【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

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内藤啓子『赤毛のなっちゅん-宝塚を愛し、舞台に生きた妹・大浦みずきに-』中央公論新社、2010年

2013-01-19 22:28:18 | 演劇/バレエ/ミュージカル

           
 タカラヅカジェンヌ、花組トップスターだった大浦みずきさんの実のお姉さんにあたる著者が、みずきさん追悼の気持ちを込めて書き下ろした(本名阪田なつめ。53歳で2009年11月没)。


  お別れの会の様子、著者による喪主挨拶に始まり、子どもの頃の家族の生活ぶり、宝塚に入ってからの研鑽と交友関係、花組時代の公演履歴、宝塚退団後の活躍、そして病気になってから死まで。姉の立場で率直に赤裸々に、みずきさんの等身大の人生が語られている。

  タカラヅカジェンヌが家族にいて、父は芥川賞作家、さぞ恵まれた家庭だったと傍目には想像されるが、内情は苛酷だった。とくにお母さんは大変だったようで、一生がタカラヅカに振り回されたとの感が伝わってくる。みずきさん自身も辛くて何度も「辞める」と周囲に宣言したが、しかし不死鳥のように立ち上がるのだった。

  闘病生活も詳しく書かれているが、ありとあらゆる治療方法を試したが、復帰はならなかった。舞台にあがるストレス解消だったのだろうか、喫煙がわざわい、家系に癌で亡くなった方が多かったと書かれている。

  ちょうどみずきさんのお父さんの芥川賞作家阪田寛夫著『おお 宝塚!』を読んだあとだったので、同じ事柄をみずきさんの姉の眼からとらえられた箇所がいくつかあり、吹き出したり、合点したり、一気に読ませていただいた。

  著者のお別れのことばが心の琴線に触れる、「まだまだやりたい役、もう一度やってみたい役があったかもしれない。でも、たくさん夢を叶えられた。恋もいくつかした。たとえ身内であっても、人の一生を勝手に締め括ってはいけないのかもしれないが、幸福な53年だった。/おやすみ、なっちゅん。ありがとう、なっちゅん。心からあなたを誇りに思います」と(p.244)。

  巻頭写真を含め、みずきさんの雄姿(男役)や子ども時代の写真が多数。また巻末には舞台リストが一覧されている。本書全体が、みずきさんの最大の理解者だったお姉さんの鎮魂歌だ。


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