このところ、史学系の論文の紹介が少なかったので、以下の本をあげておきます。
中林隆之『日本古代国家の仏教編成』第一章「古代国家の形成と仏教導入」
(塙書房、2007年)
この第一章の特長は、盂蘭盆会を重視していることでしょう。「皇太子及び大臣に詔して、三宝を興隆せしむ。是の時、諸の臣・連等、各の君親の恩の為に、競いて仏舎を造る。即ち是を寺と謂う」という推古2年の記事については、一般的すぎるので信頼できないとする批判がありますが、中林氏は抽象的ではないとします。
氏が着目するのは「君親の恩」という部分です。推古十四年(606)四月壬辰(8日)条に、「銅と繍の丈六の仏像、並びに造りおわる。……即日、設斎す。是に会集せる人衆、あげて数うべからず。是年より初めて寺ごとに、四月八日・七月十五日に設斎す」とありますが、四月八日は仏誕会、七月十五日は盂蘭盆会の日です。盂蘭盆会となれば、近親や代々の親の追善・報恩を行うことになります。
古代日本では、臣連などは先祖が天皇に奉仕したこととする伝統によって職分を確保する以上、その「君臣の恩」を確認する機会として、最もふさわしいのは盂蘭盆会です。すなわち、先祖供養がそのまま忠誠を示す儀礼と重なるのです。
ですから、蘇我氏および蘇我氏と血縁関係がある王族が独占していた寺を、技術提供することによって(これも恩を与える一つ)他の氏族にも作らせて仏教に励ませるというのは、雄略朝頃以来の王権に対する従属関係を、「仏教的な報恩儀礼として表現した」ものだというのが、氏のとらえ方です。
氏は、『上宮聖徳法王帝説』のうち、現代の研究では第四部と称される部分の記事に注目します。「少治田の天皇の御世、乙丑年(605=推古13年)五月、聖徳王、島大臣と共に謀りて仏法を建立し、更に三宝を興す。即ち五行に准じて爵位を定む。七月、十七余の法を立つ」という箇所です。
『日本書紀』と年代が違っているため、別系統の資料ということになりますが、中林氏はここで仏法興隆と爵位の制定が一体となっていることを重視します。後に大化三年の冠位十三階で、冠・服を着用すべき時の一つとして「四月七月斎」があげられているのは、推古朝以来の伝統によるというのが氏の推測です。
こうした中林氏の主張によれば、初期の仏教を氏族仏教とする田村円澄氏の図式が誤っていることは明らかですね。
なお、『法王帝説』については、沖森卓也・矢嶋泉・佐藤信『上宮聖徳法王帝説―注釈と研究』(吉川弘文館、2005年)が出ており、有益ですが、仏教関係の用語の注釈については間違いや不適切な説明が多く、家永三郎の研究より遙かに後退しているのは残念です。
中林隆之『日本古代国家の仏教編成』第一章「古代国家の形成と仏教導入」
(塙書房、2007年)
この第一章の特長は、盂蘭盆会を重視していることでしょう。「皇太子及び大臣に詔して、三宝を興隆せしむ。是の時、諸の臣・連等、各の君親の恩の為に、競いて仏舎を造る。即ち是を寺と謂う」という推古2年の記事については、一般的すぎるので信頼できないとする批判がありますが、中林氏は抽象的ではないとします。
氏が着目するのは「君親の恩」という部分です。推古十四年(606)四月壬辰(8日)条に、「銅と繍の丈六の仏像、並びに造りおわる。……即日、設斎す。是に会集せる人衆、あげて数うべからず。是年より初めて寺ごとに、四月八日・七月十五日に設斎す」とありますが、四月八日は仏誕会、七月十五日は盂蘭盆会の日です。盂蘭盆会となれば、近親や代々の親の追善・報恩を行うことになります。
古代日本では、臣連などは先祖が天皇に奉仕したこととする伝統によって職分を確保する以上、その「君臣の恩」を確認する機会として、最もふさわしいのは盂蘭盆会です。すなわち、先祖供養がそのまま忠誠を示す儀礼と重なるのです。
ですから、蘇我氏および蘇我氏と血縁関係がある王族が独占していた寺を、技術提供することによって(これも恩を与える一つ)他の氏族にも作らせて仏教に励ませるというのは、雄略朝頃以来の王権に対する従属関係を、「仏教的な報恩儀礼として表現した」ものだというのが、氏のとらえ方です。
氏は、『上宮聖徳法王帝説』のうち、現代の研究では第四部と称される部分の記事に注目します。「少治田の天皇の御世、乙丑年(605=推古13年)五月、聖徳王、島大臣と共に謀りて仏法を建立し、更に三宝を興す。即ち五行に准じて爵位を定む。七月、十七余の法を立つ」という箇所です。
『日本書紀』と年代が違っているため、別系統の資料ということになりますが、中林氏はここで仏法興隆と爵位の制定が一体となっていることを重視します。後に大化三年の冠位十三階で、冠・服を着用すべき時の一つとして「四月七月斎」があげられているのは、推古朝以来の伝統によるというのが氏の推測です。
こうした中林氏の主張によれば、初期の仏教を氏族仏教とする田村円澄氏の図式が誤っていることは明らかですね。
なお、『法王帝説』については、沖森卓也・矢嶋泉・佐藤信『上宮聖徳法王帝説―注釈と研究』(吉川弘文館、2005年)が出ており、有益ですが、仏教関係の用語の注釈については間違いや不適切な説明が多く、家永三郎の研究より遙かに後退しているのは残念です。