聖徳太子研究の最前線

聖徳太子・法隆寺などに関する学界の最新の説や関連情報、私見を紹介します

「憲法十七条」の「和」は断章取義であって『論語』の趣旨と異なる:佐藤一郎「中国古典における「和」と17条憲法」

2021年08月15日 | 論文・研究書紹介
 様々な共通点から見て「憲法十七条」と『勝鬘経義疏』は同じ人物が書いており、渡来した学者や学僧の支援を受けて聖徳太子が作ったとしか考えられないことは、すでに論証しました(こちら)。ただ、私は推古朝における聖徳太子の活躍を認め、生前から神格化されていたと考えていますが、戦前の太子礼賛派の学者たちのように、太子の事績とされるものを無暗に認めて賞賛ばかりするつもりはありません。

 「憲法十七条」は中国古典の言葉を多数用いてますが、出典となった書物をすべてきちんと読んでいたわけではなく、類書の「聖」の部分に見える用例を切り貼りして用いているらしいことは、早くに指摘しておきました(こちら)。今回は、かなり前の論文ですが、「憲法十七条」はそうした中国の典拠の本来の意図を無視し、「断章取義」的に用いていることを指摘した論文を紹介しておきましょう。

佐藤一郎「中国古典における「和」と17条憲法」
(『比較思想研究』11号、1984年)

であって、比較思想学会の雑誌、『比較思想研究』が「和」の特集をやって東西における「和」の思想を論じた際、中国学の立場から書かれた論考です。

 佐藤氏は戦後、北大で長らく教えた古代中国思想の研究者ですが、伝統的な中国哲学の学風にあきたらなくなり、比較思想学会を創設して会長となったインド学・仏教学の中村元に師事するに至った人物です。この論文執筆時は、北大を定年退職して名誉教授となっていました。

 さて、「憲法十七条」第一条冒頭の「以和為貴」は、『論語』学而篇の「有子曰、礼之用和為貴、先王之道斯為美、小大由之、有所不行。知和而和、不以礼節之、亦不可行也(有子曰く、礼の和を以て貴しと為すは、先王の道も斯(こ)れを美と為す。小大、之れに由れば、行われざる所有り。和を知りて和をすれど、礼を以て之を節せざれば、また行なうべからざるなり)」に基づいているとされてきました。『礼記』にもほぼ同じ文章が見えます。

 佐藤氏は、『論語』では「和」はあくまでも「礼」によって制約されるものであり、どんなことについても「和」を先行させるのはよろしくないとされているのに対し、「憲法十七条」では、「和」は何よりも重要な要請とされている点に注意します。また、「礼の用は、和を以て貴しと為す」という訓み方は、体用思想を用いるようになった宋代儒学のものであって「憲法十七条」の時代にはふさわしくないと注意します。

 そして、『論語』の「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」などの例を引き、「和」は違いを前提としたうえでの調和であって、完全一致の「同」とは違うことを指摘します。そして、儒教で最も重要とされるのは「仁」であって、「和」ではないと説きます。

 和音というのは、違う音があってこそのハーモニーなのです。だからこそ上下関係を基本とする身分・立場の違いを秩序づける「礼」を、ハーモニーである「楽(がく)」によって補完するのであって、「礼」と「楽」は一体のものであることを強調します。ところが、「憲法十七条」では「礼」は盛んに説かれるものの、「楽」はまったく登場しません。

 佐藤氏は、『論語』以外の「和」の例を検討し、『老子』では「和」を個人の心身の調和として説いていること、「中和」を強調する儒教の『中庸』では、「中」が根源的なあり方であって、それが現実に現れた際、様々な異なるものが節度にかなっている状態を「和」としていることなどを説きす。

 そこで、佐藤氏は、「憲法十七条」の「以和為貴」について、次のように述べます。

この句は有子言の前提である「礼」と和との関係を切除したもので、全くの断章取義的用法でえあり、中国の古代思想史からも断絶していることが明白になった。

 ただ、佐藤氏は、だから価値が低いとは言えないとし、「憲法十七条」のこうした「和」の背景となったのは、聖徳太子の権威か、仏教の権威、あるいは双方であるかもしれないとし、仏教思想としては「六和敬」の影響もあったと思われると述べています。

 「六和敬」の影響を想定する仏教研究者はそれまでもいましたが、中国哲学者である佐藤氏が説くというのは、まさに仏教学も学んで比較思想学会に参加していた佐藤氏ならではのことです。

 佐藤氏が指摘するような中国思想との意味のズレは、「憲法十七条」には数多く見られます。問題は、どの程度理解したうえで敢えて異なる意味で用いたのか、あまり理解しないまま言葉だけ用いた結果、そうなったのかという点ですね。私自身は、類書の「聖」の項目に並べられた様々な思想系統の用例を、当時の日本の状況に合うように切り貼りした結果、「憲法十七条」ができあがったものと見ています。

 儒教の言葉が多く用いられているものの、基調は法家の『管子』だと説く山下洋平氏の主張(こちら)は一理あるものです。基調は、私が指摘した『優婆塞戒経』などの仏教の影響と山下氏が説く法家の思想を合わせて倭国の現状にふさわしいものとし、そのうえで儒教や老荘思想の名文句を切り貼りしていったのではないでしょうか。
この記事についてブログを書く
« 推古天皇は中継ぎでもお飾り... | トップ | 瓦の様式と瓦窯と造営氏族か... »

論文・研究書紹介」カテゴリの最新記事