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【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

上岡誉富『かんたん! プランター菜園 コツのコツ』農文協、2005年

2015-06-09 21:19:23 | その他

                   

  今年は、春先からプランターに、そして小さい庭に、野菜の種や苗を植えています。だいず、ニンジン、ピーマン、みつば、パセリ、落花生、ミョウガ、ハツカダイコンです。何か方針があって作る野菜を決めたわけではない。あえて言えば、素人でも育てやすいものでしょうか。


 今のところ、みなすくすく育っていますが、まだ食べられるほどではありません。ニンジン、ハツカダイコンは群生の状態で芽が出てくるので、間引く必要があり、それを食べています。新鮮でおいしいです。

 うまくいかないのがパセリ。どうしてでしょうか。繁茂の状態になりません。だなたかいい方法があったら教えてください。

 園芸の知識が乏しいので、参考書がほしく、それに使っているのがこの本です。著者はその専門家のようで、自身の園芸の成果が写真にあり、それをみるとすごいです。何とかそれに近づきたいものです。大変、参考になる本です。


ブログタイトル変更

2014-08-30 23:23:48 | その他

 一昨日(8月28日)、ブログのタイトルを変更しました。新しいタイトルは、「社会統計学・論文ARCHIVE(人生という森の探索)」です。

 2007年にブログをはじめてからずっと「人生という森の探索」というタイトルで経過してきました。最初は身近な話題で書いていました。だんだん書くことがなくなり、わたしの仕事にも役立つ内容に結びつけ、社会統計学関係の論文の内容紹介をUPすることを考えました。昨年の7月頃からです。カテゴリーをみてもらえればわかるとおり、社会統計学関係の記事がいつのまにかダントツになりました。それで、ブログの内容をタイトルに反映させて、タイトル変更に至ったわけです。

 社会統計学関連の記事を載せるようになってから、アクセス数は漸減しましたが、致し方ありません。これからも真面目にUPしていく所存です。よろしくお願いいたします。


「稀書自慢 西洋経済古書収集-あわせてインターネットによる洋古書収集のすすめ-」のURL

2014-04-29 22:30:59 | その他

  興味深いサイトを見つけました。このサイトは題して「稀書自慢 西洋経済古書収集-あわせてインターネットによる洋古書収集のすすめ-」

 ↓  これです
  http://www.eonet.ne.jp/~bookman/index.htm

 ここにはいくつかの棚があります。
■ 古典派以前の棚
■ 19世紀本の棚
■  限界主義の棚
■  稀覯書棚
■ 書簡集
■ サイン集
 ・経済学者伝記
 ・所蔵初版リスト

 ざっと見ると個人の蒐集としては、すごいものです。ベンサム『高利の擁護』、ペティ『政治算術』、ケネー『経済表』、スミス『道徳感情論』『国富論』などは一例で、他にバベッジ、フラートン、エッジワース、カウツキー、マルクス、ミル、ケトレー、シーニア、ヴィクセル、パレート、ワルラス・・・・実際に見ていただくほうがよいです。写真、解説、それに入手の経緯なども書き込まれています。

 私自身は蔵書や稀覯本収集の趣味はありませんが、こういうものを目の当たりに見ると、賞賛したくなります。どこのどなたかはわかりませんが、いろいろ話をお聞きしたいものです。


カテゴリーの変更

2013-02-17 00:38:57 | その他

  本ブログのカテゴリーを一部、変更しました。

 「経済/経営/社会」の「社会」の部分を、「政治」と合体し、「政治/社会」としました(以前の「経済/経営/社会」は、「経済/経営」となります)。それにともない「経済/経営/社会」のなかに入っていた「社会」関係の記事を「政治/社会」に移動しました。

