バレエ用語は基本的にフランス語である。パ・ドゥ・ドゥだとか。しかしなぜだか分からないが5つの基本ポジションはファースト・ポジションなどと英語。世界各地での予選を経て、ニューヨークでファイナルが行われる若手ダンサーの登竜門YAGP(ユース・アメリカ・グランプリ)に参加する子どもたちを描いた秀作が「ファースト・ポジション」である。そう、映画の題名は踊り始めるときの基本姿勢と同時に、彼ら彼女らが世界にはばたく第一歩であることをも表している。
ド素人バレエファンとしては、11歳のアランの瑕疵のない、年齢を感じさせないテクニックと舞台余裕に驚嘆させられる。抜きんでていると感じたのだ。取り上げられるのは基本的にアメリカ人が多いが、14歳、黒人のミケーラは西アフリカのシオラレオネ出身。両親が内戦で殺され、孤児院にいたところをアメリカ人の白人夫妻に養子にとられたころから渡ってきた。アメリカ人と日本人とのハーフのミコ、12歳は、母親が猛烈なステージママ。10歳の弟のジュールズはバレエへの関心をなくしてしまうが、ミコはバレエを心から愛し、楽しんでいるよう。ステージママの熱心さだけではない。コロンビアからNYに来ている16歳のセバスチャンはまだ母親の声をしょっちゅう聞かないと淋しい年頃。両親から「この国には仕事がない。成功して帰って来い」と言われている。自分で車を運転、友だち、彼にもめぐまれ、整った容姿と体躯を持つレベッカ、17歳。アランのダンスに魅せられ、すすめられて自分も始めた11歳のガヤはイスラエル人。アランもミコも自宅学習で学校へは行かず、完全にバレエ中心の生活を送っている。そして総じて皆裕福な家庭である。レベッカの家は大きいし、ミコの父は企業経営者。ミケーラの養父母もミケーラの年からすれば年配でこれも裕福そう。そう、全身全霊バレエにかけるには本人の意志や家族のサポートはもちろん、そもそも大きな費用がかかる。全員レッスンに明け暮れているが、アラン、ミコやレベッカの様に個人教授を持つ者もいる。レッスン料の他に衣装代、コンテストに出る費用、旅費…。だから、ミケーラ、セバスチャンのように名門バレエ団への入団やバレエ学校への奨学金獲得をめざしてファイナルにかけるのだ。
YAGPでの成績だけで誰にでも入団や奨学金への道が平等に開かれているのはすばらしいと言えるかもしれない。しかし、現実はファイナル前の各地域予選では、持てる者がそもそも優位であることに変わりはない。そうはいっても、お金があれば成功する世界ではない。本作のすばらしいところは、ファイナルに至る裏側、それぞれの葛藤やバレエの舞台裏=それは、時にくじけそうなる心や、激しいレッスンからくる身体的傷、をもあますところなく丹念に描いているところ。それが可能になったのは、被写体がカメラを気にしなくなるところまで撮影する側との信頼関係ができているから。
監督のベス・カーグマン自身がバレエをしていて、そのある意味閉ざされた内輪と実態に通じている。そして、ここが一番すごいと思うのは、カーグマンが被写体に選んだほとんどすべての子どもたちが、ファイナルで賞を取ったり、入団したりと夢の第一歩、ファースト・ポジションに立てたことである。カーグマンは言う。「最初から、彼ら彼女らの才能を見いだして撮ったわけではない」が、「たくさんの人を撮って、賞を取った人だけに絞ってなどというのは時間的、資金的に無理」とも。けれど、7名とのその家族、友人たちを撮った数百時間に及ぶフィルムを90分ほどのドラマに設えた才能は、バレエに精通していたからであり、地区予選の段階でファイナルまでいくかどうかも分からないのに、結果的にそれを見いだしたのは慧眼としか言いようがない。
先ほど、被写体を「子どもたち」と書いた。しかし、もう立派なバレリーナたちである。名門ロイヤル・バレエ団に入団したセバスチャンをはじめ、数年後の舞台でプリシンパルとして会えることを楽しみしている。
ド素人バレエファンとしては、11歳のアランの瑕疵のない、年齢を感じさせないテクニックと舞台余裕に驚嘆させられる。抜きんでていると感じたのだ。取り上げられるのは基本的にアメリカ人が多いが、14歳、黒人のミケーラは西アフリカのシオラレオネ出身。両親が内戦で殺され、孤児院にいたところをアメリカ人の白人夫妻に養子にとられたころから渡ってきた。アメリカ人と日本人とのハーフのミコ、12歳は、母親が猛烈なステージママ。10歳の弟のジュールズはバレエへの関心をなくしてしまうが、ミコはバレエを心から愛し、楽しんでいるよう。ステージママの熱心さだけではない。コロンビアからNYに来ている16歳のセバスチャンはまだ母親の声をしょっちゅう聞かないと淋しい年頃。両親から「この国には仕事がない。成功して帰って来い」と言われている。自分で車を運転、友だち、彼にもめぐまれ、整った容姿と体躯を持つレベッカ、17歳。アランのダンスに魅せられ、すすめられて自分も始めた11歳のガヤはイスラエル人。アランもミコも自宅学習で学校へは行かず、完全にバレエ中心の生活を送っている。そして総じて皆裕福な家庭である。レベッカの家は大きいし、ミコの父は企業経営者。ミケーラの養父母もミケーラの年からすれば年配でこれも裕福そう。そう、全身全霊バレエにかけるには本人の意志や家族のサポートはもちろん、そもそも大きな費用がかかる。全員レッスンに明け暮れているが、アラン、ミコやレベッカの様に個人教授を持つ者もいる。レッスン料の他に衣装代、コンテストに出る費用、旅費…。だから、ミケーラ、セバスチャンのように名門バレエ団への入団やバレエ学校への奨学金獲得をめざしてファイナルにかけるのだ。
YAGPでの成績だけで誰にでも入団や奨学金への道が平等に開かれているのはすばらしいと言えるかもしれない。しかし、現実はファイナル前の各地域予選では、持てる者がそもそも優位であることに変わりはない。そうはいっても、お金があれば成功する世界ではない。本作のすばらしいところは、ファイナルに至る裏側、それぞれの葛藤やバレエの舞台裏=それは、時にくじけそうなる心や、激しいレッスンからくる身体的傷、をもあますところなく丹念に描いているところ。それが可能になったのは、被写体がカメラを気にしなくなるところまで撮影する側との信頼関係ができているから。
監督のベス・カーグマン自身がバレエをしていて、そのある意味閉ざされた内輪と実態に通じている。そして、ここが一番すごいと思うのは、カーグマンが被写体に選んだほとんどすべての子どもたちが、ファイナルで賞を取ったり、入団したりと夢の第一歩、ファースト・ポジションに立てたことである。カーグマンは言う。「最初から、彼ら彼女らの才能を見いだして撮ったわけではない」が、「たくさんの人を撮って、賞を取った人だけに絞ってなどというのは時間的、資金的に無理」とも。けれど、7名とのその家族、友人たちを撮った数百時間に及ぶフィルムを90分ほどのドラマに設えた才能は、バレエに精通していたからであり、地区予選の段階でファイナルまでいくかどうかも分からないのに、結果的にそれを見いだしたのは慧眼としか言いようがない。
先ほど、被写体を「子どもたち」と書いた。しかし、もう立派なバレリーナたちである。名門ロイヤル・バレエ団に入団したセバスチャンをはじめ、数年後の舞台でプリシンパルとして会えることを楽しみしている。
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