郡保家の一日

極く有りふれた家庭です。その生活の一端を記録していきたいと思います。

「何でやねん」

2023年02月23日 | 日記

 朝は時雨れていましたが、11時過ぎからは良い天気で青空となり、卓球から帰ってきた家人に「何でやねん」と言われました。私と孫に「帰りは雨になるから傘を持って行った方がよい」と言われ、山手のコミュニティセンターへは徒歩で行ったからです。「何でやねん」と言った相手は私と孫、天気予報を出した人、お天道様だと思いますが私が代表して叱られました(叱られたと言うのは大げさで、聞きました)。センターでこんなことが書かれていたと教えてくれました。『言った人は水に流し、聞いた人は石に刻む』と…。これが言いたくて「何でやねん」と敢えて言ったのだと理解しました。傘を持ち歩いて行ったのは家人がそれが一番よいと状況判断し(大人として)決断したからで私の忠告に苦言を呈する資格は本来はないのですが、聞いた人はその結果責任を負いたがらず(回避したがる傾向にあり)、良かれと思って言った人を恨むことはよくあることです。言う人も聞く人もそういうことを弁〔わきま〕えなければなりませんね。

 今日の夕食は、


 ◆ヤンニョムチキン ◆ほうれん草の白和え ◆さらし葱とトマト ◆わかめスープ ◆ご飯 
   ~ 家人は辛いものは見ただけでも汗を出す過敏症ですが、孫はへっちゃら(平気)です。 ~

  追記: 刻石流水こくせきりゅうすい
「受けた恩はどんな小さくても心の石に刻み、施した恩(情〔なさ〕け)は水に流す」ことを言います(もともとは、仏教経典にあった『懸情流水 受恩刻石~情を懸けしは、水に流し、恩を受けしは、石に刻むべし~』から来ている言葉)。これを素材にとり入れて新しく警句を作られたのかなと思います。
一度口にした言葉は声として消えていきますが聞いた人の記憶まで消せません。言う人は何気なく言った言葉でも、聞く人にとってはいつまでも心の中に残ってしまう。「口は災いの元」と同様の意味ですが、聞く人も他人が皮肉めいた辛辣な言葉でも自分の為に言ってくれているとか、あぁこんなことは他人に言ってはいけないんだとか、それを恨むより、自分への養分として転換することが必要です。ある意味、自分の度量(人の意見や行動を受け入れる寛大な心)が試されていると発想・考え方を変え、水に流してしまうのが得策なのかも知れません。


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