 また、「江戸学/古典芸能」を「江戸時代(社会)/古典芸能」に変更し、「小説」のなかに入っていた江戸時代をあつかった記事をここに移動しました。

 変更の主旨は、「社会」という項目が、「経済/経営」よりも、「政治」に近いこと、また江戸時代に対するわたしの関心は強いので、小説をとおして知る江戸の社会は、広く「小説」に括るよりも、「江戸時代(社会)」のなかにとりこんだほうが、カテゴリーとして生きてくると思ったからです。


ブログ・コンセプト⑦

2012-08-03 00:42:30 | その他

 2007年2月に本ブログを開始して、今日で2031日目。積み上げた記事の総数は、1676。チリも積ればヤマとなるである。

 2010年12月4日、今から2年半ほど前に、ブログの進行状況を中間報告したことがある。その時は、ブログ開始1422日目であった。

 2010年12月集計と、今日までのそれをカテゴリー別に比較してみた。

 1 小説              171(前回113で58増)
 2 音楽・CD           165(前回110で55増)
  3 映画                 159(前回135で24増)
  4 地理・旅行・温泉・散歩  159(前回106で53増)

 以上、中間報告。


森高夕次『グラゼニ(1)』講談社

2012-07-11 00:12:53 | その他

             

  ある飲み屋で、若いサラリーマンが熱弁していた。聞くと30歳。話の内容は、野球コミックをめぐってのよう。はっきりとは聞き取れないが、プロ野球を新しい切り口で、ドラマ化しているという。


  飲み屋の帰り際に、「君たちがはなしていたコミックのタイトルは何ていうの? あまりにも面白そうに話していたから、教えてくれる?」と尋ねると「『グラゼニ』です」との返事? 「グラゼニ?」、何のことかわからない。

  帰って、子どもにきくと、「知っている」とのこと。だが、読んだことはないという。それでも「TSUTAYAに行けば借りられる」と言うので、あるとき、ついでに借りてきてもらった。

  そして、読むと・・・。「うーん」。そんなに面白いとは思わないが、確かに野球の試合そのものではなく、その裏面が描かれている。
  要するに、野球選手は、ある意味で商品で、年棒がすべて。主人公は、凡田という中継投手(26歳、年収1800万)なのだが、年棒の高い選手と対決したり、逆だったり・・・。そのときの微妙な心理など。また友情も。

 「ぼくの職場」「谷間」「習性」「ともだち」「県人会」「引退へのレール」と続く。
 
 「グラゼニ」とは、野球のグラウンドにはゼニが埋まっているということ。確かに、ある切り口ではあるが、そんなことは知っていたので、いまひとつ興にのれなかった。


ANA機体メンテナンス工場見学

2012-05-08 00:20:10 | その他

 社会見学(28人ほどの若者を引率)で、羽田のANA機体整備場に行ってきました。浜松町からモノレールで「新整備場」まで、そこで下車してから徒歩で15分ぐらいで整備場に到着です。

            

                 

 整備場は東京ドーム2個分ほどの大きさ。最大で7機が入れるようです。整備は4段階あるようで、頻繁に行う「航空整備」、中程度のもの「A整備(375-600時間)」「C整備(3000-6000時間)」、数年(4-5年)に一度の「HMV」とに分かれていました。


 「航空整備」は、空港に到着した飛行機が次のフライトまでの間の点検・整備です。
 「A整備」は、375-600時間ごとに行われる整備で15人ほどの整備士が6時間ほどかけて実施します。
 「C整備」は、3000-6000時間ごとに行われる整備で、約1週間飛行機の翼をドックで休め、多くのパネルをはがし、部品をとりはずし、本格的に実施されます。

 「HMV」はヘビーメンテナンスビジットの略で、4-5年たつと実施される整備です。機材の長期使用にともなって発生する各種作業(機体構造の点検、防食作業など)です。

安全品質を守るために部門は4つにわかれています。「ドック整備」「ライン整備」「装備品整備」「エンジン整備」です。

 案内の女性にしたがって、機体のすぐ近くまで行くことができ、整備士の動きをみることができます。もっとも、何をどのように整備しているのかは、わかりません。

 機体は機種にもよりますが約800億円、エンジンは一台35億円ほど、20年ほど就航するそうです(まだ使用可能でもその程度でとどめているようです)。

              

