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改札パンチ収集の旅

 45年前のある土曜日、休日出勤で疲れ切った体を引きずりながら川崎駅に途中下車した青年がいた。

 青年は川崎駅の改札口を出ると、まっすぐ駅の窓口に向かい、入場券を購入し、そのままホームに戻ると、やってきた京浜東北線の電車に飛び乗った。

 電車が新子安の駅に到着するとまた電車を降り、定期券を見せながら改札口を通るとそのまま窓口へ直行。入場券を買っている。そのまま改札に戻り、入場券を切ってもらいホームに戻った。京浜東北線の旅を続けるようだ。

 この謎めいた行動は東神奈川駅、保土ヶ谷駅、戸塚駅そして大船駅で続いた。そして彼の手に残ったのは、

 一束の入場券。

電車の入場券

 駅ごとに異なると言われている改札パンチを集めたかったらしいが、なんと言ったら良いものか、、、、



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色あせた軟券

 国鉄の乗車券が自動販売機で買えるようになってから切符は予め印刷してある硬券から自販機の中で印刷する軟券に切り替わって行った。

 これで発生した問題が、軟券の印刷文字が時間とともに見えなくなることだ。

色あせた軟券

 大量に保存してあった切符が色あせてしまいよほど捨ててしまおうかとも思ったが将来技術が発達して復元できるかもしれないと、とっておくことにした。

 国鉄の軟券でも50年近くたった今、鮮明に読めるものもある。

50年前の切符

 保管方法は同じなので理由はわからない。

 同じ時期の小田急線の軟券の文字はちゃんと読むことができる。

50年前の私鉄の切符

 国営企業と百年後をも見据えて経営している民間企業との差なのだろうか、、、、、

 
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国鉄の硬券に見る昭和のインフレーション

 世間では鉄道会社の発行する硬い切符、硬券に人気が集まっているようだ。

 押入れの隅で眠っていた古い切符を引っ張り出してきて眺めていて気がついたのが毎年のように値上げされていることだ。

 例えば志賀高原からの帰り、長野電鉄の湯田中駅から東京都区内までのj乗車料金が昭和49年4月1日の切符では1280円。それが昭和51年には1610円に、そして翌年の切符では2350円になっている。



 自由席特急券を見ても毎年のように値上がりをしていて、旧料金で印刷された切符に料金変更のスタンプを押して販売していた。



 急行券も100km以下が100円から400円と4倍となっている。



 昭和51年(1976)は国鉄料金が50%値上げされた年で国鉄の経営が改善が期待されたのだが、業績は低迷を続け、53年以降毎年のように値上げをしていき、昭和62年(1987)に民営化されることになった。



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国鉄の硬券たち

 何気なくNHKの番組を見ていたら鉄道の硬券、昔風の硬いきっぷが人気だという。ローカル線では新たに硬券を発売し改札口で駅員がハサミを入れてくれるようだ。

 そういえば我が家にも昔の切符があったなあと、引っ張り出してきた。多くの場合、切符は改札口で回収されてしまうので手元に残っているのは特急、急行券が多い。

 万座スキー場からの帰りの特急指定席券が手書きである。



 急行券は100kmあたり100円。



 乗車券については、昔東京まで定期券をもっていたので、スキー場から東京駅までのきっぷを買い、そのまま定期券で地元に帰るという場合手元に乗車券が残る。

 例えば志賀高原からの帰り、長野電鉄の湯田中駅から長野で国鉄に乗り換え帰ってくるような場合に手元に切符は残る。



 また、当時の切符は途中下車ができたが、上の切符では東京都区内で降りてしまうとそこで終わりになる。 

 石打スキー場から帰るとき越後湯沢から乗ることになるのだが、この場合は上の切符とは異なり、山手線内まで来ると途中下車ができなくなる。



 この山の手線内という記述も昭和46年当時は東京電環と表示されていた。

 このような昔の硬券がネットオークションでは一枚1000円などと高額で取引されている。早速ダイソーでチャック付きのビニール袋を買ってきて大事に保存してやることにした

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