「恩を忘れない」、「弱きを助け、強きをくじく」、「不条理なことには損得を抜きにして立ち向かう」、「筋を通す」などなど・・・。
ヤクザもなかなか良いことを言う。
「ヤクザ世界の義理人情、任侠道は、良いことを言っている」という理由で「道徳の教材に使おう」と言ったら、どんな反応を示すであろうか?
教育勅語で見せたように、「親孝行や学問の奨励など、普遍的な部分まで否定すべきではない」、「憲法や教育基本法に反しない適切な配慮の下で教材として取り扱うことまでも、あえて否定すべきではない」と、弁護するだろうか?
教育勅語であろうがヤクザの掟であろうが、世の中のたいがいのものは、一部分だけを抜き出せば、その中に良いところがある。
問題は総体としてどうなのか、そして目的の中心になっていることが何か、ということである。
教育勅語は、1948年に国会で全文の排除・失効が決議された。言うまでもなく現憲法の精神と相いれないからである。
ヤクザ世界でも、「大義名分をわきまえ、社会に貢献することを期す」、「人の踏むべき道を重んじる」としている。ほかにも「家族の平和」まで掲げている。
そのことを誰もダメとは言えない。
しかし、彼らの実態を見れば・・・建前でしかないことを誰しも疑わない。
教育勅語は「良いことも言っているから」、というのは詭弁である。
教育勅語をかざして、不条理なことを国民に押し付けてきた歴史がある。
国民を弾圧する免罪符になっていた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます