168)がん細胞のエネルギー産生の特徴

図:細胞は血中のグルコース(ブドウ糖)を取り入れ、解糖系、TCA回路、電子伝達系における酸化的リン酸化系を経て、エネルギー(ATP)を産生している。酸素(O2)が十分に利用できる場合はミトコンドリアで効率的なエネルギー産生が行われ、酸素が不足すると嫌気性解糖系が進んで乳酸が蓄積する。がん細胞では、酸素が十分に利用できる場合でも嫌気性解糖系でのエネルギー産生が主体で、ミトコンドリアの活性が低下しているという特徴がある。このようながん細胞におけるエネルギー産生の特徴を利用したがん治療が注目されている

168)がん細胞のエネルギー産生の特徴


【がん細胞はグルコース(ブドウ糖)の取り込みが多い】
がんの検査法で
PET(Positron Emission Tomography:陽電子放射断層撮影)というのがあります。これはフッ素の同位体で標識したグルコース(18F-fluorodeoxy glucose:フルオロデオキシグルコース)を注射して、この薬剤ががん組織に集まるところを画像化することで、がんの有無や位置を調べる検査法です。正常細胞に比べてグルコース(ブドウ糖)の取り込みが高いがん細胞の特性を利用した検査法です。
がん細胞がグルコースを多く取り込むことは古くから知られています。がん細胞は盛んに分裂するので、正常な細胞に比べてエネルギーが多く必要であるため、グルコースをより多く消費する必要があることは容易に推測されます。しかし、最も重要な理由は、
がん細胞は酸素を使わない非効率的な方法でグルコースからエネルギーを産生していることです。正常な細胞はミトコンドリアで酸素を使った酸化的リン酸化という方法でエネルギーを産生しています。1分子のグルコースから、酸化的リン酸化では36分子のATPを産生できるのに、嫌気性解糖系では2分子のATPしか産生できません。したがって、嫌気性解糖系でのエネルギー産生に依存しているがん細胞ではより多くのグルコースが必要となっているのです。

【がん細胞は嫌気性解糖でエネルギーを産生している】
細胞を働かせる元になるエネルギーは、食事から取り入れたグルコース(ブドウ糖)を分解してATPを作り出すことによって得ています。
ATPはアデノシン3リン酸(Adenosine Triphosphate)の略語で、エネルギーを蓄え,供給する分子としてエネルギーの貨幣としての役割を持っています。
ヒトの血液中にはおよそ80~100mg/100mlのブドウ糖が存在します。
ブドウ糖は血液中から細胞に取り込まれ、1)
解糖(glycolysis)、2)TCA回路(クエン酸回路やクレブス回路と呼ばれる)、3)電子伝達系における酸化的リン酸化をへて、二酸化炭素と水に分解され、エネルギーが取り出されます。
解糖はグルコースがピルビン酸になる過程で、この酵素反応は細胞質で行われます。ピルビン酸は酸素の供給がある状態ではミトコンドリア内に取り込まれて、TCA回路と電子伝達系によってさらにATPの産生が行われます。酸素の供給が十分でないとピルビン酸は細胞質で乳酸に変わります。この状態を
嫌気性解糖(aerobic glycolysis)と言います。
酸素が十分にある状態では、ミトコンドリア内で効率的なエネルギー生産が行われ、1分子のグルコースから36分子のATPが作られます。一方、嫌気性解糖系では1分子のグルコースから2分子のATPしか作れません。
がん細胞は酸素が少ないところでも増殖できるように嫌気性解糖系が活性化されています。酸素が豊富な状態でも、がん細胞は嫌気性解糖系でエネルギーを産生しているのが特徴です。
低酸素と遺伝子変異によって、ピルビン酸から乳酸に代謝する
乳酸脱水素酵素(lactate dehydrogenase )の発現が高まり、ピルビン酸脱水素酵素(pyruvate dehydrogenase)の活性を低下させることによって嫌気性解糖系を活性化していることが報告されています。
がん遺伝子のc-Mycと低酸素状態で発現するHypoxia-inducible factor 1(HIF-1)によって乳酸脱水素酵素の産生が高まることが知られています。

【がん細胞はミトコンドリアの働きを抑制している】
ミトコンドリアは全ての真核細胞の細胞質中にある細胞小器官で、一つの細胞の数千個存在します。ミトコンドリアにはTCA回路(クレブス回路)に関わる酵素や、電子伝達系やATP合成にかかわる酵素群などが存在し、細胞内のエネルギー産生工場のような役割をもっています。また、
細胞死(アポトーシス)の実行過程においても重要な役割を果たしています。
約80年以上も前に、
オットー・ワールブルグ(Otto Warburg)博士は、がん細胞ではミトコンドリアにおける酸化的リン酸化によるエネルギー産生が低下し、細胞質における嫌気性解糖系を介したエネルギー産生が増加していることを発見しました。これをワールブルグ効果と言います。
しかし、これはがんの原因ではなく、酸素欠乏状態にある結果として仕方なくそうなるのだという考えが主流で、最近まであまり重視されていませんでした。ところが最近、このワールブルグ効果はがん発生の原因として再び脚光をあびるようになっています。
最近のがんの研究で、がん細胞のミトコンドリアの形状や機能や活性に様々な異常が生じていることが明らかになりました。
その詳細は極めて複雑ですが、簡単にまとめると、
がん細胞は細胞死(アポトーシス)を起こりにくくするためにミトコンドリアの機能を抑制するメカニズムが働いているということです。細胞がアポトーシスを実行するときに、ミトコンドリアの電子伝達系や酸化的リン酸化に関与する物質が重要な役割を果たしています。そこで、がん細胞はアポトーシスが起こりにくくするためにミトコンドリアの働きを抑え、必要なエネルギーを細胞質における解糖系依存しているという様に解釈できると言うことです。
がん細胞は無限に増殖する能力を獲得した細胞です。早く増殖するためには、より効率的なエネルギー産生を行った方が良いように思います。グルコースを大量に消費するのに、なぜ効率的なエネルギー産生系であるミトコンドリアの酸化的リン酸化を使わずに、非効率的な嫌気性解糖系を使うのか、長い間の謎でした。ミトコンドリアで効率的にエネルギー産生を行う方が、細胞の増殖にもメリットがあると考えられるからです。
その答えの一つが、「
がん細胞は死ににくくするために、ミトコンドリアの活性を抑制する」という考えです。増殖速度を早めるよりも、死ににくくする方ががん細胞が生き残っていくためにはメリットがあるのかもしれません。

