来たくて来たくて来たくて
どうしようもなかった
たてもの園に1年越しでやってきた。
都立小金井公園の一角にあり
公園駐車場利用の場合は
一番奥に停めると便利。
ビジターセンターも展示の一部で
1940年の皇紀2600年式典のために
皇居前に建てられたのを移築したのだとか。
1940年@千代田区皇居前
令和天皇即位の礼で使った建物も
記念物として移築保存してほしいなぁ。
ちなみにこの日は親子デーとやらで
父娘ともに料金無料!
ワーオイ!
最初の物件は米軍ハウスのような大田さんの家。
1925年@大田区田園調布。
平屋でパステルな木造壁、
家の前に広がる洋風な芝生。
とくれば横田基地周辺の米軍ハウス。
と思ったら大正時代の洋風造り。
当時としてはものすごくハイカラで有名だったと思われる。
なんとこの物件を含み全件バリアフリー。
素晴らしい!
次の物件はとにかく日当たりがすばらしい前川さんち。
1942年@品川区大崎
この方は有名建築家さんとのことで
パッと見は凡庸な豪農建築なのだが
居間の吹き抜けっぷりが凄まじい
相当なモダン建築。
当園内で住んでみたいナンバーワン建築。
次の物件は写真屋さん。
1937年@板橋区常盤台。
自然光で写真を撮るために
北側に大きなすりガラスをはめ込み
写真を撮るための自然の採光をしている。
スマホがある人はボランティアさんに
写真を撮ってもらおう。
フラッシュよりも柔らかな仕上がりに感じる。
次の物件は三井八郎右衛門邸。
1952年@港区西麻布
泣く子も黙る三井物産当主邸宅。
これはまぁ見ごたえがあるというか
宅内で実際迷子になれるというか
倉あり庭ありで何階にいるかも不明になる
THE・お金持ちのお屋敷。
後ろ手に庭を散策して日本を牛耳った気分に浸るもよし
蔵で迷子になり折檻される子供に気持ちになるもよし。
次の物件は綱島家。
江戸中期@世田谷区。
この当りはもう
大きな農家って感じで
祖母の家にそっくり。
こんな大きくてきれいではなかったけれど笑。
次の物件は奄美の高倉。
江戸末期@奄美大島。
えっ。
東京都関係ないじゃん笑。
天井部分が倉庫になっているとのこと。
八丈島にも同じものがあるよー
と言いたいらしい。
八丈島と奄美で同じ建屋があるって
何か交流でもあったのかな・・・。
次の物件は吉野家。
江戸末期@三鷹市野崎。
いわゆる名主さん。
地元の実力者ってやつですな。
囲炉裏でとろとろと火をおこしており
大分煤くさい。
これを
あー!
風情がある!
と感じるか否か二分されそうだけど
チビコはどうも苦手だった様子。
次の物件は倉庫。
江戸野菜も植えられており
なんだか文化人になった気分。
次の物件は八王子千人同心組頭の家。
江戸後期@八王子追分町。
徳川家康の江戸入府に伴い
旧武田家遺臣を中心に
武蔵国の西端の防衛をまかされた
幕臣を祖とする集団が八王子千人同心とのこと。
徳川への忠誠厚いこの地から
後の」新撰組が出たと思うと
実に感慨深い。
そしてここではたと気づいた。
縁側って
絶滅危惧種なんだろうな・・・。
縁側といって通じるのも
我々世代が最後だろうな・・・。
さてとにかく燻臭の充満する
農村エリアを脱出して
再度文明開化エリアへ。
次の物件はデラランデ邸。
1910年@新宿区信濃町。
こちらの物件は1階部分とテラスが
カフェとなっており
ちょとお高めの喫茶が楽しめる。
次の物件は自証印霊屋
1652年@新宿区市ヶ谷。
3代将軍徳川家光の側室で
10代半ばで他界したとも言われる
お振の霊廟。
徳川家光代のことともあって
プチ東照宮なデザイン。
ほんとにプチだけど。
次の物件は高橋是清邸。
1902年@港区赤坂。
時の大蔵大臣として軍縮予算を通そうとして
凶弾に斃れた雪の帝都の
2.26事件はあまり有名な事件。
広すぎず狭すぎず
利休の茶室にも通じるような丁度良さが特徴で
2階には2.26事件で襲撃をうけた部屋も残されている。
次の物件は会水庵。
大正期@杉並区西荻。
是清邸から西川邸を経てこの会水庵までは
一続きとなるよう
改築されている。
まぁ茶室なのだが
当園で中に入れない少数派のたてもので
ちょと魅力に欠ける。
次の物件は西川家別邸。
1922年@昭島市
多摩で製糸工場を起こした社長さんの
別邸とのこと。
是清邸と茶室の間に位置する。
是清邸とつながっているくせに
往来ができないようになっていて
不便を感じる。
こちら是清邸の庭園。
庭園の再現度も高いようで
ここは是非
後ろ手に庭を歩き回り
日本の行く末に心を砕いて頂きたいところ。
次の物件は伊達家の門。
大正期@港区白金
藩邸の門ではなく
廃藩置県後の宇和島伊達家の門だというから
旧殿様の門ということだ。
これは実に面白い。
宇和島伊達といえば
幕末四賢候の伊達宗城。
殿様は国がなくても金持ちなんだなぁ。
さてここからは商家を集めてひとつの町を再現している
東エリア!
