瀬戸際の暇人

今年も偶に更新します(汗)

SFな世界。

2006年10月31日 20時24分24秒 | ただいまおかえり(雑記)
本日はハロウィーン。
それに合せてukoshi(少し)、ushigi(不思議)な話をば。(By.藤子・F・不二雄)


その前にハロウィーンについて、ちょっとだけ説明しますと――


キリスト教の諸聖人の日『万聖節』前夜(10/31)に行われる伝統行事であり、一般的にはお化けの仮装する祭として知られてます。


キリスト教的には11/1の『万聖節(アラーハイリゲン)』、そして11/2の『万霊節(アラーゼレン)』のがメインなのですが…クリスマスイブと一緒でね~、前夜行われる賑々しいイベントのが人気呼んじゃった訳ですよ。(笑)


てゆーか、そもそもキリスト教の行事ではなかった。
ヨーロッパの先住民族『ケルト』が、11/1を新年の始めとして祝っていた祭『サウィン』こそ、『ハロウィーン』の元祖だそうな。


…この辺り、元来の『クリスマス』と重なります。
此処のブログのクリスマス語りを参考にして頂ければ良いかと。


季節の節目や年の終りには魑魅魍魎が地上に出て暴れ回るのだと、大昔は信じられておったのですよ。
それ等を脅かす為に、自分達が化物の格好して暴れ回ろうという…言わば「先手必勝大作戦」に出てた訳です。

元は『クリスマス』こそ今の『ハロウィーン』的な、賑々しい死者の祭だったんだそうです。(今でもクリスマスにその習慣を引継いでる所も在ります)

所がキリスト教会側が、「クリスマスはキリストの生誕日」だと指定した。

クリスマスは『聖なる日』として浄化され、死者の祭は古代ケルトの習慣として伝えられていた11/1の祝日の方に移ってったと…解り易く説明するなら。(汗)


以下、植田重雄氏著、『ヨーロッパの祭と伝承』から抜粋――


11/1の『万聖節(アラーハイリゲン)』、11/2の『万霊節(アラーゼレン)』は、共に死者の祭で、前者はキリスト教の年間暦の上で特別に祭を行わない多くの殉教聖者の徳を偲ぶものであり、後者は近親者で世を去った者、祖先の霊等を祀る祭である。

ヨーロッパ先住のケルト民族は、この11/1を新しい年の始めとして祝っていたが、教皇グレゴリオ4世が835年、殉教者の祭と定めて以後、英国、次いでドイツでもこの習俗を採り入れた。

これに対し『万霊節』は、クリューニュのベネディクト派修道院院長オーディロによって998年、この世に生を享けて死んで行った全ての者を祀る日として定められ、その後1006年になって教皇ヨハネ19世が全カトリックの祭とすべしと勅令を出した。

しかし民間信仰の上では、古い暦の1年の終末に当る10/30~11/2(或いは11/8迄)の頃や、冬至の燻し十二夜の祖霊の祭には、死者が生れた家に帰って来ると広くヨーロッパで信じられていた。

これにキリスト教が新たにキリスト教的意義を与えて公に発表、クリスマスの季節から、収穫を終えた1年の終りの11月に移したのが『万霊節』である。


…日本で言えば『お盆』のようなものですね~。

昔はヨーロッパでも夏に祖霊祭行ってたそうな…今は夏至祭としてしか残ってませんが。
逆に日本では冬の祖霊祭は廃れて行った…ヨーロッパと違って温暖な気候だった為、冬の太陽の有難味をヨーロッパの人程感じなかったからではないかと。

大昔は1年の終りの基準が今みたくきっちりしてなくて、収穫終えたら年の終りで死の季節だったんですよ。
そんな理由から収穫終わって11月頃になると、年の終りの〆祭を行っていたみたいです。(そして春が来るまで続けられたそうな)

『クリスマス』がキリストの生誕日に決められ、「聖人が生誕した日に死者の祭なんてとんでもない!」と、祖霊を祀る行事は追い出されてしまった。

しかし民間の習慣として細々と生き残り、分化した形で確立したのが、今の『ハロウィーン』。

19世紀辺りに米国に渡ったアイルランド移民が、自分達の国で伝承されていた行事を伝えた。
行事の中のオカルト的要素が丁度米国人好みだった事から、爆発的にヒットを飛ばしたらしい。

こんだけ盛況になったのは案外最近らしいですよ。



……何だかハロウィーン話で充分長く埋められてしまった気がする。(汗)


しかし前述した以上、取敢えず書く。(汗)



子供の時から、自分は異界に憧れ、そして恐怖してました。


例えば横断歩道を渡ってる時、ふと足元を見る。

…引かれた白線が梯子の様に見える。

道路の黒い部分が、底無しの穴に感じられて来たりする。

線から足を滑らしたら、何処までも落下してくんじゃないか?

びくびくしながら、白線の部分を選んで渡ったものです。(恥笑)


…けど多分、子供の頃は誰でも考えた事じゃないかと。


目の前で陽炎がゆらゆら揺れてると、次元の歪みの様に思えたし。

桜の樹が幾本も重なり合ってる並木道を行けば、タイムトンネルを進んでる様な気持ちになった。

1本の樹を潜る毎に、百年の時を遡ったり下ったり…並木から外れた時には、別な時代に行ってるんではなかろうか?


トンネルの向うは別世界。

橋を渡ったそこは、貴方の知らない世界。

真夜中の学校のプールの底には、普段は現れない次元のホールが開いているのです。


………他愛無いガキの妄想なんですけどね。(恥笑)

大人になった今でも、時々思い出したりします。


高校生だった頃、こんな体験をした事が有る。


その頃通学に使ってたS線乗っていて…何時も通り終着駅の1つ前の駅で、私は降りようとしていた。

降りる予定の駅に着いて、けど、降りられない。

体が固まったみたいに、直立したままでいた。

焦ってる内に扉が閉まって、そしてまた電車は走り出した。

扉付近にもたれていた背中から、ガタゴト振動が伝わって来る。

車窓から、終着駅が在る街の、賑やかな景色が見えた。

諦めて次降りようと思った所で、車内に到着のアナウンスが響いた。

扉が開いて、一斉に乗客が降りる。

自分も押し出される様にして、ホームに降りる。


――そこでふっと、意識がはっきりした。


気付けば私は、まだ車内に居て…電車は終着駅の1つ前の、自分が何時も降りる駅に丁度着く所だった。


……それだけの話なんですけどね~。(笑)


現実的に考えるなら、ただ白昼夢を見ただけでしょう。

けど自分としては本当に不思議な体験で、暫く鳥肌が立ちっ放しでした。

物凄く怖く感じたんですよ。

あの時車窓から眺めた終着駅の様子も、耳に聞えたアナウンスも、未だにしっかり記憶しています。


普段過ごしてる世界に重なる様にして、違う世界が存在してるのかもしれない。

そんなような事を考えてしまう、少し不思議な体験でした。



万聖節の日には、妖精等が棲む世界と人間の住む世界とを繋ぐ門が開くらしい。(後、5/1の五月祭にも開くと言われている)


知らぬ間に世界を取り違えたりせぬよう、どうか御用心召されい。
コメント
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