那覇のど真ん中にあるホンモノの中国庭園「福州園」
*
伊江島から本島に戻る。
この旅いちばんのお天気はまだ続いている。
「今日は海の色がきれいですねぇ」
ドライバーさんと相談して古宇利島の橋にだけ行ってみることにした。
橋でつながった古宇利島。
沖縄らしいブルー
↑正面の塔は「古宇利オーシャンタワー」有料展望台↓
無料ならちょっと行ってみようということになったかも。
島のまわりのビーチ
その美しさよりも気になるものがあった
本島側に見える赤い屋根は
「愛楽園」↑
昭和13年に開園したハンセン氏病の療養施設。現在も入所している方がある。申し込めば見学や入園者との交流も可能。
上皇ご夫妻はまだ皇太子だった1975年にここを訪れている。
※琉球新報の記事にリンクします
皇室は言葉ではなく行動で、知るべき場所を知らしめてくれている。
訪れる機会をつくってみたい(いつ?)
***
「『花の家』に住んでいる方があるんですよ。今電話したらちょうど満開だそうです。行ってみますか?」
ドライバーさんが勧めてくれた「花の家」に行った。
屋根全体を覆う南米原産のカエンカズラが盛り↑「いろんな取材もぜんぶお断りしているので…」ということで
※パスワード付きのサポーターページ向けでだけ
有名でなくても訪れるべき場所はたくさんありますね(^^)
近くの道の駅でタンカンジュースを売っていた。
今がシーズン。
****
那覇に向けて高速道路を南下。
「故障車渋滞が発生しています」
米軍車両が故障してよくこういうことがあるのだそうだ。
こういう車両は米軍でなければ回収できないので、サイレンを鳴らして大げさにやってきて、「その方が渋滞の原因になっているんですよ」と、ドライバーさん。
沖縄らしい↑米軍基地の内部も入ることができる「オーソライズド」のタクシー
*****
今日宿泊する那覇OMOの近くまでもどってきた。
冒頭写真の「福州園」に入る。
このエリアには福建省から移住してきた人々が暮らしていた久米村(=クニンダ)があった。
琉球王国が交易で栄えていた室町時代ごろから↓
↑小さな資料館の地図を見ると↑琉球が中国東南アジアと密接な関わりがあることが納得できる。
福建省福州から通訳や航海のプロとして移住した人々は、琉球王国と大陸とをつなぐ重要な能力を持った人々だった。
鎖国の江戸時代にも大切にされていた。
琉球ではじめての公立学校はこの久米村からはじまった。
職能集団の子弟にたいして江戸時代にできた「明倫堂」。
琉球皇子の家庭教師にもなった蔡温もここ出身
※沖縄人物伝のページにリンクします
沖縄戦で壊滅した後、1992年に再建された際には、福州から本場中国の職人たちがやってきた。
※「福州園」のページにリンクします
今日の夕食は「福州園」できたレストラン「クニンダテラス」にした。
近くに「明倫堂」が復元されが場所もある。
二階のレストランから福州園の庭へ直接出ることができる。
食事前に散策
敷地を広く感じさせるために曲がりくねったルートになっている。
↑欄干に彫刻された十二支は福州からの職人が刻んだものだそうだ。
那覇のど真ん中にこんな場所があるなんて
いちばんよく出るメニューはルーローハン
中国茶もオーダーしたらこんな↓ティーポットで出てきた
↑お茶の下に見える鉄の玉を、下の入れ物の取っ手に付いた磁石で移動させるとお茶が下に落ちてくる仕組み。
沖縄の定番・ゴーヤチャンプルーもありました(^^
この立地で↑何もない空を維持するのはむずかしい。
19時すぎにOMO那覇に到着。
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伊江島から本島に戻る。
この旅いちばんのお天気はまだ続いている。
「今日は海の色がきれいですねぇ」
ドライバーさんと相談して古宇利島の橋にだけ行ってみることにした。
橋でつながった古宇利島。
沖縄らしいブルー
↑正面の塔は「古宇利オーシャンタワー」有料展望台↓
無料ならちょっと行ってみようということになったかも。
島のまわりのビーチ
その美しさよりも気になるものがあった
本島側に見える赤い屋根は
「愛楽園」↑
昭和13年に開園したハンセン氏病の療養施設。現在も入所している方がある。申し込めば見学や入園者との交流も可能。
上皇ご夫妻はまだ皇太子だった1975年にここを訪れている。
※琉球新報の記事にリンクします
皇室は言葉ではなく行動で、知るべき場所を知らしめてくれている。
訪れる機会をつくってみたい(いつ?)
***
「『花の家』に住んでいる方があるんですよ。今電話したらちょうど満開だそうです。行ってみますか?」
ドライバーさんが勧めてくれた「花の家」に行った。
屋根全体を覆う南米原産のカエンカズラが盛り↑「いろんな取材もぜんぶお断りしているので…」ということで
※パスワード付きのサポーターページ向けでだけ
有名でなくても訪れるべき場所はたくさんありますね(^^)
近くの道の駅でタンカンジュースを売っていた。
今がシーズン。
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那覇に向けて高速道路を南下。
「故障車渋滞が発生しています」
米軍車両が故障してよくこういうことがあるのだそうだ。
こういう車両は米軍でなければ回収できないので、サイレンを鳴らして大げさにやってきて、「その方が渋滞の原因になっているんですよ」と、ドライバーさん。
沖縄らしい↑米軍基地の内部も入ることができる「オーソライズド」のタクシー
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今日宿泊する那覇OMOの近くまでもどってきた。
冒頭写真の「福州園」に入る。
このエリアには福建省から移住してきた人々が暮らしていた久米村(=クニンダ)があった。
琉球王国が交易で栄えていた室町時代ごろから↓
↑小さな資料館の地図を見ると↑琉球が中国東南アジアと密接な関わりがあることが納得できる。
福建省福州から通訳や航海のプロとして移住した人々は、琉球王国と大陸とをつなぐ重要な能力を持った人々だった。
鎖国の江戸時代にも大切にされていた。
琉球ではじめての公立学校はこの久米村からはじまった。
職能集団の子弟にたいして江戸時代にできた「明倫堂」。
琉球皇子の家庭教師にもなった蔡温もここ出身
※沖縄人物伝のページにリンクします
沖縄戦で壊滅した後、1992年に再建された際には、福州から本場中国の職人たちがやってきた。
※「福州園」のページにリンクします
今日の夕食は「福州園」できたレストラン「クニンダテラス」にした。
近くに「明倫堂」が復元されが場所もある。
二階のレストランから福州園の庭へ直接出ることができる。
食事前に散策
敷地を広く感じさせるために曲がりくねったルートになっている。
↑欄干に彫刻された十二支は福州からの職人が刻んだものだそうだ。
那覇のど真ん中にこんな場所があるなんて
いちばんよく出るメニューはルーローハン
中国茶もオーダーしたらこんな↓ティーポットで出てきた
↑お茶の下に見える鉄の玉を、下の入れ物の取っ手に付いた磁石で移動させるとお茶が下に落ちてくる仕組み。
沖縄の定番・ゴーヤチャンプルーもありました(^^
この立地で↑何もない空を維持するのはむずかしい。
19時すぎにOMO那覇に到着。