旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

プーリアの美しい街~オストゥーニ

2016-04-04 10:59:42 | イタリア

※小さい写真は拡大してご覧いただけます

ポリニャーノに連泊して、プーリアの街をめぐる一日。

オストゥーニの街が丘の上に見えてきた オストゥーニ、の紋章は三つの塔がある城塞13世紀に皇帝フェデリコが建造したものがそのモデルだそうだ。

市場では彩ゆたかな地もの野菜が売られている⇒ 旧市街、大聖堂は15世紀末のゴシック様式 正面入り口、左でひざまづいているのが建築当時の司教。向かって右手の門上には、洗礼者ヨハネが「神の羊を見よ」と書かれた巻物を見せて立つ⇒内部はだいぶ改装されているが、後代に塗られた漆喰をはがした跡がある。中世的なカタチの十字架だ⇒ 教会というのは歴代の「えらいひと」によって改葬されてゆくのが運命。だから、そこに見えてみるものが「オリジナル」であることの方がすくない。この紋章がそこここに見られるが、19世紀のパルム(椰子の木)家が司教だった時代のようだ⇒

**街を歩く。丘の上なので、端までいくとこうしてオリーブの海と本物の海が見晴らせる場所に出る↓

丸い塔にくっついて建てられた家に、三つのちがった入口がとりつけられているのが目についた⇒ 正面から見ると、こんな感じ⇒ この三つ、いかな使い分けがされていたのか、想像してみる。 いちばん右のものは人間の通常の玄関。真ん中の大きいものは、馬車や荷車が入ってきた時の入口、だろう。 いちばん左は? この高さから想像するに、家畜を入れておくための場所だったのでは?・・・覗いてみると・・・今はゴミ溜めになっていたけのだけれど⇒

青空に映える白い城壁とそこにそのまま入り込んでいる住居⇒ 

・・・次は、ロコロトンドとアルベロベッロヘ向かいます。

 

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ポリニャーノ・ア・マーレ到着

2016-04-03 22:59:27 | ドイツ

《手造の旅》南イタリアで最後の滞在都市にポリニャーノ・ア・マーレを入れるのは、海に突き出したその佇まいが独特だから。


上の写真はいつも泊まるホテルの朝食ダイニングのテラスから。
**
美しい街なのだが、大型バスが楽に入っていけるとはかぎらない。特に到着した日は日曜日の夕方。交通規制が敷かれている→ドライバーのサルバトーレさん、がんばってくれましたが…ここまで スーツケースをしばしガラガラひっぱって、海岸へ出る。「ボラーレ」の作者であるドメニコ・モドゥーニョの両手を広げた銅像もある→ホテルはそのすぐちかく。荷物をおいてすぐ、夕暮れの旧市街を散歩に出た。

古代ローマ、トラヤヌス帝が敷設した街道が通っていた海岸がすぐちかく。

次の写真は新しく(たぶん19世紀初め?)建設された道路を、それ以前の(中世にはあったと思われる)古い橋から見あげたところ→

旧市街へは、かつてここが唯一の入口だった→
いっきに世界が変わる。それにしても日曜の夜は人出がすごい「何かのお祭りですか?」と地元に住む人に訊ねたが、日曜の夜はこんな感じなのだそうだ。季節も良くなってきたし、夕暮れを歩くのが気持ち良い。

←「いっしょに写真とってぇ~」ここはアジア人観光客はまだまだ少ないので、我々もスマホ写真のターゲットになってしまう。

人は多かったけれど、よい散歩にでした

 

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トラーニ、大聖堂と港町

2016-04-03 17:35:13 | イタリア

プーリア・ロマネスクの傑作のひとつに必ずあげられるトラーニ大聖堂↓

アドリア海に面し孤立した姿が印象的なのだが、なんでも二十世紀に周囲の建物を壊してこの姿に「した」のだそうだ。古い街で古いように見えるからといって12世紀からまったくそのままなわけではない。

改修されてはいても、トラーニ大聖堂がみるべき価値のある場所である。入口の彫刻はまごうことなき ロマネスク

柱廊→ 床は現代にものだが、一部にモザイク画が残されている→

内部に収蔵されているブロンズ扉同時代のもの この扉にも描かれている「巡礼の聖二コラ」が、この大聖堂の正式な名前になっている。実は地下に、それ以前の11世紀からの教会二つが今もみられるのである。↓

 

ひとつ下の階は聖母マリア礼拝堂。およそ九世紀ごろの部分だそうだ。北イタリアでよくみかけるロンゴバルド風に「蝉デザイン」のロマネスク柱頭がならぶ⇒ フレスコ画も残されている⇒ この階に、トラーニ大聖堂の本当の名前「巡礼の聖ニコラ」の遺骨が納められているのだ。    一角に、さらに下への階段がある⇒

地下二階に達すると、「あぁ、ここがオリジナルのスタイルだったんだ」と思わせるロマネスクのアーチ! ここはもっとも初期の西暦五世紀に建てられたという聖レウチョの墓所・教会だった場所が現れる↓

 三重に重ねて建設された教会だが、外観はすっきりとして、ただ美しい。特に後ろからのこの姿⇒

**近くにある城は、13世紀フェデリコ二世の時代のもの ちょうどアルキメデスの展覧会をやっていた。これって、昨年秋にシチリアのシイラクーサでやっていたものが回覧してきたのだろうか?

***旧市街

いちばん古い地区の入口にあるオンニサンティ聖堂は修復にはいっていた⇒十字軍騎士たちが出陣の前に祈ったといわれる教会。修復終わったら(いつだ?)訪れてみたい。

ジュデッカ(ユダヤ地区)の門があった場所⇒「黄金の門」と呼ばれている。かつては三つのシナゴーグがあるほど栄えていたが、現在は元教会のスコラ・ノーヴァがあるだけ⇒

****サン・ジャコモ教会

バスが駐車するすぐ近くの教会が気になった。これもかなり歴史あるロマネスクと見た⇒鐘楼は後付。入口は横からのアクセスになっている。しかし、右側に回り込むと、たしかにここが入口だったと思われる宙ぶらりんなアーチが開いていた↓

少ない英語解説版によると、たしかにここが入口で、かつてはバルコニーがあったのだそうだが、17世紀の地震で壊れてしまい、入口が変更されたとあった。上の写真で右下に開けられたおもしろい形の穴はなんだろう? 内部にはフレスコ画も残されているようだが⇒時間がなくて、ちらっと見ただけで、バスに乗ってしまった。ああ、残念。 ガイドブックなんぞに載っていなくてもおもしろそうな場所はたくさんある。トラーニ、またゆっくり訪れたい街である。

・・・と、話をしていたら、ここでグループを離れたガイドさんが、サン・ジャコモ教会を見てきてくださった!ちゃんとこういうことをしてくださるガイドさん、そうそうおられません。自分自身にしっかりした好奇心がなければ、出来ない事であります。⇒この話、こちらに書きました。

 

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カステル・デル・モンテ~皇帝フェデリコ二世の謎の城

2016-04-03 12:00:26 | イタリア

朝、マテラを出て二時間ほど走ると、カルテル・デル・モンテが見えてきた。 遠くからでも小山の上に冠を乗せたようなカタチが目立つ。

 

13世紀、同時代のイギリス人記録者が「世界の驚異」と讃えた、たぐいまれな知識と行動力と見識を兼ね備えたシチリア王フェデリコ=神聖ローマ皇帝フリードリヒ二世がこの城を建てた。丘の上の砦の様に見えるが、近づいてみると戦争に備えるような造りではまったくないことに気付く。堀もなければ銃眼もまったくない。

 

 

八角形を組み合わせてデザインされ、均整のとれた姿がとにかく人を魅了する。イタリアの1セント硬貨はこの城が刻まれているのも納得だ⇒ 空から見た写真⇒

 

建築形式を言えばロマネスクからゴシックということになるのだろうが、そういう分類はあまり意味がない。カステル・デル・モンテのような建物は他にはないのだから。

 

均整のとれた入口⇒ 研究によると、ここにレオナルド・ダ・ヴィンチのウィトルウィウス人体図がぴったり収まるのだそうだ⇒ 人間が気持ちよく感じられる「黄金比率」も上手に用いられている。

 

東西南北にあわせて幾何学的につくられている 装飾とちがって、幾何学的な気持ち良さというのは、軽々と時代を超えてしまう。

 

装飾の方は、オリジナルのものはほとんど失われてしまっていると言ってよいだろう。彫刻はどれも磨滅したり損傷したり⇒ ほんの一部残るオリジナルの床⇒おお、ここには正六角形が使われているではないか。

 

かつてあっただろうさまざまな装飾は剥ぎとられてしまっているが、使われた石のこだわりは感じることが出来る。皇帝を赤で象徴させている石⇒じ石がアクセントのようにそこここに使われている。次の写真、暖炉の煙突は壊されてしまっているが、その左右にデザイン的に使われている→ かつては柱も赤く塗られていたらしい。色が残る部分がみられる→  

 

フェデリコは中世のキリスト教人には珍しく毎日入浴したと言われている。イスラム教徒・アラブ人の習慣であろうと自分がよいと思ったことはどこでも継続した。この城でもちゃんと浴室とトイレが完備されている→ 三百年以上も後のヴェルサイユ宮殿にはトイレも浴室もなかったというのに。

 

中庭から上を見上げたこの青空が忘れられない。窓に立つ人を見るとそのスケール感が伝わるだろうか。

 

 

「ぴったり八角形」と思い込んでいたら、今回案内してくださった現地ガイドさんが、「いや、実は違うのです」と、面白い話を教えてくださった。→こちらに書きました

 

 

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マテラ、グラヴィーナ渓谷の吊り橋

2016-04-03 08:16:30 | イタリア

朝六時過ぎ、蒼く明けてきたマテラのサッシ地区。ライトアップがまだ残る二つの教会
 


ホテルから百メートルほどのところに谷へおりる急な坂道・階段がある

はじまりの部分だけはちゃんとしているが、すぐにガラガラで足元がわるくなる


マテラは尾根の部分にはバロック時代の町があるが、もともと二つの川が合流するグラヴィーナ渓谷への斜面に出来た中世の街。※古代の遺構もある。


さらにそれ以前のビザンチン時代には川を隔てた対岸の斜面に見られる岩穴に隠者が住み始めたのがはじまり。


この見学コースは最近になって整備されていったようだ。看板も標識も真新しい


今朝の散歩の目的地はこの吊橋。さっきの写真の場所からずいぶん遠くに見えているが、ほんの十分ほどで到着した



新しくきちんとした橋この先まで上っていけば岩窟教会もあるのだが・・・それはまたの機会(いつ?)としよう。



朝陽が射し始めたマテラの異様・威容を見上げる



上り坂はゆっくりゆっくり、それでも二十分もかからなかった




ちょうど上ったところで、これから降りてゆく二人にであった。小学校三年生の子は飛ぶように降りていって・・・あぁれもう吊橋で写真とってます


ホテルに戻って朝食⇒ よい朝の散歩になった


***さぁ、今日は、フェデリコ二世の謎の城、「カステル・デル・モンテ」を訪れる・・・


 

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