僕の前世はたぶんオランダ人。

おもしろきこともなき世をおもしろく

ちんちくりんに涼をもとめて(鎌倉)

2020年08月16日 | ぶらぶらする
竹は涼しい。
うだるような暑さの
2020年盛夏にまったくふさわしい言葉じゃないか。
やってきました古都鎌倉。
鎌倉駅からバスで10分。
浄明寺で下車。
とことこ歩いて
はい!
報国寺!
なんでもミシュラングリーンガイドなる
観光マップで三ツ星を頂いたのだとか。
なお、鎌倉には2つの三ツ星があり
もう一方はこちらの東慶寺
こじんまりとしたお寺で
まずは緑の中を料金所まで歩く。
なお、無料ゾーンでは竹は現れぬ・・・。
ぬぬぬ。
鐘のある広場が料金所。
ここではなにがなんでも
お茶券つきの拝観券をゲットすることをお勧めしたい。
こちらでの見るべきは上記の鐘でもなければ
下記の枯山水でもなく。
ポコポコ掘られた矢倉でもない。
そう!
こちらの孟宗竹林!
狭いエリアに2000本の竹が植わり
竹を縫うように細い散策路が流れている。
そしてお茶券をゲットした
選ばれし者だけが
竹林を眺めながら
落雁とお抹茶を楽しむという
なんとも贅沢な特権を与えられる。
何度も言うが
何が何でも茶券はゲットして頂きたい。
どこまで行っても竹。
竹、竹、竹が生え。
土から生える竹の力強さを感じるもよし
節の美しさに見とれるもよし
どこかに迷い込んだような
まっすぐに伸びる幹に恍惚とするもよし。
けどなんといっても
竹の先穂の間から僅かに見える
青い空が好きだ。
庭は意外と小さいので
油断していると
あっ
というまに玄関口へ到着。
この狭さもまた鎌倉らしい。
山門までは両脇にいろいろな草花が植わっており
季節毎に違った様相を見せてくれそうだ。
今の時期は緑一色だけどね。
枯山水を眺め
竹林の余韻に浸りながら
報国寺をあとにする。
せっかくのなので
この辺りの寺を網羅しつつ
鎌倉駅を目指す。
バス通りを挟んで
北側へ5分ほど足を伸ばすと
鎌倉五山の一つ
浄妙寺へ到着。
バス停は浄明寺で
お寺は浄妙寺。
付近の地名は浄明寺。
まことややこしい。
ところでこの浄妙寺境内には
珍しいお稲荷さんが祀られており
「鎌倉」の名の由来になっているのだとか。
こじんまりとした案内に従い
右手の森へ歩を進めると

