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共通世界語エスペランテート(連載第17回)

2019-07-25 | 〆共通世界語エスペランテート

第2部 エスペランテート各論

(3)基本品詞①

Ⅰ 普通名詞

 エスペランテートでは、名詞・動詞・形容詞・副詞という基本品詞にごとに統一された語尾(品詞語尾)がわりふられる。このような品詞語尾というしくみは、祖語であるエスペラント語からの継承である。

 名詞は語幹に品詞語尾‐oを付加してえられる。名詞の複数形はoのあとに複数形語尾-yを追加してえられる。

 例;orano(人)/oranoy(人々) mono(金銭)/monoy(資金)

 なお、エスペラント語の名詞は唯一の格変化として目的格をもち、名詞語尾のあとに‐nを付加するが、エスペランテートの名詞は格変化しない

 例;Mo habi espero.(わたしは希望もっている。)⇔ エスペラント語の場合:Mi habas esperon.

Ⅱ 固有名詞

 固有名詞に関しては、つぎの法則にしたがう。

○固有名詞は、すべて大文字で表記する。

○固有名詞は、名詞語尾-oをともなわない。

○外来の固有名詞は、それが属する民族言語の発音に可能なかぎりちかい表記をする。ただし、ラテン文字での正式表記法があるばあいは、それにしたがう。

 たとえば、日本は英語でJapan、エスペラント語でもJapanio(名詞語尾つき)と表記されるが、エスペランテートでは、NIHONまたはNIPPONと表記される。一方、ニューヨークのような固有名詞は英語の正式表記にしたがい、NEW YORKと表記される。

Ⅲ 冠詞

 エスペランテートには冠詞は存在しない。ただし、普通名詞の頭文字を大文字で表記することによって定冠詞と同等の機能をはたさせることはできる。

 たとえば、Jo esti Baramenteyo.(あれが、かの議事堂だ。)のようにである。しかし、おおくのばあい、tiu(その)/diu(あの)といった相関詞をつかうことでたりるだろう。

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共通世界語エスペランテート(連載第16回)

2019-07-20 | 〆共通世界語エスペランテート

第2部 エスペランテート各論

(2)発音法則

 習得容易性という世界語の条件からすると、エスペランテートの発音法則は可能なかぎり簡単明瞭でなければならない。その点で、エスペランテートの発音法則の特徴はつぎの四点に集約される。

Ⅰ 母音はa e i o uの五つである
Ⅱ すべての単語はかかれたとおりによまれる
Ⅲ アクセントはつねに最後から二番目の音節にある
Ⅳ 声調は存在しない

 この四点はエスペランテートの祖語であるエスペラント語の発音法則と共通であるが、いくつか補足すべきことがある。

 まず一番目の五母音主義は、母音数をしぼることで、英語にみられるような区別の微妙な曖昧母音を排除する趣旨である。いずれの母音も明瞭に発音される。

 二番目の文字と発音の一致は、フランス語や英語にもみられるように、表記されているが発音されない黙字やおなじ文字が単語によりなんとおりにも発音されるといった変則が一切存在しないことを意味する。
 
 三番目の固定アクセントは、単語ごとにアクセントの位置がことなる煩雑さを排除する。たとえば、エスペランテート:ESPERANTETOのアクセントはTEのところにある。日本語でカタカナ表記するばあいは長音記号ーを付するが、発音に際しては日本語の長音ほど長く伸ばさない。あくまでもアクセントの問題である。 
 ただし、アクセントのある音節は明瞭につよく発音されるので、こころもちながめになるだろう。結果的に長音にちかくなるが、いわゆる長母音となるわけではない(長母音と短母音の区別は存在しない)。
 なお、固定アクセントのみさだめに関して、auのような二重母音は母音一個とみなされるので、たとえば、hierau(きのう)のアクセントの位置はhierauとなる。

 四番目は、中国語に代表されるような音の高低調が音節ごとにさだめられた声調言語ではないということで、結果として比較的平板な発音になるが、声調を習得する労は要しない。

 なお、子音に関しては、前回文字体系に関連してふれたように、エスペランテートにはF/fやV/vのような唇歯摩擦音、歯茎側面接近音L/lの音素が存在しないほか、P/pの音素は、その出現範囲が限定されている。

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共通世界語エスペランテート(連載第15回)

2019-07-19 | 〆共通世界語エスペランテート

第2部 エスペランテート各論

(1)文字体系

 世界語の相対的な条件として、習得容易性という性質は最重要のものである。その点、かきことばをともなう言語習得において最初の関門は文字であるが、世界語の文字体系は極力簡便であることが習得容易性をたかめる。
 エスペランテートでは、英語等とも共通するラテン式アルファベット(ローマ字)を使用する。おそらく、ラテン式アルファベットがもっとも簡便な文字体系だからである。

 この点で世界語の絶対条件となる言語学的中立性がとわれるが、今日ではおおくの非西欧言語でもラテン文字表記を正書法表記もしくは補助的な表記として公認していることにかんがみると、ラテン文字の採用は許容される範囲内といえるだろう。

 エスペランテートの文字体系は、英語より5個少ない以下の21文字(大文字/小文字)で構成される(カッコ内は発音)。
 エスペランテートで大文字が使用されるのは、文頭単語のはじめの一文字のほか、人名や地名等の固有名詞である。固有名詞は、そのすべてを大文字で表記する。例:YAMADA TAROU(山田太郎)

 A/a[アー] B/b[ボー] C/c[ツォー] D/d[ドー] E/e[エー] G/g[ゴー] H/h[ホー] I/i[イー] J/j[ジョー] K/k[コー] M/m[モー] N/n[ノー] O/o[オー] P/p[ポー] R/r[ロー] S/s[ソー] T/t[トー] U/u[ウー] W/w[ウォー] Y/y[ヨー] Z/z[ゾー]

