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高槻市の南西部に位置し、寺内町として栄え多くの寺社が立ち並ぶ
富田町の一角に、臨済宗・慈雲山普門寺があります。2009年3月29日(日)
普門寺は
明徳元年(1390年)に説厳(せつがん)によって創建されたと伝えられ、足利十四代将軍義栄の居城でしたが、三好長慶が細川晴元を幽閉するために荒廃していた普門寺を城塞化して築いたお城で、別名「普門寺城」とも呼ばれていました。
1563年(永禄6年)3月1日、晴元はこのお城で死去しています。
晴元の墓と伝わる宝篋印塔と、境内の北側に土塁がわずかに残っています。
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表門をくぐり境内に足を踏み入れると、明の高僧「隠元禅師( いんげんぜんじ )」が作ったとされる石畳が境内奥の方丈へと導きます。
隠元禅師筆「獅林(しりん)」
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普門寺仏殿に掲げられています。
※獅林=獅子林(ししりん)の略、禅の修業の場の意
方丈 国の重要文化財指定
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いつもは両脇にある木の扉で閉じられ、中を見ることも出来ませんが
この時は、重要文化財「方丈」の中に入ることができました。(^^♪
普門寺方丈の「重要文化財指定書」
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部屋に入ると正面の右側に掛けられていました。
狩野安信の作とされる水墨画
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方丈の襖絵は、新しい下地に張り替えたものだと言われてましたが
年代を感じさせてくれる水墨画の襖でした。
隠元禅師、龍渓和尚が去ってからは普門寺は寂れ
明治時代には堂の多くは失われ、昭和初期までは専任の住職も居なかったが
復興が計られ昭和57~59年には方丈の解体修理が行われ、建立当時(元和7年(1621年))の姿に復元されたといわれています。
※隠元禅師は普門寺を出た後、京都の宇治に黄檗山万福寺を開きました。
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利休梅が咲いています。
観音補陀落山の庭 国の重要文化財指定
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方丈の西北側にある「池泉式枯山水の庭園」は
江戸時代初期、庭園造りの名人といわれた玉淵の作と伝えられ
観音補陀落山の庭といわれている。
一番奥に立っている石は滝を表し、その手前の平たい細長い石は橋
橋の手前の地面で苔のない部分は、川を表している「枯山水庭園」です。
「瑠璃殿」
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目の一畑薬師如来 平成七年新築 (室町建築様式)
普門寺さんは「沙羅双樹の花」が見られるお寺として知られています。
普門寺の見学には前日までに予約が必要ですのでご注意ください。
住所:高槻市富田町4丁目10-10 TEL:072-694-2093