強の感覚、本を全ページ端から端まで読み尽くす感覚は、昔の読書体験と符合した。そして先生から、このくらいの辞書は持っていなさい、と言われたのが研究社の新英和大辞典。



 これで受験は万全と思ったが、人生そう甘くなく予備校に通うことになった。

 この予備校の英語の講師が鈴木長十だった。50年以上前のテキストCHOICE EXERCISESをまだ大事にとってあるが、びっしりと書き込みがある。それまで神聖な本に書き込みをするなど考えられない私であったのに。

鈴木長十 CHOICE EXERCISES 1960

 鈴木講師の講義は楽しいの一言。英語に対する垣根が低くなり、他言語への興味がわき始めた。この翻訳、なにか違和感がある、などと生意気なことをつぶやきながら、ペーパーバックを読み始めたのもこの頃だった。
 

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私の読書遍歴、幼児期からティーンエイジャー

 我が家では学習とは学校で行うものだった。

 したがって、幼稚園にも塾にも行かなかったので読み書きを覚えたのは小学校に入ってからである。やっとひらがなが読めるようになった、1年生の一学期が終わった時、ご褒美として本を2冊プレゼントされたのを鮮明に覚えている。

 残念ながら題名は覚えていないが1冊はお話、いわゆるフィクションでもう一冊は乗り物の絵本、ノンフィクションの本だった。文字の面白さに夢中になり、端からはしまで何度も読み返し、丸暗記してしまった。

 もっと読みたい。しかし、手元にあったのは教科書だけ。舐めるように教科書の文字を追い、50回も読むといかに鈍才でも覚えてしまう。塾に行ったこともなかったが、試験勉強をすることもなかった。

 小学校3年生になると毎月「子供の科学」を買ってもらうことができた。宣伝の載っている商業誌のレイアウトも楽しく、夢中で読んでいたが、そのうち文字への興味から製作記事へ興味が移り、ゲルマニュームラジオなどを作ったりした。文字がツールになった瞬間だ。

 子供の科学で引き出された興味はだんだん一つの方向に向かい、小学校5年生になると毎月買ってもらう雑誌は初歩のラジオに変わった。この雑誌もツールであり並3ラジオを作ったりしていたのだ。

 もちろん物語を読む楽しさは続いていて、学校の図書館で本を借り出し乱読していた。中学時代、親に買ってもらった本は「新言海」だけ。定価1000円だったが、自分の小遣いでは買えなかったのである。




 さすがに言海を隅々まで覚えることはできなかったが、辞書を読んだり眺めたりという楽しさを教えてくれたのもこの新言海だ。

 日本中が貧しかったあの時代、読書ハングリーな状況が自分の読書スタイルを決定付けてくれた思っている。何でも手に入る今の子供達はとても気の毒な環境にいるのかもしれない。



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DAYS JAPANの廃刊

 写真を主体とした月刊誌DAYS JAPANが来月2月20日に発売される3月号をもって廃刊になるという。

DAYS JAPAN

 10年ほど前に書いた文章を再掲してみよう。

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 DAYS JAPANという月刊誌があった。1988年4月に講談社が創刊した29x23cmという大判の、写真を多用した雑誌である。創刊号では米国が援助しているアフガン・ゲリラの実態や、チャールズ皇太子とダイアナ妃の不仲、大韓航空機爆破事件の記事の中の日本人拉致問題など、20年前の雑誌とは思えない今日的な話題が満載である。今まで多くの雑誌が創刊されてきたが良く出来たもののひとつではないかと思っている。

 このデイズ・ジャパン創刊号の特集記事が、作家の広瀬隆とフォトジャーナリスト広河隆一が中心になって書いた「四番目の恐怖」である。31ページにも及ぶ写真中心の記事は米国スリーマイル島やチェルノブイリ原子力発電所の事故の影響や六ヶ所村の再処理工場の危険性を訴えている。

 講談社という大企業が反原発の記事を、それも大々的に発表するのは意外だった。このような記事は政界、経済界からいろいろな圧力を受けるのではないかと思うが、講談社だから出来たのだろうか。

 ところがこのDAYS JAPAN、1990年1月号で休刊してしまった。創刊からわずか1年8ヶ月。直接の原因は1989年11月号の記事「講演天国ニッポンの大金持ち文化人30人」の中の謝礼金の額が間違っていると抗議を受けたためと言われている。

 米国でも誤報記事が引き金になって廃刊に追い込まれた雑誌がある。100年近く刊行されてきた米国のポスト誌である。フットボールの八百長記事に誤りがあったとして訴えられ、3億円もの賠償金を払わせられたのが直接の原因らしい。1969年のことだ。

 2004年4月、フォトジャーナリスト広河隆一はDAYS JAPANを再び創刊した。今度の雑誌は講談社と無関係であるが、ロゴは良く似たものを使っている。現在まだ発行されているので、オリジナルのDAYS JAPANの1年8ヶ月の記録を破った。大出版社で出来なかったことを実現できると良いのだが、、、、

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3月号を買うことはないと思う。
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蔵書管理

 暇になったら読もうと、昔から興味のある本を買い集めてきたのだが、いざ読もうと思うとなかなか読むことができない。年をとったせいか集中がなかなか持続できなくなったり、小さい字が読みにくかったりするのがその原因だが、一番大きい理由は読みたい本がどこにあるのか皆目見当がつかないことだろう。

 本棚にあるだけで1000冊くらい、段ボール箱にはその何倍もの本が寝ている。SFマガジンなどの雑誌もかぞえれれば星の数ほどにもなろうというものだ。これでは読みたい本を探すよりもう一度アマゾンで買ったほうが何倍も楽である。

 それでも絶版になっている本が多いから、マスクをして埃の舞う中、段ボール箱をひっくり返すことになる。間違えて図録の入っている箱を持ち上げてしまったらぎっくり腰間違いない。これではいけないと蔵書の管理をすることにした。

 実はこれは昔からの夢で、実際20年以上前マッキントッシュプラスのハイパーカードではじめたのだが、入力がめんどくさくて挫折した経験がある。

 そして現代、蔵書管理のフリーウエア、シェアウエアはたくさんある。googleで「蔵書管理ソフト」を検索し最初に表示された「私本管理Plus」をインストールした。

 インターフェイスはよくできていて本に印刷されているISBN番号を入力するだけで自動的に表題や出版社、価格、初版発行日などをインターネットから情報をとってくれる。

 それでもISBN番号を入力するのはめんどくさいし、分類コードも入力しなくてはならない。そこで導入されたのがこれ。

 バーコードリーダー。エフケイシステムのTSK-U「USB接続」ならたったの5,880円。送料、代引き手数料共無料ということだったのですぐに注文、翌日には到着した。

TSK-U「USB接続」

 このリーダーはキーボードと同じインターフェイスを持っていて、USB端子に接続するだけで使えるようになる。これで一冊あたり5秒もかからない。

私本管理Plus


あっという間に300冊以上の入力が終わったのだが、このように表示される。

私本管理Plus


 このソフトには購入金額の総計を表示する機能があり、現在360冊強を入力した段階で60万円だそうだ。実際本はこの十倍もあるような気がするからいったいいくらになるのだろう、空恐ろしくなる。蔵書管理のモチベーションが一気に下がってしまった。余計な機能のあるソフトにはまったく困ったものである。


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