kotoba日記                     小久保圭介

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左利き

2010年06月08日 | 生活
友達からもらったビデオの中で、
吉田拓郎のライブテープがありました。
つま恋のイベントと、
篠島のイベントです。
篠島へ、僕らは行きました。
1979年の夏だということが判って、
同じ歳の春に、
僕は大阪の春一番コンサートの全部も、
観ています。
だから、
キャラバンのステージと、
いとうたかおがスタイルチェンジを果たしたステージと、
吉田拓郎の篠島を同じ年に観ているということです。
僕は、篠島の記憶が、
ほとんどありません。
だから、ビデオを観ても、
そこにいたという実感がないのです。
たぶん、その頃から、
吉田拓郎から、興味がそれてきていたのでしょう。

ビデオを観て、思い出したのは、
名古屋は市民会館大ホールで観た、
新六文銭。
そのメンバーだった吉田拓郎は、
さらさらの髪で、薄いブルーの、
ベルボトムを履いていました。
新六文銭の、歌で、
12階建てのバスが、バスがやってくる、
とか、歌われて、びっくりしたし、
ビートルズが教えてくれた、とか、
あのステージの方が、印象が強いのです。
調べてみると、僕が12歳の時で、
たぶん、母と行ったのだろうと思います。
母は役所勤めで、労音とか民音とか、
そんなチラシがよく回ってきて、
その流れで、歌が好きな僕を、
連れて行ったのだろうと想像します。

こないだ、左利きだった僕のことを、
母に訊いてみました。
どうだったのか、と。
すると、母は、
「ぼたんがはめにくそうだった」
と言いました。
確かに、男ものと女ものは、
ぼたんが逆で、
はさみとかが不便だったのは、
覚えています。
あと、野球のグローブは、
右用のものを、逆にはめて、
使っていました。
左利きというのは、
最初からそれが当たり前で、
それが不便だとはあまり気がつきません。
ただ、気がつくと、
定食が出てきたとき、
自然にお皿の位置を変えたり、
ご飯茶碗の位置を左にしたり、
ということをしています。
僕のギターは、ピッキングが下手で、
リズムが狂うので、嫌になったのですけど、
もしかしたら、あれは利き手じゃないからかな、
と言い訳がましく思っている昨今です。
「さっと出る手が左だった」、
と母は言い、そこで僕が左利きだと知ったらしいです。

麻丘めぐみというアイドルが、
「わたしのわたしの彼は左利き」、
と歌ってくれたのは、
世の中が右利き専用で作ってあることに、
何も言えない僕らにとっては、
少しうれしいこと、
だったのです。
だからといって、
麻丘めぐみの彼が、
本当に左利きだとは、
思いませんでしたけれど。



コメント
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