それがこちらの鎌足稲荷。
ものすごーくうっそうとしており
霊験あらたかというより
むしろ粗末にされちまっているような・・・。
浄妙寺も近代的な
ある意味行き届いたお寺ではあったけど
こちらは趣を感じるには
新しすぎて
早々に失礼させて頂く。
さて次の目的地は
打倒鎌倉の立役者
護良親王の墓。
浄妙寺から直線距離で200mぽっちなのだが
そこは山だらけの鎌倉のこと
たっぷり20分かけて迂回する。
イエーイ!
とテンションMAXになったのもつかの間
まさかの立ち入り禁止・・・。
昨年9月の台風の影響らしいが
なにやってんだ宮内庁!
もう1年も前じゃないか・・・。
涙・涙・涙・・・。
誠に遺憾ながらお墓の高台から
親王の故郷の京都方面を眺めて
溜飲を下げる。
そのまま紅葉谷をどん詰まりまで歩くと
鎌倉の奥座敷と称される
瑞泉寺。
炎天下にここまで歩くのは
正直しんどい。
はぁしんどかった・・・。
しかし目の前の階段を越えていかねばならぬときが
男にはあるのだよ。
あら二股でおしゃれ。
階段を上りきると
「吉田松陰先生留跡碑」なる石柱が。
下田で密航を実行する前に
こちらの住職に会いに来たのだそうな。
なんと住職が伯父だったのだとか。
さすが寅次郎。
顔が広すぎるぜ。
こちらの庭は石がメイン。
残念すぎることに岩の上の
一覧亭は一般非公開。
さぞ眺望が良かろうに。
本日2度目の立ち入り禁止に
しこたまがっくし。
しかし暑い・・・。
暑すぎるせいか
ここまで足を運ぶ観光客は皆無で
文字通り岩に浸み込んだような静寂。
境内の水道をお借りし汗を流し
木陰のベンチでたっぷり1時間の昼寝zzz。
14時半活動再開。
上りとは逆に苔むした階段で下山。
とにかく静かでいいお寺だった。
今のところ鎌倉で一番居心地のよい境内である。
早春は梅がきれいだろうな。
ちなみにこの界隈を歩くなら
瑞泉寺手前500mの
通玄橋のこの自販機群が最重要ライフライン!
ここを逃すと
コンビニどころか自販機もありません!
さて、鎌倉駅への岐路で
面白い史跡を発見。
永福寺とかいて
ヨウフクジと読む
消失した巨大寺院の跡地なのだとか。
微妙に復元された跡地は一目瞭然
中尊寺に代表される
奥州藤原氏が建立した平泉寺社仏閣群に瓜二つ。
それもそのはず
この寺は奥州合戦の後
奥州藤原氏や源義経を弔うために
頼朝が立てたの寺なのだとか。
残っていればさぞ荘厳であったろうに
今では一部がテニスコートになっちまうしまつ・・・。
さらに鎌倉駅へ歩を進め
鎌倉宮へ到着。
こちらの創建は明治2年とかなり最近のこと。
そんな新鋭神社の見所はなんと言っても
大塔宮が幽閉されたとされる土牢。
ご覧の通り鳥居も参道も
ピッカピカ。
コロナのせいで使えない手水も
なんだかかわいらしくデコる。
拝殿でパンパンしてから
土牢の待ち構える宝物殿へこんにちは。
明治天皇が建立を支持しただけあって
燦然と輝く菊のご紋。
宝物殿は
明治の元勲グッズがぎっしり笑。
なんかもう適当においちゃえ感が強すぎて
明治天皇の押入れに入りきらない思い出グッズを
鎌倉の物置小屋にもって来ました。
って感じ。
さてこちらが問題の土牢。

とにかくどんよりとした雰囲気が漂っております・・・。
しかし建立が明治に入ってからというのと
日本人特有の穢れの意識からすると
上述の永福寺しかり、
600年前の処刑地をそのままにしておくとは
とても思えないんだよな~。
歴史の謎解きはそれくらいにして
あと2件!
16時、荏柄天神社。

北野天満宮、
太宰天満宮とならび
この荏柄天満宮が
日本3大天神様の一角を占めるとのこと。
ホントかなぁ・・・。
境内へあがると
おっとっと
神様!
これは神様!
絵筆塚なる
見ようによっては若干卑猥な異物に
昭和の神々が降臨されておる!
これは黄桜の河童がらみらしいけど
これはすごいなぁ~。
肝心の拝殿は朱色で
100%天神さま。
こんなところにもちゃんと矢倉が。
結構細かくカツカツ削られてるんだなぁ。
玄関口にちゃんと梅印。
天神様だなぁ。
帰りの参道。
鎌倉市街が一望とはいかないや。
最後は鎌倉の盟主、
源頼朝のお墓参り。
白幡神社の横の茂みを上がってゆく。
階段の先で待ってくれてるのが
頼朝の墓。
1779年に島津家が経てたものなのだとか。
さすが鎌倉来続く由緒の名家。
帰りは江ノ電で。
すいているときは
山側に座ったほうが
海が良く見えてお勧め。