kotoba日記                     小久保圭介

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教養に飢えている

2020年11月24日 | 生活
  



三島由紀夫の動画見る
自決日が近くなると
年中行事の如く


三島が自決した時
まったく記憶なし
母が興奮して
「朝日ジャーナ(朝日グラフ?)に首が載っている」
とかなんとか
それを本ばっかの6畳間で見たような見ないような
「翌日には発売中止だった」
とかなんとか


ネットで検索すると
出た
三島の首
それを見た時
ああこの人には
思想というものがなかったんだ
と直感した
『早すぎた思想家』とか
『現代は三島が言っていた通りになっている』
とか
教養第一主義の人たちは
ずっと以前から
『早すぎる思想家』
と連呼する

ない
三島には思想はない
日本文化の一つとして
切腹の後の介錯としての首斬りは
武士道 葉隠れとして扱われるけれど
三島は武士道に憧れた

本気で憲法改正を思っていたとは
どうしても思えない
とどこかの学者が言っていた
それもそうだ
右翼の遊びはやりすぎた
世界中を震撼させる事件の裏側には
ノーベル賞がほしかったんだろうな
とわたしはどうしても思う
師匠である川端康成とのいきさつはきっとあった
今回はゆずる
そんなやりとりがあったかもしれない
ほしかったのだ
ノーベル賞が

三島はとても純粋で
涙が出るほど
純粋な人
それが大好き

でもね
三島のやった文学者以外の事柄は
全部嘘で三島の遊びです
「純粋右翼が三島を攻撃するのは論理的に正しい」
と言ったのは坂本龍一と誰かとの対談


三島の自決直後
横尾忠則や唐十郎らは澁澤龍彦宅に押しかけ
「三島の自決には納得できない」
と抗議すると
澁澤は喝破したという
「うるさい。三島は俺の友達だ」
この友情こそ
美しい
三島はどんなに喜んだだろう

生首は
ここに転写はしません
調べていただくと
出ます

生首を見ると
日本の教養第一主義者たちは
何も言えないはずだ
そこには
ただ
首があるだけだから
三島も教養第一主義者を嫌っていたから
そこが面白い人

三島が凄く援護した稲垣足穂は
辛辣に三島を批判した
「ええとこの坊ちゃんやな。初めから首が繋がっていないようなやっちゃ」
そういったエピソードも全部含めて
三島論をほぼ全部読んでいたころ
やっぱり
『早すぎた思想家』という言葉に惑わされた

違う
思想はない
首があるだけだ

ただ三島がノーベル賞を採って
生きていたら
今何を言うだろう
という人たちの思いには同感する

---

ノアハラリの特別授業の動画を見る
農場革命から断然面白かった
「ストーリー」
という言い方をしていた
宗教はストーリーだ


それはイスラエル近郊での
ノアハラリさんの実感からくるのだろう
と思った
世界中の宗教が
「ストーリー」という言い方で
括るには危険だし乱暴だと思う
知の人であっても
私情から構築する思想がある
そう思った

こういう動画を見ていると
よく思うことがある
今回はリモートで
各国の若い人たちが
ノアハラリさんに質問している
世の中には
見えぬところで
とても教養に飢えている人たちが
それも若い人たちがいる
それをとても素敵に思う

---


考古学者の先生に初めてお会いしたとき
「(わたしは)教養に飢えています」
と言ったら
とても感心したような
嬉しそうな表情をされた
それがとても私自身
嬉しかった

あの図書館からの道
橋を渡り
喫茶店で
藤井貞和の詩集のページを開き
「ここです」
と示すと
めがねをずらし
丹念に御拝読していたことを今でも鮮明におぼえている
「奥さんに言っておきます」
とおっしゃった
「国文学の人ですね」
と言った
「はい」と答えた

藤井貞和は国文学者であり詩人であり
言語学者とは違う


たくさんのお話をしていただき
それから数回
お会いして
構造主義を教えていただいた
それもわかりやすい話で
もう一人の人が
「(話に)ついていけない」
と言った

「わたしは小久保さんを論破することができますよ」
なんと買いかぶりなことをおっしゃっていただいたことだろう
論破の対象者にされるなんて今でも光栄
「批評とは批判のことです」
そうもおっしゃった
その意味を今でもずっと考えている
まだわからない

教養に飢えています
けれど教養第一主義者ではない


もしかしたら
たくさんの人が今でもそうかもしれない
二次的にしか見られない
ノアハラリの授業の景

考古学者の先生の著作を読み
のちにこう言われた
「小久保さん、人間は食べ物でできています」

わかりやすい言い方をしていただいた
もちろん
実際に口から入れる食べ物で体の細胞ができるのとおなじように
比喩として
何を読み

触り
行き
聞き
誰に会い


先生の言う
『食べ物』
の意味です

先生は柔らかい口調で呟くように私を批判したことがある
「わたしは馬鹿だから」
と言った時だ
「小久保さん、『馬鹿だから』って言ってはいけませんよ(そうやって逃げてはいけない)」
これは痛烈な批判で
よく覚えている
それ以来
「馬鹿だから」と逃げないようになった


教養に飢えた世界中の人たちが
今日も
何かを食べている









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