長文ですので、ご注意下さい(笑)
ここ1ヶ月で私を取り巻く環境が劇的変化をしています。
と言っても転職したり廃業したりしたわけでもなく、単に趣味の世界の話なのですが。
実は先月半ば、そう、例の48時間耐久のバス旅行から無事に帰還した一週間後のことです。私の尊敬する尺八の師匠が、庭木の手入れをしている最中に梯子から転落、頭を打って入院されてしまったのです。
当初はICUに入っていたのですが幸い命には別状がなく、順調に快復して今は一般病棟でリハビリをされています。
先月末に私の名取り試験が東京の本部で行われる予定だったのですが、取り立て師範が同伴でないと受験できないということで、急遽試験はキャンセル、受験は来春に延期になりました。
今回の東京行きは師匠も大変楽しみにしていたらしいのですが、残念なことでした。
ま、来年にはあらためて元気になった師匠を車に乗せて東京の本部へ試験を受けに行ってきます。
さて、ここでいろいろの問題が起きてきました。
師匠が事故前に出演の約束していたイベントがいくつかありまして、これまた急遽まだまだペーペーの私が師匠の代理で3つのイベントに出なくてはならなくなったのです。
一番差し迫ったものが師匠が入院してから10日後のイベント。ベテランの兄弟子に頼んだのですが都合がつかないということで結局私に大役が回ってきてしまいました。
猶予は1週間、しかし頼まれた7曲中今までにやったことのある曲はわずかに1曲だけ。
残りの6曲中譜面の無いのが3曲、これは超ピンチです。
先輩にそのうちの2曲は譜面をFAXしていただいて何とかなりましたが、残る1曲は自分で何とかしなくてはならなくなりました。
私のライブラリーの中からこの曲をさがしてきて、大慌てで耳コピーして尺八の譜面を起こし、リハに持って行ったのですが、何と言うことかキーが違っていて(三味線をされる方ならわかると思いますが、男性は二上りですが、女性は5度上の本調子の譜面になることがよくあります)あわてて譜面を書き換えたのがイベント前日の夜中、これでは準備不足も甚だしいですよね。まともに吹ける筈もありません。
実力の2割も出せたでしょうか、散々な結果でガックリと落ち込んで帰ってきました。
そのあとの2つのイベントは地区の敬老会のアトラクションでした。
こちらはすべて今までにやったことのある曲ばかりでしたので、そんなにボロボロになることもなくほぼ平常心で吹くことが出来ました。
しかしあらためて練習不足で本番に臨むことの愚かさを痛感した出来事でした。
さてさて、師匠の代理はこれでひとまず終了。その他もろもろの環境変化についてです・・・。
その1。
師匠の入院で唄・三味線に合わせた練習の場が無くなってしまったので、以前から声を掛けられていた砺波市の先生のところへ「押しかけ出稽古?」をすることにしました。
こちらの先生の教室は個人レッスンではなくて合同練習なので、尺八を吹く身にとっては2時間以上いろんな曲を吹きっぱなしという大変勉強になるありがたい教室なのです。
加えて仙人のような地元の尺八の名人がおられますので、これまたいろいろと深い話が聞けて勉強になるのです。
車でかっ飛ばして片道40分はちょっと遠いのですが、しばらくは砺波通いが続きそうです。
その2。
急遽師匠のピンチヒッターで行って散々な結果だった例のステージですが、その民謡会の大先生から、先生の息子さんに津軽三味線を教えて欲しいという依頼を受けて、特に断る理由もないので引き受けることになりました。
先日1回目のお稽古をしましたが、学生時代に数年間細棹を弾いていたと言うこともあり将来有望です。そのうち一緒に全国大会へ行けるかもしれません。
交換条件と言う訳でもないのですが、私はこの大先生に西物の三味線を習うことになり、加えてこちらの会の会員にもなってしまいました。
おそらくこれからこちらの会の発表会やその他のイベントの尺八はすべて私が吹かなくてはならないのだと思います・・・ちょっと肩の荷が重いのですが・・・・。
その3。
どうも劇的変化というものは重なるようで、津軽三味線を習いたいという小学4年生の女の子から連絡を受けまして、先日お母さん同伴で練習の見学をして行かれました。来年1月から習いに来られるそうです。
バリバリ仕込めばこちらも2~3年後には全国大会に出られるようなレベルになるかもしれません。私の責任も重大です。
その4。
急に生徒さんが3人に増えてしまって、どこの馬の骨かわからないおっさんが偉そうに津軽三味線を教えているのもどうかということで、師匠に相談してようやく木田の名前を貰えることになりそうです。
他の流派では、ある程度の技量とお金があればすぐに名取りになれるようですが、木田林松栄直系のウチの教室は、技量が伴わない者には絶対に名前を与えないという方針なのだそうです。
鬼師匠のもとへ通って苦節6年(笑)、ようやく木田の名前がもらえるようです。
1ヶ月前まではぼーっと師匠任せで津軽三味線と尺八を習っていて、これまたぼーっと津軽三味線の生徒を1人教えていただけだったのに、ほんとうに劇的な変化です。
本業に、趣味にと、とんでもなく忙しいのですが、毎日が非常に充実していて睡眠不足もあまり気にならないようになりました。
おかげでバイクに乗る時間が全く無くなってしまいましたが・・・・。
