旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

2000年7月31日の板門店ツアー

2022-03-02 08:53:24 | 旅行
当時フィルムカメラで撮影していたものをみつけました。

北朝鮮側の「宣伝村」には高さ165mの国旗掲揚塔がそびえていた。
国旗は30mもあるそうな。

「宣伝村」とは、北朝鮮側が韓国側の人々に見せるために建設したといわれている無人の街。
建物は「はりぼて」で、人が住んでいない。
なぜそれとわかるのかというと、
「窓の灯りがいっせいに点くのです」とのこと。
この最前線では
南北関係の状況によって、南側に聴かせるためのプロパガンダが放送されたりビラが飛ばされて来たりするのだそうだ。

小松が一度しか訪れていない韓国だが、
その時のツアー主催者に「板門店ツアー」を提案して組み込んでもらうことができたのは幸運だった。

外国人のみ参加可能。ロッテホテルから朝九時半に出発。
ソウルから北へ約一時間で、国境ではなく停戦ラインに近づく。
統一展望台でイムジン河の向こうの北朝鮮を遠望。
川を越えてDMZ(非武装地帯)に入る。

DMZには1953年以来国際監視軍が駐留している↑
政治情勢により国も入れ替わるし人数も多い時は五百名だったが、今は十名程度なのだそうだ。
実質的にアメリカ軍が管理している。
昼食もアメリカ軍の施設にあるレストランにて。

こんなメニューだった↑


北朝鮮側の建物が見える↑↓北朝鮮側からも観光客が来ているようだ。

手前の水色の平屋は南北両方にまたがって建てられていて

韓国側の扉から中に入ると

部屋の中の北朝鮮側にサングラスをかけた兵士が微動だにせず立っていた↑
↑窓の外の二人も北朝鮮側の兵士。
↑韓国側との雰囲気の違い…
「この部屋の中だけは北朝鮮に行くことができますよ。北朝鮮の兵隊さんに触ってはいけませんが、いっしょに写真を撮ってもかまいません」

おそるおそるいっしょに写真を撮る子供たち
小松も撮っちゃいました
「向こう側のドアに向かって走り出したら亡命者になります」
冷戦時代、北からやってきた東欧の観光客が走り出して亡命した事件があったと解説された。

↑後に何度もニュースで見ることになった場所


休戦協定から十年の記念碑↑
当初、このDMZでは両国軍隊が自由に行き来していたのだが、
1976年にポプラの伐採をめぐって起きた事件によって厳しく分けられることになった。

そのポプラの木は↑「帰らざる橋」の近くにあった。
※捕虜交換に使われた橋なので「ここを渡った者は帰ってこない」からつけられた呼び名

8月18日、南北両軍が入り混じって橋の近くの整備をしていた。
アメリカ・韓国の兵士が橋の近くのポプラ並木を伐採しはじめると、
北朝鮮兵士が斧をうばっていきなり切りつけアメリカ兵二名が殺された。
上からの指示なのか?何があったのか、真相はわからない。

↑そのポプラの木があったところに建てられた記念碑↑
**
DMZであってもお土産屋があって、
DMZに張られていた有刺鉄線十センチほどが額に入って売られていたのを思い出す。
記念の缶バッジをくれたのがアメリカらしかった。

二十二年前にただ一度訪れた韓国での忘れがたい記憶である。













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