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貨幣経済史黒書(連載第41回)

2021-10-24 | 〆貨幣経済史黒書

File40:暗号通貨事件簿

 貨幣経済の技術的な進歩は、物体としての貨幣を直接に交換する現金取引を廃してクレジットのような信用取引、さらには電子化された貨幣価値をやりとりする仮想通貨取引へと、物体としての貨幣が姿を消すという逆説的な現象を引き起こしている。
 ただし、このことはシステムとしての貨幣経済そのものが廃されたことを意味しておらず、貨幣交換が物体としての貨幣ではなく、電子化された貨幣価値のやりとりという抽象化された形態に変化したことを意味しているにすぎない。
 そのため、硬貨や紙幣のような「現金」と対比する意味で「仮想通貨」という用語が使われてきたが、そうした仮想通貨の普及により、資産の存在形態も電子的に暗号化されるようになったため、近年は「暗号通貨」、さらには暗号通貨で形成された資産という含みで「暗号資産」という総称も登場している。
 暗号資産は晩期資本主義における新たな資産形成の方法として注目されているが、国家による信用と管理の下で発行・流通される現金通貨とは異なり、責任ある発行主体も公的な取引所も存在しない私的通貨に近い暗号通貨には多くのリスクが伴う。
 すなわち、暗号資産が文字通り一瞬にして「消失」したり、現金通貨に比べて追跡が困難で、隠匿しやすい暗号資産を利用した恐喝被害に遭うといった新たな事件が近年、頻発している。
 こうした暗号資産の暗部を浮き彫りにする事件の数々は、現時点では現在進行中の同時代史の範疇に入るため、様々な解説が書籍やウェブ上でもなされているので、詳細はそれらに譲るとして、ここでは暗号資産を象徴する三つの事件に触れておきたい。
 一つは、暗号資産の草創期2014年に日本で起きたマウントゴックス事件である(発生当時の拙稿)。これは当時暗号通貨ビットコインの世界最大級の取引所に成長していたマウントゴックスに預託されていた470億円相当ビットコインが「消失」した事件である。
 運営会社は当初サーバーがハッキング被害に遭ったとしていたが、捜査の結果、事件当時のマルク・カルプレスCEO(フランス国籍)自身による業務上横領であった疑いが浮上、同氏が起訴され、有罪判決を受けることとなった。しかし、判決は横領罪に関しては無罪とし、検察側も控訴せず確定したため(私電磁的記録不正作出・同供用罪に関しては有罪確定)、「消失」の真相は未解明である。
 この事件は、言わば暗号通貨の「銀行」に近い機能も持つ取引所がガバナンスに限界のある私企業によって運営されることの危険性を浮き彫りにしたが、会社の説明にあった外部からのハッキングも技術的にはあり得ることで、まさにそれが明らかになったのが、2018年に発生したコインチェック事件である。
 この事件は暗号通貨NEMを扱う取引所コインチェックからNEM約580億円相当がハッキングにより「消失」した事件である。消失するまで約20分という熟練した窃盗犯並みの早業であった。本件も日本に本拠を置く取引所での事件である。
 こうしたことが起きるのは予見されており、行政からもセキュリティー対策が勧告されてきたものの、私設取引所の限界ゆえ、どの程度のセキュリティー対策が採られるかは運営会社の経営姿勢次第という心もとなさである。
 *ちなみに、ハッキングによる暗号資産「消失」の被害額においては、2021年8月、中国に拠点を置く分散型金融プラットフォームのPoly Network(ポリ・ネットワーク)で発生した約6億ドル(660億円相当)の被害が現時点での史上最高額とされる。こうした“新記録”は今後も更新されていくだろう。
 さて、三つ目は暗号資産を利用した恐喝事件として、2017年に世界を揺るがせたWannaCry(ワナクライ)事件である。これはコンピュータをWannaCryと称するマルウェアに感染させ機能停止させたうえ、解除の代償として暗号資産ビットコインでの支払いを要求するという人質(コンピュータ質?)事件にも似た恐喝事件であった。
 これは全世界200近い国のうち150か国20万台を超えるコンピュータを感染させるというまさにグローバルな被害を発生させた事案であり、中でも英国の国営無料医療制度である国民健康サービス(NHS)では、数多くのNHS系医療機関でシステム障害により救急を含む医療行為が提供できなくなるという人道的被害さえも生じた。
 こうしたハッキング事件の常として、捜査技術が犯人もしくは犯行グループの“技能”に追いつかず、ほとんど全容解明に結びつくことはない。
 WannaCry事件では、アメリカ政府が北朝鮮との結びつきが疑われるLazarus Group(ラザルス・グループ)なるハッカー集団の関与を示唆、これまでに数人の北朝鮮国籍ハッカーを所在未特定のまま起訴しているが、北朝鮮は関与を否定しており、現実に刑事裁判がなされる可能性は低いだろう。
 かくして、貨幣なき貨幣経済の時代には伝統的な現金経済時代には想像もされなかったSFばりの怪事件が起きる。暗号資産事件簿はまだ現在進行中であり、今後さらに新事件が追加されていくであろうが、基本的に貨幣経済「史」を扱う当連載では、新事件は論外の話題となる。

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