                   


ラズウェル細木『う』(第1巻)、講談社、2011年

2012-04-19 00:00:10 | その他

            

 本ブログで初めて登場する「まんが本」です。


 うなぎをめぐる主人公・椒太郎の日々。読んでいるうちにうなぎに詳しくなります、間違いなく。

 話は「うの一番」から「うの二十九番」まで。
 関東と関西のうなぎのかば焼き(うな重)の違い[腹開きと背開き、蒸すと蒸さない、頭のあるなし]。
 うなぎをつかった料理「半助豆腐(うずら豆腐)」「う巻」「まむし丼」。まだまだあります。
 肝の使い方、ウナギ酒、スーパーで買ったウナギの美味しい食べ方。ウナ重の松竹梅などなど。
 
 主人公・椒太郎には彼女がいて、近々結婚しそうなのだが、ときに彼女の物言いを上の空でうなぎに没頭していたり・・・。
 主人公と周りの人々の関わりの間にうなぎが常にあって面白いです。まだまだ続くようです。

 「モーニング」という雑誌に連載中。


家族新聞研究会編『わたしの家族新聞づくり』日本機関紙出版センター、1980年

2011-07-28 00:07:25 | その他

              
 本ブログ7月24日付で、わたしの家庭新聞を紹介しましたが、同時に当時、家族新聞が全国的に話題になっていました。わたし自身はそのことを全く知らず、独自に新聞を刊行していました。刊行を継続していくうちに、他の家族の新聞との出会いが始まりました。

 その一例が、今回紹介する本、家族新聞研究会編『わたしの家族新聞づくり』です。発行所の日本機関紙出版センターが大阪にあるせいか、登場している家族新聞はほとんど関西の方々です。本書の第二章に、12の家族新聞が紹介されています。

 この本の「はじめに」によると、家族新聞がまじめ議論の対象になったのは、この2年ぐらいの話とあり、この本が出版されたのは1980年ですから1978年ごろということになります。

 第一章は「今なぜ家族新聞なのですか」と題して小森孝児さんが、家族新聞の意義を論じています。家族新聞の4つのタイプが示されています。「子ども単独型」「おやこ全員参加型」「片親機関車型」「親類系を含む新聞、文集」です。

 第三章「さあみんなで作りましょう」と新聞をつくるノウハウが示されています。

 家族新聞の理念と実践を論じ、紹介した記念碑的な本です。


家庭新聞『はばたき-子供二人の成長記録-』、『リズムは四拍子-家庭新聞「はばたき」100号記念-』

2011-07-24 00:05:43 | その他

            

 今日は自作の冊子を紹介します。家庭新聞『はばたき』というものです。といってもこれは、1983年と1987年に、いまから2
4-28年ほど前に作ったものです。

 家庭新聞と言っても、内容は子育て日記のような新聞です。もちろん、新聞ですから、子育て日記だけではなく、家庭のなかで起こったニュース、イベント、ハプニングなどを記事にし、新聞の体裁で記事をくみました。サイズはB4.縦型です。創刊は1979年1月21日です。毎月一回(複数号の月もありました)、一月も休まず112号まで発行しました(終刊は1988年1月31日)。9年間ほどです。
 
 どんな内容かというと、たとえば1980年7月20日発行の第19号の記事は、次のようです。
・祝津(しゅくず)水族館へ
・保育園で小遠足-茨戸(ばらと)公園での陽ざしの中で-
・読書で世界旅行(黒沼ユリ子「メキシコからの手紙」、岡部清子「わたしのアンカラ日記」を読んだことの紹介
・子どもの歩み(写真が一枚)
・「言葉」欄で高村光太郎の詩の紹介
・コラム
・生活便り(ロシア民謡アンサブルを鑑賞したこと、など)

