ジジババのたわごと

孫たちさらにその孫たち世代の将来が、明るく希望が持てる時代になってほしい。

新人先生もすべて一人で

2017年04月04日 | Weblog


先生という職業は、一般企業の社員と異なった環境に置かれている。
ざっくり言えば、先生は・・・初心者でも全てを一人で担う

学級の担任になった小学校の教師をイメージするとわかりやすいが、経験2~3年の先生も10・20年のベテラン先生も、任される範囲はほぼ同じである。
まだ日が浅いからといって仕事が減るわけでないし、求められることが軽減されるわけでもない。同じ仕事を同じ深さで要求される。

職種によっても違うが一般企業や官庁、ほかの組織でも、新入社員として入社したあと2~3年は一人前ではない。ベテランがサポートしながら徐々に職務の範囲を広げていく。
マニュアルによって経験がなくても行うケースもあるが、軽易な業務に限定される。

仕事に対する結果の責任も、上司・部下の繋がりで本人以外の者がかかわってくる。
成果に対する人事評価も、年数の浅い者を10年選手と同じくは扱わない。別々の基準を適用する。

先生が置かれた縦割りの仕組みが、負担感や労働時間に関係していないだろうか
複数の者で責任を担うシステムを形成していくことができれば・・・改善されるように思う。
実際の現場にどのように適用するかとなると容易でないし、人的な補強が必要になるかもしれないが・・・?


もう一つの課題は、学校の閉鎖性を解消することである。
学校内の事、特にいじめに代表されることを外部に知られるのはまずい、という風潮がある。
なぜか?

“学校の評価が下がり、先生の評価が下がる”ことを恐れるからである
校長や先生方の偽りのない気持ちである。
だからいじめ問題を出来る限り隠密に収めようと行動する。

父母や一般市民は、いじめがあると聞いたからといって、その学校を非難することはない。
反対に、いじめがあることを知りながら、先生や学校が行動を起こさなかった場合や知らないふりをしたときは非難が高まる。

保護者や校外のみんなで対策を考えた方がよいケースが少なくない。
いじめの実情を積極的に伝えたら、いじめをなくすことに協力しようという機運が高まることも期待できる。
だが現実は、決してそのような選択をしない。

元凶は教育委員会である。
「いじめについては、どの子どもにも、どの学校においても起こり得るものである(文科省)」と、表向き取り繕っているが、建前に過ぎない。
「いじめが表ざたになるのは困ったものだ」と、非難する本音が教育界の底にある

いじめが報告されたとき、「早期発見できた」と歓迎する風土があれば、ずいぶんと違ったものに変わる。
最低限、いじめを報告したことで評価が下がらない、という保証が必要だ。
自分のクラスのいじめを気兼ねなくオープンにして協力求めることができる環境が欲しい。 
そうなれば深刻ないじめが減るだろうし、いじめ自体の件数もずいぶんと減るに違いない。


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