 上記のうち、W/wは下記の準文字hw及びbwにおいてのみもちいられる形式文字であり、単独ではもちいられないので、実質的な文字数は20個とみなすこともできる。

 P/pは単語の語頭にたたず、語末にもつかない。また、P/pはうしろにかならず母音をともない、子音をともなうことはない。ただし、外来語の固有名詞のばあいは、そのかぎりでない。

 rは原則として、まきじたで発音されるが、arのように、rが単語の語尾につくばあいは、まきじたにならず、標準英語のrのような歯茎接近音となる。なお、まきじたができないばあいは、各自の母語のr音の発音で代用してよい。

 文字のくみあわせによる追加的な準文字として、つぎの4種がある。これらを大文字化するときは、筆頭文字(それぞれc s h b)だけを大文字にする。

 ch[チ] sh[シュ] hw[フッ] bw[ブッ]

 hwとbwは、うしろにかならず母音をともなって、ファやブァのように発音される。fやvのような唇歯摩擦音ではない。

 英語には存在するが、エスペランテートには存在しない文字として、つぎの5文字がある。

 F/f  L/l  Q/q  X/x  V/v 

 これらのうち、F/fやV/vのような唇歯摩擦音をもつ言語は英語やエスペラント語をはじめすくなくないが、日本語のように、これをもたない言語も存在するため、世界語たりうる中立性という観点から、エスペランテートでは唇歯摩擦音が排除される。

 また、歯茎側面接近音とよばれるL/lは、その発音が不明瞭になりやすく、ききとりにくい難点をもち、日本語のようにこの音素をもたない言語も存在することから、エスペランテートでは排除される。

 ただし、上掲6文字は人名・地名等の固有名詞を表記する際には一種の外来語として使用されうるので、完全に排除されるわけではないことに注意を要するが、エスペランテート固有の文字体系からは排除されるのである。

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共通世界語エスペランテート(連載第14回)

2019-07-13 | 〆共通世界語エスペランテート

第1部 エスペランテート総論

(13)エスペランテートの創出②

新たな計画言語として
 
当連載とはタイトルちがいの実質的な旧版『検証:エスペラント語』では、エスペラント語を正統語法と公用語法にわけつつ、エスペラント語の改訂版としての公用エスペラント語なるものを提案していた。
 ここで、正統語法とは正統的な文法にのっとった語法であり、エスペラント語でいえばまさに「エスペラント語の基礎」16箇条を厳守した語法のことである。これに対し、公用語法とは口語体ほどくだけてはいないが、正統語法を改訂して公用語としてよりつかいやすくした改訂版という趣旨であった。
 この点、自然言語のばあいには正統語法がもっとも公式的な語法としてそのまま公用語法でもあることがほとんどで、日常的な慣用語法は口語体としてむしろ非公式の語法とみなされる。ただ、自然言語のばあいでも、たとえばインドネシア語のようにマレー語の一方言を地域の共通語としてある程度人工的に簡略化して形成された公用語も存在する。
 一方、ノルウェー語のように、公式標準語として、旧宗主国の公用語だったデンマーク語の影響を受けたブークモール(文章語)とノルウェー独自の方言を統合して人工的につくられたニーノシュク(新ノルウェー語)―その意味では、計画言語にちかい―の二種類を公認するという二重国語政策を採用するくにもある。
 正統語法と公用語法をわけるというかんがえはこのノルウェーの国語政策にちかい面もあるが、ノルウェーにおいても国民全体で共有されているのはブークモールであって、ニーノシュクは学校教育ではおしえられているものの、日常語としては普及はしていないという。
 エスペラント語を正統語法と公用語法にわけるという旧版における管見は、正統英語―とはいえ、これも英語圏のくにのかずだけ存在するが―とチャールズ・オグデンによって創案されたベーシック英語の関係性によりちかいかもしれない。
 しかし、このように一つの言語に正統と簡略の二つの語法体系を公認し、並存させることは、両語法をつかいこなせる知識人層と簡略語法しかつかえない大衆層を分離するある種の言語階級制をつくりだす懸念もあり、かならずしも健全な言語政策ではないかもしれない。
 また筆者が提案した公用エスペラント語は、変更不能なエスペラント16箇条の一部改訂にふみこみ―その時点で、エスペラント語からの離反とみなされる―、実際、語彙や文法においてもエスペラント語からはかなり離脱するものとなったので、これを「公用エスペラント語」とよぶことはふさわしくないと再考するにいたった。
 そのため、旧版の提案を変更し、本連載ではあらためてエスペランテートとなづけた新計画言語として提示しなおすこととした次第である。エスペランテートという命名は、序文にもしるしたとおり、簡略化されたエスペラント語という含意による。このあらたな計画言語の具体的な詳細については、第2部で概説していく。

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共通世界語エスペランテート(連載第13回)

2019-07-12 | 〆共通世界語エスペランテート

第1部 エスペランテート語総論

(12)エスペランテートの創出①

言語の改訂可能性
 前回までみてきたように、エスペラント語は世界語たるべき条件をそなえていると評してよいが、いくつかの点ではなお克服すべき問題をかかえていることも判明した。そうした問題を克服するもっとも端的な方法はエスペラント語を一部改訂することである。
 ここでの主題である言語の改訂ということは、いわゆる自然言語としての民族言語ではそもそも論点にすらならない。自然言語は、その言語のにないて民族が慣習的に形成してきた語彙と文法、発音でなりたっており―その意味では「自然言語」より「形成言語」とよぶほうがふさわしい―、そこに「改訂」をくわえるということが想定できないからである。
 ただし、文字体系や正書法に関しては一定の政策的な改訂をくわえることができなくはないが、それとて単語や文法の変更をともなうようなものではないから、改訂というよりは整理というほどのものにすぎない。
 もっとも、インド‐ヨーロッパ語族のように一つの共通祖語から多数の言語が分岐していく過程は、ある種の自然形成的な言語の改訂とみなすことができなくはないが、それも計画的・政策的な改訂ではなく、おもに地理的離隔による方言形成の結果にすぎない。
 これに対して、エスペラント語をはじめとする計画言語はそもそものはじめから人工的に創案されているから、あとから改訂をくわえることも理論上は可能なはずであるが、かならずしもそうではない。
 その点、エスペラント語では1905年の第1回世界エスペラント大会で確認された創案者ザメンホフによる「エスペラントの基礎」16箇条が不動の文法規則としてさだめられ、これだけは改訂不能とされている。わずか16箇条とはいえ、ここにはエスペラント語のエッセンスが凝縮されており、それらを変更すればエスペラント語ではなくなるというルール群である。
 ただ逆にいえば、わずか16箇条をのぞき、エスペラント語にはおおきな改訂可能性があるというみかたもできる。しかし、これまでエスペラント語のおおきな改訂はなされていない。それどころか、一部のエスペランティストが個人的に開発したエスペラント語の改訂版は同輩たちから「うらぎり」として非難の対象にすらなってきた。
 またIDO(イード)やNovial(ノヴィアル)のようにエスペラント語を土台としたあらたな計画言語でさえも、エスペランティストたちからは敵視されたのである。