 配布先は実家、保育園の保母さんたちです。20部ほどコピーしていました。また後に、このような家庭新聞を作っている家がたくさんあることがわかり、その方々と交換などもしました。

 当時、パソコンなどはなく、全部手書きでした。それでも写真やカットを入れたり、コラムを書いたり、心に残る言葉を書き込んだり、いろいろ工夫しました。(現在でしたら、パソコンがありますから、綺麗な新聞を、もっと楽に作れたことうでしょう。)

 このような新聞を作りはじめたきっかけは、子どもの成長を記録しておきたいということがあったからです。そして、わたし自身、小学校時代に学級新聞に関心をもっていて、その延長に我が家の新聞があると思っています。

 この記録のおかげで、いまでも記事を読むとあのとき、こういうことがあったなと出来事が想いだされ、その周辺のことどももよみがえってくるから不思議です。これがなければ、永遠に忘却のかなたに埋もれてしまったものが、舞い戻ってくるのです。

 50号になったところで冊子にし、100号でまた冊子にしました。冊子化するにあたっては、スナップ写真を入れたり、この新聞の読者だった親戚、保育園の保母さんに寄せ書きをしてもらったり、あらたに編集の手をくわえました。


東日本大震災(ブログ通報⑫)

2011-04-24 00:37:38 | その他

 今回の震災によって首都圏で大きな打撃を受けたのが、千葉県の浦安市です。10日(日)の統一地方選挙(県議選)はこのため浦安市地区に限り、選挙が延期されました。24日(日)の市議選はどうにか実施されるようです。

 浦安市は、本ブログで以前に紹介した(2008年1月26日)、田村秀著『自治体格差が国を滅ぼす』(2007年、集英社新書)で、「究極の勝ち組自治体」として取り上げられた市です。(わたしは、この「勝ち組」「負け組」という用語、またものごとをこのような用語で説明していく姿勢そのものが大嫌いなのですが、いまはそのことを議論する場ではないので、やめます。)

 この本の紹介では、浦安市は日本一の人口増加率を誇り(2000年国調⇒2005年国調)、各種の都市ランキングでも好感度で上位にランキングされる都市ということになっています。

 浦安市はかつて漁村でした。それが埋めたてにより開発が進みました。1983年には舞浜地区に遊園地、東京ディズニーランドが開園、その周辺に大規模なリゾートホテルが続々とオープン、日本一の図書館があり、財政も豊かで、近未来都市が実現したとも一時報道されました。

 この本にはそうした浦安市に一抹の不安があると、書かれています(p.47)。それは大震災が起きると埋めたて地に液状化現象が想定されるというのです。実際に、市は「浦安市地震防災基礎調査報告書」を2005年3月に作成し、阪神・淡路大地震並みの直下型地震が発生した場合の被害の資産をしていたようです。

 著者の田村さんは次のように指摘しています、「浦安市に数多く見られる中高層マンションは、原稿の耐震基準を満たしている限りは倒壊の恐れはほとんどないだろうが、液状化現象が発生して上下水道、ガスなどのライフラインが多大なダメージを受けることも考えられる。そうすると建物は無事でも日常生活に大きな支障が生じ、再び、埋立地の時代のような陸の孤島状態に逆戻りしてしまう危険性すらある」と(p.48)。

 図らずもその指摘があたってしまったのですが、地震に対する大都市の防災の必要性は、これまで以上に慎重に、きめ細かくおこなわれなければならない、ということが教訓として残りました。


東日本大震災(ブログ通報⑪)

2011-04-23 00:05:28 | その他

 先日の朝日新聞(4月17日)埼玉版に興味深い記事がのっていました。
 
 3月11日の東日本大震災のおり、その時点で東京・汐留にいて、わたしと同じ埼玉県蓮田市に住んでいる人が「徒歩で」帰宅したという記事です。この距離は約42キロ。夕方5時半に出て、家についたのは午前3時半、約10時間かかって帰宅したという記事です。経験談ですが、それにとどまらず国や自治体の防災指針が役に立ったのか、日ごろからの心構えが書かれています。

