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共通世界語エスペランテート(連載第13回)

2019-07-12 | 〆共通世界語エスペランテート

第1部 エスペランテート語総論

(12)エスペランテートの創出①

言語の改訂可能性
 前回までみてきたように、エスペラント語は世界語たるべき条件をそなえていると評してよいが、いくつかの点ではなお克服すべき問題をかかえていることも判明した。そうした問題を克服するもっとも端的な方法はエスペラント語を一部改訂することである。
 ここでの主題である言語の改訂ということは、いわゆる自然言語としての民族言語ではそもそも論点にすらならない。自然言語は、その言語のにないて民族が慣習的に形成してきた語彙と文法、発音でなりたっており―その意味では「自然言語」より「形成言語」とよぶほうがふさわしい―、そこに「改訂」をくわえるということが想定できないからである。
 ただし、文字体系や正書法に関しては一定の政策的な改訂をくわえることができなくはないが、それとて単語や文法の変更をともなうようなものではないから、改訂というよりは整理というほどのものにすぎない。
 もっとも、インド‐ヨーロッパ語族のように一つの共通祖語から多数の言語が分岐していく過程は、ある種の自然形成的な言語の改訂とみなすことができなくはないが、それも計画的・政策的な改訂ではなく、おもに地理的離隔による方言形成の結果にすぎない。
 これに対して、エスペラント語をはじめとする計画言語はそもそものはじめから人工的に創案されているから、あとから改訂をくわえることも理論上は可能なはずであるが、かならずしもそうではない。
 その点、エスペラント語では1905年の第1回世界エスペラント大会で確認された創案者ザメンホフによる「エスペラントの基礎」16箇条が不動の文法規則としてさだめられ、これだけは改訂不能とされている。わずか16箇条とはいえ、ここにはエスペラント語のエッセンスが凝縮されており、それらを変更すればエスペラント語ではなくなるというルール群である。
 ただ逆にいえば、わずか16箇条をのぞき、エスペラント語にはおおきな改訂可能性があるというみかたもできる。しかし、これまでエスペラント語のおおきな改訂はなされていない。それどころか、一部のエスペランティストが個人的に開発したエスペラント語の改訂版は同輩たちから「うらぎり」として非難の対象にすらなってきた。
 またIDO(イード)やNovial(ノヴィアル)のようにエスペラント語を土台としたあらたな計画言語でさえも、エスペランティストたちからは敵視されたのである。

 エスペラント語にかぎらず、計画言語には特定の創案者―複数人のばあいをふくめ―が存在するため、さきの16箇条のように創案者のおしえを基礎としたドグマが形成されやすいという性向がある。
 善意に解するなら、計画言語はそもそも改訂不能な民族言語とはことなり、改訂可能であるがゆえに安易な改訂をゆるせば際限もなく改定案が林立し、結局は言語体系として崩壊し、民族言語とおなじように無数の分岐が生じて世界語としての意味をうしなってしまうおそれがある。そのため、改訂や分派のくわだてに対して警戒的とならざるをえないのだろう。

 そうした懸念にも一理あるが、計画言語の最大特徴としての改訂可能性をいかさず、保守的な教条主義におちいれば、計画言語をある種の自然言語化する危険にさらすことになる。このジレンマをどのように解決すべきかは、おおきな検討課題である。


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