 エスペラント語にかぎらず、計画言語には特定の創案者―複数人のばあいをふくめ―が存在するため、さきの16箇条のように創案者のおしえを基礎としたドグマが形成されやすいという性向がある。
 善意に解するなら、計画言語はそもそも改訂不能な民族言語とはことなり、改訂可能であるがゆえに安易な改訂をゆるせば際限もなく改定案が林立し、結局は言語体系として崩壊し、民族言語とおなじように無数の分岐が生じて世界語としての意味をうしなってしまうおそれがある。そのため、改訂や分派のくわだてに対して警戒的とならざるをえないのだろう。

 そうした懸念にも一理あるが、計画言語の最大特徴としての改訂可能性をいかさず、保守的な教条主義におちいれば、計画言語をある種の自然言語化する危険にさらすことになる。このジレンマをどのように解決すべきかは、おおきな検討課題である。

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共通世界語エスペランテート(連載第12回)

2019-07-06 | 〆共通世界語エスペランテート

第1部 エスペランテート総論

(11)エスペラント語の検証④

エスペラント語のジェンダー中立性
 エスペラント語の自然言語近似性はエスペラント語の世界語としての条件を担保する特徴であるが、それゆえにやや問題をかかえるのはジェンダー中立性の条件である。まえにも指摘したように、この条件は付加条件ではあるも、現代的水準からは、世界語に是非そなわるべきものである。―その意味では、より積極的にこれを世界語の「十分条件」とみなしてもよいものとおもう。
 おおくの自然言語はなんらかのかたちでジェンダー差別的な語彙や表現をともなっている。その点、エスペラント語にも、基本中の基本語彙として、patro(父)/patrino(母)という問題含みの対語がある。
 エスペラント語で‐inoは女性形をつくる接尾辞であるから、これを直訳すると「父女」というような奇妙に矛盾した含意になる。patroは元来、印欧語族系でちちおやを意味する語に由来するから、これを語源としてははおやを「父女」と表現することは、やはりちちおや中心の父権主義的語彙といわざるをえないだろう。
 knabo(少年男子)に女性形接尾辞‐inoをつけてknabino(少女)とするのも、同種の例である。その他、職名に女性形接尾辞を付けて、policistino(婦人警官)といった単語をつくる例もある。
 もっとも、これらはかずあるエスペラント語のなかでも例外的な語彙であるから、このことだけをもってエスペラント語そのものがジェンダー中立性をかくとみなすべきではないかもしれないが、ジェンダー中立の条件を貫徹するためには再考されるべき問題である。
 他方で、エスペラント語は自然言語近似的ではあっても、意識的に創出された計画言語であるゆえに、すべての自然言語につきものといってよい各種の差別的俗語がほとんどみられないという長所はもつ。
 とはいえ、個別的にみるといくつか問題もなくはない。たとえば、エスペラント語で「おいた」を意味するmaljunaは否定の接頭辞mal‐に「わかい」を意味するjunaを合成してつくられた単語であるが、直訳すると「わかくない」ということになり、わかさを基準にしておいを否定的にあらわしている。「健康」を意味するsanoに否定辞mal‐をつけて「病気」を意味するmalsanoという合成語をつくりだすのも同種の例である。
 ここで否定辞mal‐は形式的な否定の意味しかもたず、価値的な否定の含意はないと解釈することも可能ではあるが、否定辞mal‐は「悪」や「異常」を含意するラテン語を参照語源としていることから、上例ではわかさや健康にたかい価値をおいて、おいや病気を価値的に否定する含意は払拭できないだろう。
 以前指摘したように、エスペラント語は接頭辞を多用して合成語や派生語をつくりだし、実質的な語彙数を限定できるという簡便さがあり、否定辞malもその代表例といえるのであるが、言語の全般的な非差別性という観点からは個別的に再考すべき点にかぞえてよいとおもわれる。

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共通世界語エスペランテート(連載第11回)

2019-07-05 | 〆共通世界語エスペランテート

第1部 エスペランテート総論

(10)エスペラント語の検証③

エスペラント語の自然言語近似性
 
世界語たりうる条件としての自然言語近似性という観点からみた場合、エスペラント語は自然言語にきわめて近似した体系をもっており、この条件は十分みたしているといえるかもしれない。
したがって、人間同士のコミュニケーションに供する言語という点からすれば、エスペラント語は世界語として十分に機能する。
 ただ、自然言語近似性とひとくちにいっても、習得容易性という点からは、さらにたちいって検証すべき点がある。その点、自然言語は従来、形態論的な特徴から屈折語・膠着語・孤立語・抱合語の四種に分類されてきた。
 このうち、屈折語は動詞の活用変化や名詞の格変化が複雑で、習得容易性という観点からはもっとも難攻的である。ただし、英語はその独異な発達過程により屈折性が希薄化している点で習得容易性をましたため、その点で他の屈折語系言語より優位性があるのだろう。
 他方、モンゴル語やトルコ語のほか、日本語もふくまれる膠着語は、動詞活用の規則性がたかく、かつ助詞や接辞の発達により文の構成が明瞭になりやすいという利点をもつが、動詞の活用変化も存在しない中国語のような孤立語の簡便さにはおとる。
 しかし、純粋な孤立語は単語の孤立性のゆえにいわゆる総合の指標がひくく、文意を理解するのに文脈の正確な分析が必要になるという点に困難さがある。その点、膠着語に分類されるインドネシア語やそれとほぼ同等なマレーシア語は動詞の活用変化が存在しない点で孤立語にちかいが、豊富な接辞により総合の指標をたかめている点で、世界語を創出するに際してもおおいに参考になるとおもわれる。
 なお、アメリカ先住民の言語などふるい起源をもつ少数言語にみられる典型的な抱合語は、動詞にさまざまな形態素をつめこんで、ひとつづきの文にひとしい内容を表現できるという点ではある意味で論理的な簡便さもみとめられるが―その点では、ある種の計画言語に応用可能な一面をもつ―、複雑な内容をつたえる場合には煩雑化しすぎる難点をかかえる。
 以上の四分類は古典的な大分類であって、実際のいきた自然言語は単純に分類できるものではないが、ここでエスペラント語をあらためて形態論的にみると、エスペラント語は語彙的に屈折語系の印欧語族、なかでもロマンス諸語の影響をうけているにもかかわらず、活用変化の簡素さや規則性、接辞のおおさといった特徴からみて、膠着語にちかいといえる。
 とはいえ、動詞の時制変化(過去・現在・未来三時制)はのこされているし、形容詞にも複数形が存在するなど、屈折語的な要素を排除しきれていない点もみとめられる。それらを些細な問題として等閑に付することも可能だが、より習得容易性をたかめるためには克服すべき点とみなすことも可能であろう。

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共通世界語エスペランテート(連載第10回)

2019-06-28 | 〆共通世界語エスペランテート

第1部 エスペランテート総論

(9)エスペラント語の検証②

エスペラント語の習得容易度
 今回は世界語たりうる条件のうち、相対条件としての習得容易性の観点からエスペラント語を検証してみることにする。
 まず文字体系についてみると、エスペラント語はローマ式アルファベットで英語より二つおおい28文字だが、そのなかに英語のアルファベットにはみられない記号を付す特殊文字が6文字ふくまれることは、やや文字体系をいささか複雑にしているかもしれない。
 文法構造に関しては、基本的には屈折語系の構造をもつが、英語以上に簡易化されている。特に英語とことなり、動詞の活用変化が厳格に規則的で一切の例外をもたないことは学習上大きな利点である。
 また語順の自由度がたかいうえ、名詞・形容詞・副詞の主要品詞に固有の語尾がわりふられる品詞語尾という独特の規則があり、このことが文中の品詞把握を容易にするはたらきをする。これは未知の単語の品詞を推定して意味を把握することをたすけるであろう。
 一方で、形容詞にも複数形が存する点は、学習者があやまりやすく、英語にもみられない難点といえるかもしれない。また定冠詞が存在するが、これは省略も可能であり、事実上は日本語などと同様の無冠詞言語とみなすこともできる。
 さらに、語彙についてはマレー語やスワヒリ語と同様に接辞が発達しており、接辞を利用した造語や品詞変化も可能であるため、実質的な語彙数は限定されているとみることもできる。まえに語彙数のすくなさを習得容易性の要件とみるべきでないとのべたが、便利な接辞の存在によって語彙数を人為的に制限することなく語彙暗記の負担を軽減できる利点はある。
 発音体系については、まえにのべたとおり母音は簡単明瞭な五母音体系で、日本語のように母音のすくない言語の話者にも習得しやすい。また母音終止語がおおいことも発音とききとりを容易にする(ただし、子音終止語も相当数存在する)。
 他方、子音に関しては歯茎側面接近音l、fやvのような唇歯音が存在するほか、ドイツ語に影響されたかにみえるhとĥの区別など、それらの音韻をかく言語の話者にはやや習得に難があるといえるかもしれない。
 このようにみてくると、エスペラント語の習得容易度は総合評価でAランクと評しうるレベルにあるが、指摘したとおり、いくつか難点もあり、それらをよりきびしく査定するなら、Aマイナスという評価もありうるかもしれない。

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共通世界語エスペランテート(連載第9回)

2019-06-27 | 〆共通世界語エスペランテート

第1部 エスペランテート総論

(8)エスペラント語の検証①

エスペラント語の「中立性」
  
序文でものべたとおり、筆者の創案にかかる共通世界語エスペランテートは、先行の計画言語エスペラント語を母体とする派生言語として提示される。
 実際のところ、筆者はかねてよりエスペラント語を暫定的な世界公用語に指定することを提起しており、現時点でもそのかんがえにかわりないが、その後の再考の結果、前回までみてきたような世界語たるべき条件にてらしたとき、エスペラント語も完全とはいいがたいとの結論に達したところである。
 そこで、今回からはエスペラント語が世界語たりうる条件にてらして、はたしてどのような問題を内包しているかをみていくことにしたい。まずは世界語たりうる絶対条件としての言語学的中立性である。
 その点、比較言語学上語族の決定要因の一つとなる音韻体系からみると、23個の子音体系は全般的にインド‐ヨーロッパ語族に準じているようにみえるが、そのどれとも同一ではなく、母音は現代日本語やスワヒリ語と同様5個に簡素化されている点からして、どの語族にも分類できないか、または多種の語族が合成されているといってよいかもしれない。
 統語に関してはおおむね英語等と同様のSVO文型を基本とするが、実際のところ、エスぺラント語の語順は厳格にきまっておらず、自由にいれかえが可能という融通性からすると、これも特定語族からは中立といえる。
 文字体系については、エスペラント語の正書法はローマ字アルファベットであるが、特有の特殊文字を含めて英語より2文字多い28文字であり、一応ローマ字体系の範囲内で中立的なものといえるであろう。ただし、各民族言語の文字体系での表記をみとめない点では問題がのこる。
 エスペラント語の中立性をめぐってもっとも問題をもつのは、中立性要件の中核をなす語彙である。エスペラント語の語彙は基本的にすべて独自の新造語とされるが、語源に関しては100パーセントちかくがインド‐ヨーロッパ語族系であり、なかでも75パーセントをイタリア語・スペイン語・フランス語などのロマンス諸語系がしめるとされる。 
 そもそも「エスペラント」という名称自体、スペイン語で希望を意味する「エスペランサ(Esperanza)」―イタリア語ではスペランツァ(speranza)、フランス語ではエスポワール(espoir)―に由来するし、特に基本語彙のおおくはロマンス語系である。
 そのため、エスペラント語は習得上ロマンス諸語を母語とするひとにやや有利とみられている。この点でエスペラント語は中立性をかくのではないかとみる余地がある。よりおおきくみれば「ヨーロッパ中心主義」との疑念はまぬがれないかもしれない。

 ただし、ポーランド人のエスペラント語創始者ザメンホフがなぜ語彙の語源のおおくをロマンス諸語にもとめたかをかんがえると、発音しやすさという実際的な理由にいきあたる。とりわけイタリア語やスペイン語の発音の簡明さは習得を容易にする有効な要素である。
 反面、ザメンホフがアジア、アフリカの言語への関心にかけた―みずからの民族的ルーツにかかわるヘブライ語をのぞく―のは、かれがいきた19世紀の西欧という時代という場所柄やむをえないことであったろう。かれはさしあたり、基本的にヨーロッパ内での共通語の開発をめざしたこともある。
 そうなると、エスペランティストからは異論もあろうが、エスペラント語はヨーロッパをこえた全世界共通の世界語としての絶対条件にはかならずしも適合しない要素をのこしているといえるようにおもわれるのである。

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共通世界語エスペランテート(連載第8回)

2019-06-21 | 〆共通世界語エスペランテート

第1部 エスペランテート総論

(7)ジェンダー中立性等

文法上のジェンダー中立性
 前回まで検証してきた世界語たりうるための絶対条件及び相対条件に対して、今回のジェンダー中立性は世界語としての完全性をめざす付加条件と位置づけられる。付加条件とはいっても、ジェンダー平等に関する現代的水準からすると、この条件はそなわればよしという以上に、可及的そなわるべきというレベルでかんがえられるべきであろう。
 その際、文法上のジェンダー中立性は形式的な規則の面からジェンダー中立性を担保するいりぐちとなる。この点で問題となるのは印欧語族系言語やセム諸語系言語に特徴的な名詞の文法的性別である。特に典型的な印欧語族系言語では名詞は男性・女性・中性の三種に厳格に分類され、それにおうじて冠詞や動詞の形態なども明確に区別される。
 このような文法的性別のシステムは、基本的に性別を厳格に区別するという社会的意識を根底にもつ点で古典的なものである。また非生物名詞にまで性別が不規則にわりふられることから複雑になりすぎるという点では、習得容易性にもかかわる。 
 その点で、印欧語族に属する英語は名詞の性別をほぼ喪失していることに特色があり、習得容易なだけでなく、ジェンダー中立性の点で他の印欧語族系言語にまさるものがある。 
 ただ、人称代名詞・第三人称に関しては、英語もふくめ、おおくの言語が男性・女性・中性の三性の区別をのこしているが、計画言語にあっては、人称代名詞においてすら性別を撤廃することが可能となる。

語彙上のジェンダー中立性
 語彙上のジェンダー中立性は、文法上のジェンダー中立性とあいまって実質的なジェンダー中立性を支えるもので、それは語源のジェンダー中立性と語彙そのもののジェンダー中立性とにわけられる。
 語源のジェンダー中立性として問題となるのは、英語のman/womanのような反意語的な対語の是非である。このばあい、womanという語の接頭辞wo‐は元来wif‐(=wife)で、要するに「おんな=おとこのつま」という含意があるからである。
 ただ、英語のmanは意味が拡張されていて、両性を包括したおよそひと一般という集合名詞としてもつかわれており、こうした包括的用法をもってジェンダー中立性を確保しようとしているとみることもできよう。
 ちなみに、語彙そのもののジェンダー中立性に関しては、日本語のように名詞の文法的性別がまったく存在しないにもかかわらず、語法のレベルで男性語法と女性語法が区別される言語も、ジェンダー中立性の点では問題をかかえる。
 もっとも、近年では日本語でも男性語法と女性語法の区別が相対化される傾向がみられるが、両者をあきらかに混同することは、一種のパロディーとして容認されるばあいをのぞき、社会常識をかいた語法として非難されることすらある。
 ただ、日本語以外の言語では日本語ほど厳格に男性語法と女性語法を区別する言語はほとんどみあたらず、エスペラント語にもそうした区別はみられないため、この問題をさほど重視する必要はないのかもしれない。

言語の非差別性
 以上にみたジェンダー中立性は、一般化すれば言語の非差別性という条件にまとめることができる。遺憾なことに、おおくの自然言語には辞書に搭載されていない俗語もふくめ、多種多様な差別語がふくまれている。これは差別という人間特有の行為が、言語使用をつうじて発現することのあかしでもある。
 この点に関しては、一般的にエスペラント語のような計画言語では語彙自体が計画的につくられていくため、差別語をそもそもはじめから排除することが可能となるので、自然言語ほどに差別語に神経をつかう必要がないという利点がある。

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共通世界語エスペランテート(連載第7回)

2019-06-21 | 〆共通世界語エスペランテート

第1部 エスペランテート総論

(6)自然言語近似性

 前回、世界語たりうるための相対条件として、習得容易性をあげたが、もう一つの相対条件として自然言語近似性(または近自然言語性)をあげなくてはならない。すなわち、世界語は計画言語でありながら、自然言語にちかい語彙や文法構造を有している必要があるということである。
 その点で対照されるのはプログラミング言語である。周知のとおり、プログラミング言語とはコンピュータを作動させるうえで不可欠なコンピュータプログラムを記述するために作成された計画言語の一種である。プログラミング言語はコンピュータに対する指令を記述する言語であるから、厳格な文法規則にしたがい、かつきわめて単純化された形式で記述されなければならない。
 しかし、プログラミング言語はひととコンピュータのあいだでの一種のコミュニケーション言語であるため、ひととひととのあいだのコミュケーションに援用することは―ある種の暗号文としてなら不可能ではないが―適していない。ひととひととのコミュニケーションはより複雑微妙であり、言語があまりに形式的でありすぎれば、かえってコミュニケーションに困難をきたしかねないからである。
 他方、自然言語にも文法規則は存在するが、通常はさほど厳格に形式的ではなく、程度の差はあれ、柔軟化されている。それによって、ひと対ひとのコミュニケーションを円滑なものにしている。エスペラントをはじめとする従来の主要な国際計画言語のほとんどが自然言語近似性をもって作成されてきたのも、首肯できるところである。
 その点で、注目されるのは、もっともあたらしい計画言語の一つであるロジバン(Lojban)である。ロジバンはエスペラントなどの旧世代計画言語とはおおきくことなり、論理学的な述語論理を文法規則の基礎におき、語源の点では世界の自然言語をはばひろく渉猟しつつ語彙を創出し、中立的なオリジナリティーを追求している。
 ここでロジバンについて詳論する余裕はないが、ロジバンの基本的な目的は、自然言語につきまとう曖昧さを徹底的に除去し、二義をゆるさない意味明瞭な言語表現を可能にすることにあるとされる。そのために、述語論理を基礎とし、プログラミング言語にちかい性質―いわばプログラミング言語近似性―をもたせようとするこころみである。
 これはロジバンが元来、「ひとは体得した言語によってその思考形態が左右される」という言語学仮説(サピア‐ウォーフ仮説)の検証のために開発され、人間同士のコミュニケーションの手段として普及させることを目的としない実験言語であるログラン(Loglan)をベースに開発されたことに由来している。
 しかし、曖昧さの排除に専心するあまりに、論理学の知識を要する述語論理に傾倒することは、かえって習得容易性という条件をみたさなくなる可能性もあり、ロジバンやそれに類する新世代の計画言語には世界語としての普及可能性に関して疑問符もつく。
 そうした点で、自然言語近似性は世界語の相対条件として維持すべきものとおもわれる。ただし、ロジバンには例外のない文法規則の一貫性や高度な言語学的中立性など世界語たりうる条件としてみるべき点もあるので、エスペランテートを考案するうえでも参考に供されるべきものである。

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共通世界語エスペランテート(連載第6回)

2019-06-20 | 〆共通世界語エスペランテート

第1部 エスペランテート総論

(5)習得容易性

習得容易性の要件
 以前、世界語の相対条件として、習得容易性ということをあげた。これは、文字どおり、当該言語が習得しやすい性質をそなえていることをさすが、このばあいの習得しやすさとは、別言語を母語とするものが後天的に習得しやすいことを意味する。
 ただ、言語の習得しやすさは母語体系の習得自体が途上のために柔軟な他言語学習能力をもつこどもと、母語体系を完全に習得しているためにその干渉をつよくうけやすく、他言語全般の習得が困難な成人とではことなるが、ここでいう習得しやすさとは、成人もふくめた他言語使用者にとっての習得しやすさとおおまかにとらえておく。
 こういう観点で習得容易性をとらえたばあい、その要件は一体なにか。といっても漠然としているので、ここでは文字体系・文法構造・語彙・発音体系の各項目ごとにわけて検証してみよう。
 上記項目のなかでもっとも重要なのは、文字体系の習得容易性である。世界語は絶対条件として文字言語でなければならないから、文字言語の学習上最初の関門となる文字でつまずくことは習得を困難にするからである。
 したがって、文字体系が簡素であることが習得容易性の要件である。逆にいえば、複雑な文字体系は言語習得のたかいかべとなる。その点、アジアの諸言語にはアラビア語やヒンディー語など独自の複雑な文字体系をもつ言語がすくなくなく、これらの言語の習得を困難にしている。中国語の漢字も文字数の膨大さがかべとなる。日本語の場合も漢字に加え、ひらがな、カタカナをふくめた異例の三重文字体系が習得を困難にしている。
 つぎに、文法構造は、はなすこともふくめた言語運用上の基本ルール群であるから、文字についで習得容易性の重要な要素である。
 文法構造のなかでも、語形変化は言語習得上の主要なかべとなる。語形変化には動詞を中心とする品詞の活用変化と名詞の単複や性による変化とがあるが、これらが複雑であればあるほど習得は困難になる。よって、語形変化は一切ないことが理想ではあるが、あってもそれは限定的かつ規則的であることが習得容易性の要件となる。
 この点では、多岐にわたって不規則変化をふくむ語形変化をする言語―印欧語族に代表される屈折語系統の言語におおくみられる―は、文法構造面からの習得を困難にする。
 これに対して、語彙に関しては、語彙のすくなさが習得を容易にするかにみえる。たしかに語彙が限定されているかぎり、語学学習上の定番である単語のまる暗記の負担は軽減されるだろう。実際、英国のチャールズ・オグデンが開発したベーシック英語(Basic English)はわずか850語限定の簡易化によって英語をより普及させようとした先駆的なこころみであった。
 しかし、語彙の限定性はかえって基礎単語をくみあわせた代替表現のむずかしさというあらたな問題をうみだし、表現のはばをせばめ、かえってコミュニケーションを困難にするおそれもある。したがって、語彙の限定性についてはこれを習得容易性の要件とまではみなすべきでなかろう。
 最後に発音体系であるが、世界語は文字言語であると同時に音声言語としてもそれを使用して世界のひとびとがコミュニケートする手段であるから、発音体系も習得容易性の重要な要素であり、それは単純であるほどよい。
 その点、まず母音のすくなさと明瞭さは重要な要件となる。すなわち母音のかずがおおいとその発音上の区別も微妙で困難となるので、曖昧母音のない5個以下の母音体系が理想的である。一方、子音は多種類をさけがたいが、複雑微妙な発声を要する子音はすくないほどよい。
 さらに中国語に代表されるような声調も習得上のかべとなるため、世界語の発音体系には存在すべきでない。つまり声調で区別する同音異義語はあるべきでないということになる。