【がん細胞のミトコンドリアを活性化し、嫌気性解糖系を阻害するとがん細胞は死滅する】
がん細胞のエネルギー産生の特徴を利用したがん治療が注目されています。
その治療法の原理は、
ミトコンドリアの活性化と嫌気性解糖系の阻害の2つです。
がん細胞におけるミトコンドリアの機能抑制は不可逆的なものではなく、機能を可逆的に正常に戻すことができるという研究結果が報告されています。
そして、
がん細胞におけるミトコンドリア内での酸化的リン酸化を活性化すると、がん細胞のアポトーシス(細胞死)が起こりやすくなることが報告されています。
がん細胞の酸化的リン酸化を活性化する薬として、ピルビン酸脱水素酵素を活性化する
ジクロロ酢酸ナトリウムや、カフェインなどが知られています。ピルビン酸脱水素酵素の活性が高まると、乳酸からピルビン酸の産生が促進され、ピルビン酸はミトコンドリアに入ってTCAサイクル(クレブスサイクル)によるエネルギー産生が高まります。つまり、機能低下に陥っていたがん細胞のミトコンドリアにおけるエネルギー産生を高める効果があります。
がん細胞におけるミトコンドリアの活性化が起こると、今まで抑制されていたアポトーシスが起こりやすくなります
ジクロロ酢酸ナトリウムの抗腫瘍効果に関しては、現在臨床試験が行われています。お茶やコーヒーに含まれるカフェインが酸化的リン酸化を刺激してがん細胞のアポトーシス感受性を高める作用も報告されています。
また、がん細胞のエネルギー産生は細胞質における嫌気性解糖に依存しているため、解糖系酵素を阻害する薬はがん細胞をエネルギー枯渇に陥らせて殺す作用が期待できます。
がんの漢方治療で使用される
半枝蓮(ハンシレン)は、解糖系酵素を阻害することが報告されています。
半枝蓮は、癌細胞にとって85%ものエネルギー産生源である解糖系の酵素を阻害し、がん細胞をエネルギー不足に追い込むことによってがん細胞を殺すというメカニズムが提唱されています。(詳しくはこちらへ
がん細胞はそのエネルギー産生を嫌気性解糖に依存しているため、正常細胞の何十倍も多くのグルコース(ブドウ糖)を取り込む必要があります。また、がん細胞内では嫌気性解糖によって大量の乳酸が産生され、これががん細胞の増殖や転移の促進に関与しているというという説もあります。
「甘いものはがんの栄養になる」と言われていますが、実際にグルコース、つまり砂糖の多いお菓子や食品を多く摂取することはがん細胞の増殖や転移を促進します。砂糖を多く使った食品の摂取を少なくするだけでがん細胞の増殖を抑える効果が期待できます。甘い食べものは、がん細胞の増殖を促進するインスリンやインスリン様成長因子の産生を促進することもがんの増殖を促進する原因になっています。
動物性の飽和脂肪酸の摂取を減らし、ω3不飽和脂肪酸のドコサヘキサエン酸やエイコサペンタエン酸を多く摂取することも大切です。PET検査で検出できないがんも多くあります。これは解糖系が亢進していないがん細胞もあることを意味し、この場合は解糖系酵素を阻害しても効果は期待しにくいかもしれません。細胞にはグルコースを使わず、脂肪酸の酸化によってエネルギーを産生する経路があるからです。脂肪酸は
β-酸化という方法によってアセチルCoAを産生し、TCA回路を経てエネルギーを産生することができます。
動物性脂肪の摂取をできるだけ抑え、
魚油や亜麻仁湯、紫蘇油などω3不飽和脂肪酸の多い食品を摂取すると、がん細胞のエネルギー産生を抑え、同時にがん細胞をおとなしくすることができます
お茶やコーヒーに含まれるカフェインが酸化的リン酸化を刺激してがん細胞のアポトーシス感受性を高める作用が報告されています。お茶とコーヒーは抗酸化作用の高い成分を多く含むので、がん治療にも有効です。ただし、コーヒーに砂糖やミルクを入れるのはがん治療の観点からは勧められません。
以上のような、がん細胞のエネルギー産生の特徴をターゲットにした様々な治療法や食事療法は、副作用が少なく、がんとの共存を目指す治療法として試してみる価値があると思います。
(具体的な治療法についてはこちらを参照
(文責:福田一典)

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