見沼代用水は江戸時代、8代吉宗将軍の時代に、新田開発のために作られたものですが、年貢、農業生産物、肥料などを運搬する船の往還にも使われました。輸送はこの代用水と近くを流れる芝川の両方を利用して(つないで)行われたのですが、用水と川との間には落差が3メートルほどあり、船の航行には落差が難題で、何らかの方法でこれを解消する方法が必要でした。そのために工夫されたのが、通船堀です。
通船掘りはいまでも残っていて、重要文化財に指定されています。JR東浦和駅を降りて右方向に3分ほど歩くと、通船掘り公園があり、「見沼通船掘歴史の道」がそこにあります。下記画像は、その入り口にある案内板と公園内部です。自然のままの竹林が続きます。
通船掘りはいまでも残っていて、重要文化財に指定されています。JR東浦和駅を降りて右方向に3分ほど歩くと、通船掘り公園があり、「見沼通船掘歴史の道」がそこにあります。下記画像は、その入り口にある案内板と公園内部です。自然のままの竹林が続きます。
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