もうこの辺りはタイプスリップしたようで
たまらない!
最初の物件は万世橋交番。
明治期@千代田区神田須田町。
さらに消防署の物見櫓。
そして路面電車!
もうここはなりきって
写真をバッシャバッシャととりまくる。
そしてドンッ!
でましたもう京都太秦っ?!
といいたくなるような
強烈な再現度のなかに
ついこの前まで
本当についこの前まであったじゃん!
といいたくなるような細かいディテールが
アップされている。
村上精華堂。
1928年@台東区池之端。
わお!
不忍池じゃん。
今は中小の出版業界が多い辺りだね。
あそこにこんなモダンな化粧品屋があったのか。
東エリアで唯一の農家、天明家。
江戸期@大田区鵜の木。
たてもの園内4件目の豪農宅。
農家は西エリアで満喫済なので
ここはほぼスルー。
広さがあるため
工作イベント等やっているもよう。
丸二商店。
昭和初期@千代田区神田神保町。
荒者屋とあるが
これはもういま神保町にあっても違和感ゼロ。
というか都心部にあれば
オモテナシ観光に大人気と思う。
この表現もすでに絶滅危惧種だろう。
家庭雑貨屋というか
なんならいっそホームセンターとでもいうか。
横の路地の最限度も必見!
武居三省堂と花市生花店
三省堂は1927年@千代田区神田須田町
生花店は1927年@千代田区神田淡路町
こうしてみると
100年前の学生街
神保町~淡路町が
いかに最先端の文化発信基地であったか
ということがよくわかる。
なお
三省堂の壁面には
千と千尋で釜爺がパカパカ開け閉めしていた
”例の戸棚”のモデルとされるものがあり
ちょっとしたインスタ映えスポット。
三省堂脇の土蔵。
中はうどん屋になっているので
小腹のすいた方は是非。
”ドラえもんの”
といっても差し支えなさそうな空き地
中に入って撮るもよし
上に腰かけて撮るもよし。
昭和のころはこんな空き地が
そこら辺にゴロゴロしていたっけ???
萬徳旅館。
江戸末期@青梅市西分町
昭和まで青梅街道で旅館を営んでいたとのこと。
仕立て屋。
1879年@文京区向丘
いいねぇ、これ!
そのまんま落語に出てきそうな町屋だよ。
裏庭なんて
気のいいご隠居が盆栽いじりでもしてそうだよ!
とはいえあがれないのは残念だな。
そして当エリアの最深部にして
最大の見所笑。
子宝湯。
1929年@足立区千住。
暖簾をくぐれば
カポーン・・・
という音ともに湯煙が立ち上る。
かと思うくらいそのまんま笑。
内部もごらんの通り素晴らしい。
男湯も
夢の女湯も笑
出入りし放題。
脱衣所のポスターも見逃せない。
『力道山xブラッシー』のWWA世界選手権試合。
分かる人だけ分かればいい笑。
居酒屋「鍵屋」
1856年@台東区下谷。
この辺りは低地を感じさせる地名が多く
実に興味深い。
下谷、谷中、鶯谷、入谷、山谷、松が谷・・・。
どんだけ谷底やねん!
対して高地は上野だけということは
やはり庶民は低地に密集していたということであろう。
いわゆる下町エリアで
大人のディズニーランドも近いことから
最盛期にはさぞ猥雑な賑わいをみせたと思われる。
近所にあれば贔屓にしたくなるような
味のあるカウンター席。
小寺醤油店
1933年@港区白金。
これも「つい最近までこうあったはず」
の醤油屋。
キリンの箱にアサヒが並ぶのは無粋としても
スーパードライが出る前の
アサヒのポジションなんてそんなもの。
『スーパードライ』という
ヒット商品ひとつで業界の盟主となる
まさにメーカー冥利に尽きる話。
和傘問屋の川野商店。
1926年@江戸川区南小岩。
へえーーー!
小岩で和傘が盛んだったとは知らなかった!
傘の紙貼りなんて
今でこそ伝統工芸のように扱われているが
当時はどうだったんだろう。
町場の職人が安い工賃で請け負ったり
内職のような扱いも多かったんじゃないかな。
商館エリアもあと2件。
ふぅ。
乾物屋の大和屋本店。
1928年@港区白金台。
つい先日までこうだったって!
鰹節も干物もこうやって並んでたって!
最後に植村邸。
1927年@中央区新富町
何をやっていたのかわからないけど
を髣髴とさせる。
最後はセミナーハウス内の
二十世紀浴場の看板。
廃業と同時に取り壊され
↑モッタイナイ!
看板だけがここたてもの園に実在する。
洋風銭湯というエッジのきいた
カテゴリーを切り開いた時代のパイオニア。
2007年まで三ノ輪に実在したのだそう。
取り壊しはもったいないけど
古いものは捨てないと
新しいものは生まれないんだよね。
モッタイナイとオモテナシの凝縮された
ここでしか堪能できない
100年前へのタイムスリップツアー。
交通の便はよくないけど
確実におすすめのテーマパークです!