一昨日、「普通に…」とこのブログで書いたけれど、あれから普通って何?と気になっていた。感覚的なものだから人それぞれ違って当たり前ではないのだろうか。また、今までの環境や、そのことに対する経験の量に寄っても違うと思える。他のことで秀でていれば簡単に出来、普通だと思えることも他の人にとっては難しく普通でないことも沢山ある。その総和を見ればほとんどの人は同じか、ちょぼちょぼの差でしかないが、出来ないことがあるとそれを大きく考え過ぎるきらい(性質+傾向)があります。NHK朝ドラ『舞いあがれ』の失踪した貴司くんが家に戻って来て親に自分の気持ちを打ち明ける。母親が「普通に幸せになって欲しいだけ」と言う。貴司くんは「その普通が僕にとってむずかしい」と答える。回りくどく言えば「僕の普通と周りの人が思っている普通が違う。だから辛い。」ということ。「従って僕の普通に合わせて生きていきたい。」ということだと思った。それぞれがそれぞれの普通を求めてそれぞれの居場所を見つけていく。同じ居場所にみんなが集まると困るでしょうから。
Every one is different, every one is special. (みんなちがって みんないい)が思い出された。普通って安易に使っているけれど一括りに出来ないことが分かりました。
(写真は家人がおじいさんテニスに行った公園。 ~まだ、秋の景色でした。同じ大阪でもいろいろと違います。~)





◆鮭の塩焼き ◆鶏レバーの串焼き ◆かんぴょうと高野豆腐の卵とじ ◆青菜のジャコ炒め ◆ご飯
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