 携帯電話は使用できない状態。これはだれもが経験したことです。この方はスマートフォンでひたすら最短経路を呼び出して、たどったとのことです。

 都心の歩道は帰宅する人であふれ、東京、秋葉原、上野駅を通過するたびに群衆はふくらみ、大渋滞。荒川を超えると漸く人の流れがしだいにすくなくなったとのことです。川口で小休止。栄養補助食品をかじり再スタート。

 午前2時にコンビニでトイレタイム、休憩。そして自宅へ。

 この方は、家に着いたのですが、秋葉原で歩くのに邪魔とコインロッカーにいれたリュックにカギが入っていて、家に入れず、近くの公民館で一泊したそうです。

 とにかく東京の端から蓮田市まで歩いたというのですから凄いです。わたしなどはJR駒込駅で地震に遭遇し、職場の池袋に戻りました。徒歩で蓮田市にかえることなどは、無謀と判断したのですが・・・。ちなみに、国の基準では20キロを超える徒歩帰宅は不可能と定めているそうです。

 教訓あるいは注意事項としては、非常時に電子機器にたよりきるのは禁物、帰宅ルートを明示した手製の地図を持参し、いつも手許にもっておくべき、とのこと。

 東京ではこの日、外出者約1000万人の3割にあたる約300万人が帰宅不能におちいったとか(調査会社サーベイリサーチセンターによる)。政府の中央防災会議の推定では、もし首都直下でマグニチュード7.3クラスの地震があった場合には帰宅困難者が650万人になるとのことです。この記事も同じ日の朝日新聞に掲載されていました。


東日本大震災(ブログ通報⑩)

2011-04-17 00:39:37 | その他

 今回の震災関係で,身近なところで,予測できなかった事態を「想定外」とする行政の姿勢をみました。埼玉県久喜市でおきた液状化による住宅災害の責任をめぐってのことです。

東日本大震災から一カ月余。関東でもいまなお強い余震があります。関東で被害がとりわけ甚大だったのは,千葉県の沿岸部にある浦安市です。市は液状化現象(地震の際に地下水位の高い砂地盤が,振動により液体状になる現象。埋立地や河口など砂質の地盤で起こりやすく,地盤の上の建物を傾かせ,道路を液状に破壊する)で,泥との闘いを今なお強いられています。


 液状化が問題になった市が,内陸の埼玉県にもありました。久喜市です。この市は,浦安市とは異なり関東の内陸の地。埼玉県東部に位置し,人口約
156千人です。都心まで約50km。面積は82.4 km²です。利根川の沖積平野にある平坦な土地柄です。この久喜市の南栗橋の一部で,今度の震災によって液状化現象にみまわれました。



 問題の液状化地域は南栗橋の新興住宅地で,約
2000戸に8000人ほどの人が住んでいます。今回の震災では,約130戸が大なり小なりの液状化被害を蒙り,生活基盤に大きな支障がでました。具体的には,複数の家が傾き,道路の至る所でアスファルトがもちあがり,亀裂がはしり,汚水にまみれた土砂があふれました。上下水道の一部は使えない状況でした。

 

 南栗橋地域は市が分譲した住宅用地です。この地一帯はもともと水田などの湿地帯で,地盤が軟弱でした。これまでとくに問題がなく経過してきましたが,大震災で住宅地として適格ではないことが図らずも露呈してしまったかたちになります。

 
責任は誰にあるのかでしょうか。この土地を分譲した自治体なのか,湿地帯を実際に埋め立てた造成業者なのか,住宅の基礎工事にたずさわった業者なのでしょうか。誰がどの範囲で責任をとるのが妥当なのでしょうか。

 


東日本大震災(ブログ通報⑨)

2011-04-16 17:21:56 | その他

 今朝も大きな余震がありました。仕事関係で2泊3日で名古屋方面に行ってきましたが、この間地震に全く遭遇せず、東京に戻ってくるとまたいきなり強い余震。地震を忘れていた数日間と東京、ひいては東北との状況の落差を実感しました。

