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共通世界語エスペランテート(連載第5回)

2019-06-15 | 〆共通世界語エスペランテート

第1部 エスペランテート総論

(4)言語学的中立性

相対的中立言語
 世界語の絶対的条件として、さきに言語学的中立性を指摘した。この中立性ということの意味について、よりくわしくかんがえてみたい。
 中立性ということをもっとも厳密にとらえるならば、文字体系にはじまり、音韻体系、語彙、文法の点でもおよそいかなる既存語族にも分類できないことが要求される。要するに、純粋にオリジナルな言語をゼロから開発することである。こうした絶対的中立言語の開発も理論上は可能であるが、そのためにはいつおわるともしれぬ長期間を要し、実際上はほぼ不可能であろう。
 そこで、ここでいう言語学的中立性とは、絶対的中立性ではなく相対的中立性を意味すると理解するほかはない。ただ、相対的中立性というかたちで条件を緩和する反面として、なにをどの程度相対化することがゆるされるかという問題が生じてくる。
 その点、比較言語学上語族の決定要因としてもっとも重要なものは基礎的語彙であるから、語彙的要素に関してはいかなる既存語族のそれからも独立した高度の中立性を要することになる。
 したがって、一つの民族言語の語彙をそのまま借用することは中立性をかくことになるが、純粋な新造語だけで構成されている必要はなく、複数の民族言語の単語と語源を同じくする語彙が包含されることはみとめられてよいだろう(ただし、そうした語源共有の割合については議論の余地がある)。
 その他、基礎的語彙にくらべれば二次的ながら音韻体系や文法構造(統語法)も語族決定要因となるが、これらの要因についても、既存語族からの相対的な中立性を要する。
 これに対して、言語の形式的な表記に関わる文字体系については、標準表記法をきめておく必要はあるが、唯一の規準的な表記法をさだめる必要はなく、各民族言語の文字体系に音写することをみとめてよいとかんがえる。これは次項で検証する習得容易性とも関わることであるが、各民族言語の文字体系による表記も容認したほうが世界語として普及しやすいとかんがえられるからである。

英語の混交性・弾力性
 ここで対照上、現在事実上の世界語としてひろく普及している英語の特質についてみておきたい。英語は元来、比較言語学上インド‐ヨーロッパ語族ゲルマン語派に属するれっきとした民族言語であるから、そもそも世界語の条件をみたすことはありえない。
 それにしてもアジアからヨーロッパにまたがり多数の言語をふくむ大語族であるインド‐ヨーロッパ語族のなかでも、またそのうちでもゲルマン語派の代表格ドイツ語をおしのけて、なぜ英語がこれほど世界にひろがったのかについては、十分解明されているとはいえない。
 「英語帝国主義」という政治的なみかたもあやまりではないとはいえ、それだけではなぜ旧英米植民地の新興諸国でいまなお英語が公用語として指定されたり、熱心にまなばれたりしつづけているのか説明しきれない。
 その点、英語の特質として重要なのはその混交性のたかさである。とりわけ語彙に関しては本来のゲルマン語起源の単語にくわえ、ラテン語やフランス語起源の単語をおおくふくみ、さらに、かずはすくないとはいえ、一部にまったく語族をことにするアラビア語や日本語起源の単語さえもふくんでいる。このような語彙の混交性は英語の世界的普及をおおいにたすけているといえる。
 一方、音韻体系や文法に関してはゲルマン語派の特徴が顕著ではあるものの、アジアン・イングリッシュとかジャパニーズ・イングリッシュといった言葉に象徴されているように、地域的なカスタマイズに対しても比較的寛大である。もちろんこうした非正規的な「英語」が正統英語として認証されることはないが、英語が他の言語とくらべてカスタマイズしやすい性質をそなえていることは英語の弾力性のたかさをしめしている。
 混交性や弾力性は上述の言語学的中立性とは別個の性質ではあるとはいえ、英語を事実上の世界語の地位におしあげた主要な要因として、こうした擬似中立性としての混交性・弾力性があることは念頭におくべきであろう。


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