ここ1ヶ月で私を取り巻く環境が劇的変化をしています。
と言っても転職したり廃業したりしたわけでもなく、単に趣味の世界の話なのですが。
実は先月半ば、そう、例の48時間耐久のバス旅行から無事に帰還した一週間後のことです。私の尊敬する尺八の師匠が、庭木の手入れをしている最中に梯子から転落、頭を打って入院されてしまったのです。
当初はICUに入っていたのですが幸い命には別状がなく、順調に快復して今は一般病棟でリハビリをされています。
先月末に私の名取り試験が東京の本部で行われる予定だったのですが、取り立て師範が同伴でないと受験できないということで、急遽試験はキャンセル、受験は来春に延期になりました。
今回の東京行きは師匠も大変楽しみにしていたらしいのですが、残念なことでした。
ま、来年にはあらためて元気になった師匠を車に乗せて東京の本部へ試験を受けに行ってきます。
さて、ここでいろいろの問題が起きてきました。
師匠が事故前に出演の約束していたイベントがいくつかありまして、これまた急遽まだまだペーペーの私が師匠の代理で3つのイベントに出なくてはならなくなったのです。
一番差し迫ったものが師匠が入院してから10日後のイベント。ベテランの兄弟子に頼んだのですが都合がつかないということで結局私に大役が回ってきてしまいました。
猶予は1週間、しかし頼まれた7曲中今までにやったことのある曲はわずかに1曲だけ。
残りの6曲中譜面の無いのが3曲、これは超ピンチです。
先輩にそのうちの2曲は譜面をFAXしていただいて何とかなりましたが、残る1曲は自分で何とかしなくてはならなくなりました。
私のライブラリーの中からこの曲をさがしてきて、大慌てで耳コピーして尺八の譜面を起こし、リハに持って行ったのですが、何と言うことかキーが違っていて(三味線をされる方ならわかると思いますが、男性は二上りですが、女性は5度上の本調子の譜面になることがよくあります)あわてて譜面を書き換えたのがイベント前日の夜中、これでは準備不足も甚だしいですよね。まともに吹ける筈もありません。
実力の2割も出せたでしょうか、散々な結果でガックリと落ち込んで帰ってきました。
そのあとの2つのイベントは地区の敬老会のアトラクションでした。
こちらはすべて今までにやったことのある曲ばかりでしたので、そんなにボロボロになることもなくほぼ平常心で吹くことが出来ました。
しかしあらためて練習不足で本番に臨むことの愚かさを痛感した出来事でした。
さてさて、師匠の代理はこれでひとまず終了。その他もろもろの環境変化についてです・・・。
その1。
師匠の入院で唄・三味線に合わせた練習の場が無くなってしまったので、以前から声を掛けられていた砺波市の先生のところへ「押しかけ出稽古?」をすることにしました。
こちらの先生の教室は個人レッスンではなくて合同練習なので、尺八を吹く身にとっては2時間以上いろんな曲を吹きっぱなしという大変勉強になるありがたい教室なのです。
加えて仙人のような地元の尺八の名人がおられますので、これまたいろいろと深い話が聞けて勉強になるのです。
車でかっ飛ばして片道40分はちょっと遠いのですが、しばらくは砺波通いが続きそうです。
その2。
急遽師匠のピンチヒッターで行って散々な結果だった例のステージですが、その民謡会の大先生から、先生の息子さんに津軽三味線を教えて欲しいという依頼を受けて、特に断る理由もないので引き受けることになりました。
先日1回目のお稽古をしましたが、学生時代に数年間細棹を弾いていたと言うこともあり将来有望です。そのうち一緒に全国大会へ行けるかもしれません。
交換条件と言う訳でもないのですが、私はこの大先生に西物の三味線を習うことになり、加えてこちらの会の会員にもなってしまいました。
おそらくこれからこちらの会の発表会やその他のイベントの尺八はすべて私が吹かなくてはならないのだと思います・・・ちょっと肩の荷が重いのですが・・・・。
その3。
どうも劇的変化というものは重なるようで、津軽三味線を習いたいという小学4年生の女の子から連絡を受けまして、先日お母さん同伴で練習の見学をして行かれました。来年1月から習いに来られるそうです。
バリバリ仕込めばこちらも2~3年後には全国大会に出られるようなレベルになるかもしれません。私の責任も重大です。
その4。
急に生徒さんが3人に増えてしまって、どこの馬の骨かわからないおっさんが偉そうに津軽三味線を教えているのもどうかということで、師匠に相談してようやく木田の名前を貰えることになりそうです。
他の流派では、ある程度の技量とお金があればすぐに名取りになれるようですが、木田林松栄直系のウチの教室は、技量が伴わない者には絶対に名前を与えないという方針なのだそうです。
鬼師匠のもとへ通って苦節6年(笑)、ようやく木田の名前がもらえるようです。
1ヶ月前まではぼーっと師匠任せで津軽三味線と尺八を習っていて、これまたぼーっと津軽三味線の生徒を1人教えていただけだったのに、ほんとうに劇的な変化です。
本業に、趣味にと、とんでもなく忙しいのですが、毎日が非常に充実していて睡眠不足もあまり気にならないようになりました。
おかげでバイクに乗る時間が全く無くなってしまいましたが・・・・。