坊っちゃん入るべからず・・・南四丁目発by Ken's Channel

北の街札幌。ランと登山と旅日記。
YOUTUBEチャンネルもやっています。(^^)/
「北海道山日和」

つどーむ de ラン・・・2/26

2014-02-27 20:00:00 | マラソン(練習記録)

水曜日はたまゆらんの日なのですが、昨日はつどーむへポイント練習に行きました。


冬のこの時期では仕事とランとうまくやりくりしようと思うと、何かを犠牲にしないと行けない時があります。

たまゆらんも大切なのですが、次の長野までは耐え忍びたいと思います。


さて、メニューは5000m×2本 レストは7分~10分。

ペースは3'33-38/㎞


しかしいざつどーむへ着いて着替えてみると、時計がない


もちろん仕事用の金属時計はしてますが、まさかそれをして走るわけにもいかず・・・・・


ポン助は考えました。


携帯のストップウォッチを使おう


ということで、アップをしながら動作確認。


ペースの速いこのこの練習で、まさかスマホを持って走れるわけもなく、ましてや1㎞ラップも取りずらい。

最初の100mだけペース確認して、あとは体感。


そしてスタート。


1本目終了 タイム 18分10秒・・・ペース3'38/㎞


よしまあまあ。


外周をあるきながらレスト8分。


そして2本目。

短パンのポケットで揺れるスマホはやっぱり邪魔だけど、そこは集中力でカバー


2本目終了 タイム 18分17秒・・・ペース3'39/㎞


3000m以降ちょっとダレたのが原因。

んー、3'35で行きたかったけど、まぁ良しとしましょう。


チームメイトの緑さんも、病明けから復帰の為積極的に自身のメニューをこなしてましたねぇ。


京都が終わった後の右ひざの痛みがきになりますが、ここまで来たので、これが原因となって練習出来なくなることがないようしっかりケアをしたいと思います。


人気ブログランキングへ

 

さて、先日仕事の都合で大学の偉い先生とお食事をする機会がありました。


仕事の話だけではなく、雑談を交えていろんな面白い話を聞けたのですが、その中で


我慢(する)という言葉は使い方としてあまりいいことではないんです。使うなら忍耐がいい」




我慢という言葉は現在、一般的には自分自身を抑制し、また耐えるという意味合いで「我慢する」などと使われますが、もともとは「我意を張る」などという強情な心意を介した転用で、近世後期から使われるようになったと。

そして、その語源を調べてみると、

我慢とは、仏教煩悩の一つで、「強い自己意識から起こす慢心のこと」

四慢(増上、卑下、我、邪)の一つ、また七慢(慢、過、慢過、我、増上、卑劣、邪)の一つ。

仏教では人間を固定的な実態として捉え、自己の執着することを我執(がしつ)といい、その我執から、自分を高く見て他人を軽視する心をいった。

ということです。

「耐える」という意味合いではあるけれど、そこには常に上から目線の心があるというのです。


そして、忍耐とは、苦しさ、辛さ、悲しさなどを耐え忍ぶこと。

自分に不都合なことをひとにされても、暴力的な仕返しをしたり、現実逃避をしたりしないなど。
いつかその先に光があることを見ていること。


普段何気なく使っている「我慢」「忍耐」もそのような語源を聞くと、なるほどなぁと思えてきます。


ちょっと興味がわいてきたので、さらに「我慢と忍耐の違い」をネットで調べてみたら、色々とヒットした中でわかりやすいサイトに出会いました。

ドクター小西の「統合医療情報局」

 

小西先生の記事で「我慢と忍耐とは何が違うのか?」※上記サイトで全て読めます。

という記事の中の最後の方で、
----------------------------------------------

「我慢」とは自分の感じている感情を潜在意識に抑え込むことです。感じることが「傷ついた記憶」と結びついているので感じないようにするということです。

これに対して「忍耐」は、自分に起こってきた感情に気づきながら、それに振り回されずに、感情をきっちりとコントロールするということです。
------------------------------------------------抜粋

あることに腹が立ったとして、それをいきなり怒りに表わし、表現することは「社会的常識」に反します。

我慢をするのでなく、耐え忍ぶ(忍耐)こと。

その怒りの感情を自覚し、コントロールする「忍耐力」を養うことが大切なんですね。

 


最新の画像もっと見る

post a comment