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共通世界語エスペランテート(連載第5回)

2019-06-15 | 〆共通世界語エスペランテート

第1部 エスペランテート総論

(4)言語学的中立性

相対的中立言語
 世界語の絶対的条件として、さきに言語学的中立性を指摘した。この中立性ということの意味について、よりくわしくかんがえてみたい。
 中立性ということをもっとも厳密にとらえるならば、文字体系にはじまり、音韻体系、語彙、文法の点でもおよそいかなる既存語族にも分類できないことが要求される。要するに、純粋にオリジナルな言語をゼロから開発することである。こうした絶対的中立言語の開発も理論上は可能であるが、そのためにはいつおわるともしれぬ長期間を要し、実際上はほぼ不可能であろう。
 そこで、ここでいう言語学的中立性とは、絶対的中立性ではなく相対的中立性を意味すると理解するほかはない。ただ、相対的中立性というかたちで条件を緩和する反面として、なにをどの程度相対化することがゆるされるかという問題が生じてくる。
 その点、比較言語学上語族の決定要因としてもっとも重要なものは基礎的語彙であるから、語彙的要素に関してはいかなる既存語族のそれからも独立した高度の中立性を要することになる。
 したがって、一つの民族言語の語彙をそのまま借用することは中立性をかくことになるが、純粋な新造語だけで構成されている必要はなく、複数の民族言語の単語と語源を同じくする語彙が包含されることはみとめられてよいだろう(ただし、そうした語源共有の割合については議論の余地がある)。
 その他、基礎的語彙にくらべれば二次的ながら音韻体系や文法構造(統語法)も語族決定要因となるが、これらの要因についても、既存語族からの相対的な中立性を要する。
 これに対して、言語の形式的な表記に関わる文字体系については、標準表記法をきめておく必要はあるが、唯一の規準的な表記法をさだめる必要はなく、各民族言語の文字体系に音写することをみとめてよいとかんがえる。これは次項で検証する習得容易性とも関わることであるが、各民族言語の文字体系による表記も容認したほうが世界語として普及しやすいとかんがえられるからである。

英語の混交性・弾力性
 ここで対照上、現在事実上の世界語としてひろく普及している英語の特質についてみておきたい。英語は元来、比較言語学上インド‐ヨーロッパ語族ゲルマン語派に属するれっきとした民族言語であるから、そもそも世界語の条件をみたすことはありえない。
 それにしてもアジアからヨーロッパにまたがり多数の言語をふくむ大語族であるインド‐ヨーロッパ語族のなかでも、またそのうちでもゲルマン語派の代表格ドイツ語をおしのけて、なぜ英語がこれほど世界にひろがったのかについては、十分解明されているとはいえない。
 「英語帝国主義」という政治的なみかたもあやまりではないとはいえ、それだけではなぜ旧英米植民地の新興諸国でいまなお英語が公用語として指定されたり、熱心にまなばれたりしつづけているのか説明しきれない。
 その点、英語の特質として重要なのはその混交性のたかさである。とりわけ語彙に関しては本来のゲルマン語起源の単語にくわえ、ラテン語やフランス語起源の単語をおおくふくみ、さらに、かずはすくないとはいえ、一部にまったく語族をことにするアラビア語や日本語起源の単語さえもふくんでいる。このような語彙の混交性は英語の世界的普及をおおいにたすけているといえる。
 一方、音韻体系や文法に関してはゲルマン語派の特徴が顕著ではあるものの、アジアン・イングリッシュとかジャパニーズ・イングリッシュといった言葉に象徴されているように、地域的なカスタマイズに対しても比較的寛大である。もちろんこうした非正規的な「英語」が正統英語として認証されることはないが、英語が他の言語とくらべてカスタマイズしやすい性質をそなえていることは英語の弾力性のたかさをしめしている。
 混交性や弾力性は上述の言語学的中立性とは別個の性質ではあるとはいえ、英語を事実上の世界語の地位におしあげた主要な要因として、こうした擬似中立性としての混交性・弾力性があることは念頭におくべきであろう。

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共通世界語エスペランテート(連載第4回)

2019-06-14 | 〆共通世界語エスペランテート

第1部 エスペランテート総論

(3)世界語の条件

世界語の三条件
 
(1)でみたように、世界語とは世界中で通用しうる共通語として計画的に創案された言語のことであるが、そのような言語であるための条件とはなにか。この問題は、特定の言語を世界語として普及させるうえで不可欠の検証事項であるはずであるが、意外に議論されていないようにみえる。

 当然ながら、特定の個人なり集団なりが特定の言語を単に世界語として企画・創案したというだけで世界語となるわけではない。ある計画言語が世界語でありうるためには、それなりの条件をそなえていなければならない。
 したがって、伝統的なエスペラント語が所期の目的どおり、現実的な世界語たりえていないとすれば、それはエスペラント語が世界語の条件に不足している点があるためではないかとの推定がはたらくのである。
 ここに世界語の条件とは、ある言語が慣用上でなく公式に世界語となるためにそなえているべき性質のことをいう。世界語でありうるための適格性といいかえてもよい。そのような条件にも、おおきくわけると絶対条件と相対条件、さらに付加条件とがある。
 絶対条件とは、そのなのとおり、世界語でありうるために絶対にそなえていなければならない条件、いいかえれば、それをかくかぎり、世界語とはなりえない条件のことである。
 これに対して、相対条件とは世界語でありうるために絶対そなえていなければならないわけではないが、そなえていなければ事実上世界語として普及しがたいような条件である。
 最後の付加条件とは、それをかいていても世界語たりうるが、そなえていれば世界語としての普及をより促進するであろうような条件のことである。