 もちろん、名古屋のあたりでも地震のニュースは流れています。しかし、大きな違いは、東京ですと居酒屋にいくと、わたしと一緒のだれかがこの話題をだしますし、あるいはお店にきているお客の誰かが必ず地震とか原発災害の話をしているのを耳にしますが、名古屋あたりではそういうことが一度もありませんでした。普通の会話で時間が流れています。

 東京は東北からはかなり距離があるものの、3月11日のショッキングな経験はみな何かしらしていて、その時どこにいたのか、何をしていたのかが、話のきっかけになります。また、自分の家の近くに浜岡原発があるがはやく止めてほしいとか、浄水場の汚染が話題になります。

 震度6弱を経験したり、水道の汚染に警戒したりという体感があるのと、ないのとでは相当、市民の意識がことなあるものだと実感しました。

 もっとも、わたしの小さな実感をあまり一般化することはできませんが・・・・。


東日本大震災(ブログ通報⑧)

2011-04-13 00:11:20 | その他

 余震が相変わらず続いています。福島の浜通り、中浜通りは、震度6弱なり、震度5,4の余震が頻発しているようで、気の毒です。1日も早い収束を期待しているのですが、長期化が懸念されます。
 義援金の第一次配分基準が決まり(8日)、仮設住宅建設も少しづつ進み、一条の光がみえてはいるものの、被災地に暮らす方々の生活上の苦労はいかばかりかと察します。
 復興計画の話が徐々にでてきていますが、依然として不明者、避難所での生活を余儀なくされている方が15万人を超えているというのが現状で、事態は改善されていません。

 そんななか、原子力安全・保安院は、福島原発事故の国際原子力事故評価尺度(INES)の評価を、あのチェルノブイリ原発事故(炉心溶融[メルトダウン]の後爆発)と同じ水準のレベル7にひきあげると発表しました。根拠は3月11日から4月5日までに原子炉から大気中に放出された放射量が63万テラベクトルに達したからです。その大部分は3月15日から16日にかけて2号機から出たものと言われています。テラというのは1兆の1万倍です。しかもこの数字には、大気中にでた放射能物質の量だけから生まれた値で、海水への放水に含まれている分、地面や地下水に及んだと思われる分は含まれていません。
 ちなみに、今から15年前の1986年4月に、チェルノブイリ原発事故では、10日間で520万テラベクトルでした。

 これまでレベル5だったものが、レベル7にあがれば、当然、世界からの福島原発事故への評価は厳しくなることが予想されます。評価レベルの変更が、遅すぎるという批判もでています。NYダウ平均株価は、現在、その値をさげていますが、これは福島原発被害がレベル7にあがったことを一部織り込んでのことでしょう。

 チェルノブイリ原発事故と福島原発事故の違いは、しかしいろいろあります。今のところ、後者から大気中に放出された放射能は前者の1割程度です。とはいえチェルノブイリ原発事故は、放射能放出が10日間ほどでとまりましたが、福島原発は現在進行形で、収束の方向が見えていません。
 今日漸く、6万トンの高濃度汚染水の2号機トレンチから復水器への移出が始まりました。それが遂行されたとしても(40時間)、冷却器がうまく再生し、循環系がが回復するかどうかは未知数です。以前として「悪い状態で安定している」という状況は変わらず、予断は許されません。今後の処理の難しさがひかえています。

 福島原発災害はいまや人類史上前例のない国際的な問題です。世界の英知を集めて、この災害を終息させる必要があります。アメリカは合同調査委員会をスタートさせました。ロシアはチレルノブイリ事故とかかわるいろいろな実践上のノウハウをもっているはずです。国際的協力をもとめることは、いまや喫緊の課題です。

 後遺症はまだまだ続きます。問題解決の方向が見えないところが、ストレスのたまる原因です。