kotoba日記                     小久保圭介

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自然薯としての古井由吉

2020年03月07日 | 生活
  


労働後
サイセイ氏と
ファミマのイートインで
話すこと3時間

「言いたいことがありすぎて」
が互いの言い分

まずは昨今の
流行病(はやりやまい)について
神道について

約1時間
神道での実体験を話すと
「もう答は出ちゃってるじゃん」
とサイセイ氏は
半分驚き
半分呆れて
笑った

あと2時間は
古井由吉さんのこと
未読であるということを
正直に言わねば
話にならない
それでも
サイセイ氏の古井由吉さんについての話は
面白過ぎてどうしようもない

「徳田秋声と夏目漱石」
ということを
サイセイ氏が以前言っていて
それを思い出した
近代というものと
古典というもの
憑依と国文学

「だったら古井由吉は自然薯だね」
と私が言ったら
「そう!」
と嬉しそう
近代は空を経由して
大江健三郎のように
木の枝をアンテナにして
取り入れる
面白かったのは
三島由紀夫のこと
「三島は三島文学として確立された」
とサイセイ氏は明言した
それも新鮮だった
本当にサイセイ氏は
近代文学というものが
何であるかが判っているのだろう
わたしには判らないことだらけだ

結局いろんな比喩が飛び交い
「J pop」が生まれた
という文学においての比喩は
驚いた
J文学というものが生まれた
秋声と漱石の中から

それは源一郎であったり
村上春樹であったり

山下達郎は村上春樹
という比較は面白かった

言葉の憑依ということで
古井由吉を語れば
石牟礼道子にも共通するものがでてくる

徳田秋声
室生犀星
金沢
泉鏡花
多和田葉子
伊藤比呂美
石牟礼道子
深沢七郎
大江健三郎
中上健次
ギリシャ悲劇
近松門左衛門
熊野
柄谷行人
大逆事件
村上春樹
高橋源一郎
椎名林檎
山下達郎
島田雅彦
吉本隆明
吉本ばなな
山口昌男
小島信夫
田村隆一
吉増剛造
最果タヒ
三島由紀夫
ジェームスジョイス
岸田劉生
近代

現代詩文庫
筑摩書房
ブロッホ
古代
言語の憑依
「最近の日本語はどう思うか」
という問いに
古井由吉は答えた
「壊滅的だ」
サイセイ氏は言う
「『壊滅的だ』とはっきり言ってしまう凄さね。曖昧じゃない。ブロッホを末オて小説を書き始めた人だからね」
「壊滅的だ」
その意味の真意をこれから
わたしは探っていかねばならない

問題は山積みで
「最後の文学者、古井由吉」

たくさんの固有名詞と文学用語が交わされ
わたしたちは
午後5時の段階では
ぐったり週末でもあるし
疲れていたはずなのに
「すっかり元気になった」
と二人で言い合う
互いにどれだけ文学が好きか
ということだ
サイセイ氏から
古井由吉の解説を訊いて
「今日会ったのは縁だね」
と言う
タイムリー過ぎる

時計を見ると
8時ジャスト
人気のないコンビニ
人気のないイートインで
わたしたちは
文学を語り合って
夜の道を
分かれて帰ってゆく

サイセイ氏に出会ったのはまだ
10年ほど前
中年期に出会うという
不思議な縁
あの時のことを
克明に覚えている

サイセイ氏と労働場が一緒になる時は
たいてい
どこかで帰り
時事問題と文学の話をすること
4時間ぐらい
今日は3時間
いつかの元旦は
7時間話したっけ
サイセイ氏は本来
社会学者肌なのだけれど
文学と社会学という二軸で
考える人

わたしたちは毎年
確実に歳を重ね
以前よりは短い対談になり
以前よりは幾分
文学が
判ったような気になっているのだった

夕暮れは消え
夜の中
わたしは帰る
文学臭を体に宿して
自転車を漕ぎ
エコバッグに
納豆や食パンを入れ
帰ってゆく




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