具体的な条件 
 世界語たりうるための上記三条件をより具体的にいえば、まず絶対条件として「言語学的中立性」がある。これは、その言語が特定の民族言語でないだけでなく、世界中のどの既存語族にも属しないことを意味する。
 したがって、かりにある計画言語が語彙や文法の点でインド‐ヨーロッパ語族なりシナ‐チベット語族なりといった特定の既存語族に分類可能であるかぎり、それは世界語たりえないことになる。
 世界語は言語ナショナリズムをのりこえ、世界中のすべての民族が共有する言語であるからには、特定の語族に属することは中立性をかき、言語ナショナリズムから自由になれないからである。 
 もう一つの絶対条件として文字言語であるということがあげられる。世界語ははなしことばとしての事実上の共通語ではなく、公式に公用語として通用するものでなくてはならないから、かきことばとしても完成している必要がある。したがって、文字言語であることは絶対条件である。
 このばあい、「言語学的中立性」からして、文字体系に関しても特定民族言語の文字体系に依拠してはならないかどうかについては議論の余地があるが、これに関しては次章であらためて検討する。
 次に、相対条件として「習得容易性」がある。要するに、どの民族言語を母語とするものでも簡単に習得できることである。習得困難な言語が世界語たりえないわけではないが、実際上世界語として普及しにくいであろうから、習得容易性は相対条件となるのである。
 なお、「習得容易性」と表裏一体の相対条件として、「教授容易性」を想定してもよい。これは、そのなのとおり、語学教育の容易性ということであるが、通常習得容易な言語は教授も容易であるから、独立の条件としてあげる実益はとぼしいかもしれない。
 これにくわえ、もう一つの相対条件として「自然言語近似性」がある。すなわち、世界語は計画言語でありながら、自然言語にちかい語彙や文法構造を有している必要があるということであるが、これに関しても、該当節で詳論する。
 最後に、付加条件として「ジェンダー中立性」がある。これは言語体系自体にジェンダー差別的な要素がないことを意味する。この点、おおくの民族言語がなんらかのジェンダー差別的な要素―とりわけ女性差別的要素―をもっているが、世界語は今日の世界規範となっているジェンダー平等に合致しているべきである。
 さらに「ジェンダー中立性」も包括される一般的な付加条件として、「非差別性」すなわち差別的語彙・表現をもたないことまで拡大することはよりのぞましい。

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共通世界語エスペランテート(連載第3回)

2019-06-13 | 〆共通世界語エスペランテート

第1部 エスペランテート総論 

(2)世界語の意義②

諸民族言語との関係
 あらたな共通世界語エスペランテートは、既存の諸民族言語との関係をどうとるか。これについては完全な並存関係であり、エスペランテートは決して諸民族言語を排除しようとするものではない。これは、伝統的なエスペランティストの回答とおなじである。
 たしかに、エスペラント語をふくむ世界語は諸民族言語を排してそれにとってかわろうとする言語帝国主義的な野心とは無縁である。しかし一方で、世界語の創案は人類の言語的分裂状況を克服することにある以上、多言語主義を無条件にことほぐわけでもない。
 エスペランテートは諸民族言語と並存しながらも、世界共通語としての地位を獲得する努力を放棄するべきではない。そうした意味で、エスペランテートは諸民族言語の単なる補完言語ではなく、諸民族言語とも対等な地位をめざし、とりわけ全世界の義務教育課程への導入を推奨していくことになるだろう。エスペランテートにとっての理想の言語使用像は、各人にとっての母語となる民族言語とエスペランテートとのバイリンガルである。
 このことはエスペランテートが絶滅危惧言語の保存に無関心であることを意味しないが、絶滅危惧言語の保存を世界語の普及よりも優先するというかんがえにはたたないであろう。一方で、「国語」の名において多数派の民族言語や国策的にさだめられた標準語を全国民に強制する国語政策には明確に反対するであろう。

英語との関係
 エスペランテートは、本来民族言語の一つでありながら慣用上事実上の世界語の地位をしめる英語との関係をどうとるのか。これについて、伝統的エスペランティストのおおくは、現在世界をおおう「英語帝国主義」に批判的なスタンスをとるかもしれない。
 たしかに、英語の世界制覇は19世紀と20世紀、それぞれ英語を国語とする大英帝国とアメリカ合衆国という二つの覇権国家があいついで世界を支配したことの結果であり、そこに言語帝国主義のかげをみることはできるが、のちに検証するように、英語の世界的普及の要因には「帝国主義」だけでは説明しきれない言語学的な要素もみとめられる。
 実際上も、エスペランテートにせよ、エスペラントにせよ、世界語の普及をめざすうえでは、さしあたり学習書を英語で記述することがもっともちかみちであるという皮肉な現実も否定できない。そうした点をかんがえると、「英語帝国主義」批判についてはいくらか留保が必要であろう。
 まず英語を母語・国語としない社会において、英語を「国際語」として学校教育のはやい段階から一律に児童生徒に強制することには反対すべきであるが、一方でエスペランテートをして英語の地位にとってかわらんとする対抗的な発想はもたない。
 むしろ英語がひろく普及している現状を有利に利用しつつ、エスペランテートの普及をはかるほうが有効とかんがえられる。実際、エスペランテートの学習上も英語は各自の母語とならぶ対照言語として有益な一面をもつのである。
 ただ、エスペランテートが普及したあかつきに英語の運命が最終的にどうなるかについては関知しない。それはエスペランテートの普及度いかんにかかるであろう。エスペランテートが習得容易性という利点で英語にまさるならば、英語はおのずと英語圏における一民族言語としての地位にたちもどっていくはずである。 

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