旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ニッカウィスキーの里、余市へ

2015-04-04 10:08:21 | 国内
ウィスキーが大好きなわけではないが、スコットランドへ行ってから興味を持っていた。
今年は朝ドラ「マッサン」をしっかり見ていたので、札幌へ来たタイミングで行ってみることにした。

調べてみると札幌から一時間半かからずに行けてしまう。今日は夕方17時の飛行機で東京へ戻るが、充分に時間はある。ゆっくり朝食を食べてから出発しても、午前中には余市の駅に到着した。この駅はいわゆるSUICAやKITACAが使えない。改札で紙の証明書を渡してくれる。もちろん、「マッサン」特需でたくさんの観光客がやってくる駅前には「ニッカ熊」駅を背景に

小樽からここまでの線路は崖と荒々しい海の間を走る。それを全然知らなかったので、不意に海が見えた時にはびっくりした余市もほんとに海に近かったと、地図をみてはじめて認識した


そして、駅からまっすぐ突き当りに、イギリス風の門構えを持つ石造りのの工場が見えている。
※手前のGINZAというパチンコ屋の前から、帰りに乗る小樽行きのバスが出ている

駅から工場までの道はマッサンの妻リタの名前から「リタ・ロード」と名付けられている


ニッカの工場は今でも現役でつかわれているが、そこをなんと、無料で!見学させてくれる。

待てば、ガイドさんが案内してくださるのだ。

アーチをくぐるとテレビでも見慣れた建物
見学地の地図


はじめは自分でまわろうとおもったが、ガイドさんツアーに遭遇すると、習性のように同道した(笑)

制服はスコットランドのキルトをイメージしたタータン柄である。

この場所は、蒸留窯ポット・スチルが稼働している。十分毎には石炭での温度を調べに職人さんがやってくる。今でもこういった伝統手法を使っているのは、世界でもここだけになってしまっていると、ガイドさんのお話し。奥から三つ目に小さ目のポット・スチルが見えるが、これが昭和九年の創業当初から使われている初代なのだそうだ。

蒸留され樽に詰められた原酒が熟成する年月を送る貯蔵庫。その第一号がこれ昭和九年の当時そのままのかたちを残しているドアを開け放して観光客が自由に出入りできるようにしているこの倉庫だけは、温度管理が出来ないので実際の熟成にはつかわれていない。

●「リタ・ハウス」と呼ばれる建物は、かつて研究室だった

●政孝とリタが住んだ家は、当時二キロほど離れたところにあったのだが、現在工場敷地内に移築されている。

入口ポーチは、リタの故郷の家をモデルにしているのだとか。

●博物館では、ウィスキーの歴史や作り方が説明されている。
樽で熟成する間にウィスキーは蒸発し続け、三年で三分の一、五年で半分にまで減ってしまうのだそうだこれを「天使の分け前」と呼ぶことは、JALの機内で同名の映画をみて知った。
ウィスキーはつまり極端に長い年月熟成させたものは存在しない。最長で五十年程度。五十年も経つと、樽の中にはほとんど液体が残らなくなってしまう。

さらに進むと、政孝の勉強ノート英単語ひとつひとつから丹念に記入されている。人は「忘れる生き物」なので、知識を留めて蓄積するには必ず記録しておかなくてはならない。書き留めることの大切さをよくわかっていた人なのだ。

パスポートが展示されているアメリカ経由でロンドンへ向かったのがわかる。

履歴を読んでいておもしろかったのは、8歳の時に階段から落ちて鼻を強打し、七針も縫う大けがをしたのに、それ以降「人に感じられない香りを感じられるようになった」のだそうだ。人間、何が幸いするかわからない。


最後に別棟の試飲へ

ここではなんと無料で!二種類のウィスキーを試させてくれる。


お土産屋で、ここ限定のウィスキーキャラメル、購入しました。
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