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近代革命の社会力学(連載第315回)

2021-10-21 | 〆近代革命の社会力学

四十五 ギニア‐ビサウ独立革命

(3)ゲリラ戦と解放区の統治
 1963年から本格化したギニア‐ビサウ独立戦争は、カーボヴェルデを包括したPAIGCによって一元的に展開されていき、アンゴラ、モザンビークを含めたポルトガル植民地における三つの主要な独立戦争中で、最も成功を収めることになった。
 その軍事的な秘訣として、狭小な地域で密林を利用した小規模戦闘部隊によるゲリラ戦として展開されたことがある。対するポルトガル軍はアンゴラ、モザンビークというより広大な植民地で同時発生した独立戦争への対策上、ギニア‐ビサウに戦力を集中できない事情もあった。
 また、PAIGCが近隣諸国及び東側陣営の大国から効果的な支援を得られたことも大きい。ことに隣接する先行独立国家のギニアやセネガルが支援し、港湾の使用など物理的な便宜を図ったことは大きく寄与し、中国とソ連が当時の対立緊張関係を越えて支援したことも大きかった。
 さらに、特筆すべきは、西側陣営に属していたスウェーデンがポルトガル植民地独立運動を支持し、1968年に、ポルトガル植民地の自治を要求する国連決議2395の採択を推進したことである。
 そうした有利な事情から、PAIGCは比較的短期間で、狭小なギニア‐ビサウの主要地を陥落させ、1968年までに全体の三分の二の地域を面的な支配下に置くことに成功する。
 支配下に置いた地域は、解放区としてPAIGCが直接に統治した。その点、PAIGCは単なる武装ゲリラ組織ではなく、政党として組織化されていたことが役立った。
 PAIGCはゲリラ部隊の戦闘員が現地住民の信頼を得られるよう、コミュニケーションスキルの訓練を施す準備をして臨んでおり、ゲリラ闘争でしばしば発生しがちな戦闘員と非戦闘員住民の衝突や戦闘員による人権侵害を回避した。
 抗戦中の解放区の統治で最も困難なのは経済運営であるが、その点、PAIGCは解放区内ではポルトガル通貨の使用を禁止しつつ、農産物と必要な物資を交換する人民倉庫という独自の物々交換システムを構築し、民生を保障した。
 また、PAIGCの実質的な最高指導者であったアミルカル・カブラルは農業技術者としての知識を生かして、戦闘員に農業技術を伝授し、地元農民にも技術指導できるように訓練したことで、解放区における農業生産性の向上とゲリラ部隊自身の自給自足態勢を一挙両得的に確保した。
 さらに、スウェーデンがPAIGCを全面的に支援し、60年代末から非軍事的な分野に限定しつつ、多額の援助を行い、中でも医療や教育、その他社会サービス関連の最大支援国となったことも、解放区における民生に寄与した。

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