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kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

北欧めぐり2013 ②

2013-09-02 | 美術
ストックホルム観光の2日目はノーベル賞の受賞式会場となる市庁舎から。ガイドツアーを申し込んだが、北欧には珍しい小柄の女性の英語がきれいが速い! 分かった振りをして質問したら、とんちかんで恥をかいた。はさておき、授賞式のほか、晩さん会会場となるホール、受賞者の待機所?など広いが割とシンプルな造作である。ちなみに、平和賞だけオスロで、その他の賞がこのストックホルムなので、大江健三郎さんも山中伸弥さんもこちらのカーペットを踏んだのだ。
市庁舎は旧市街ガムラスタンを臨む海をはさんだ向かい側。とてもシーナリーというかフォトジェニック。少し強い陽光にさらされながら、海岸沿いをぶらぶらと歩くのは気持ちいい。ガムラスタンの小さな王宮などを見て空港へ。コペンハーゲンに向かうことにする。
コペンハーゲンのホテルは空港から行きやすいので選んだが、これが立地抜群。空港で時間をとったこともあり、ホテル近くで夕食をと考えていたら、コペンハーゲン美食のメッカ、ニューハウンまで歩いて10分ほど。観光客がわんさといるが、さておいしいお店は。結局ガイドブックに載っていたお店ではなくて、当方らの鼻がきいた?レストランを選んだが、正解。ブイヤベース風の魚介炊き合わせがグッド。ワインも飲んだが、会計にびっくり。2軒目にデンマークビールを出す店も寄ったが、とにかく物価が高い。心してかからねば。
空港であれだけ英語表示が多く、親切と感じたのに、鉄道は!? クロンボー城のあるヘルシンオアをめざし、地下鉄や郊外列車、国鉄をうまく乗り継ごうとしたが英語も少なくさっぱり分からない。結局、中央駅に戻り、インフォメーションで乗り換え方まで訊き、クロンボー城にたどり着いたのは予定よりかなり遅くなった。スウェーデン国境が海というヘルシンオアは、スウェーデン人がお酒をデンマークに買いに来るという地勢。ケネス・ブラナーが演じた映画ハムレットの舞台となったクロンボー城では、ノルウェー軍の攻撃にさらされるシーンがある。いまいち位置関係や距離が分からないが、それくらい北欧3国の交差点的位置なのだろう。クロンボー城は海に向かってそそりたち、その雄姿は心地よいほどかっこいい。し、地下の城砦のつくりも見ごたえ十分である。
ヘルシンオアからコペンーゲンへの帰途フムレベックにルイジアナ現代美術館はある。駅から20分くらい歩くが(「地球の歩き方」に10分くらいとの記載があったが、多分季節の良いとき速足で、ということだろう)、ここで一日過ごせたらというくらい心地よい空間が広がっている。実はルイジアナ現代美術館はヨーロッパでも指折り、知る人ぞ知る充実したコレクションで、海に連なる庭園、それを自然に見せる建物の設営といい、空間が総合芸術、いや文化空間としてこれほど美しいものはない。オランダは、ゴッホなど近代美術のコレクションで知られるクレラー・ミューラー美術館も広大な公園の一角を、「一角」と感じさせない配置で訪れる者をずっと過ごしたいと感じさせる美術館であるが、ルイジアナは海も近くその上を行く。デンマーク人の親子連れも多く見かけられ、庭で遊んだり、寝そべったり。館内は、工夫された回廊式の展示で近現代美術の逸品も多く、入ってにんまり、出てにんまりの空間。ヘルシンオア行きにとまどり、予定よりだいぶ遅く着いたが、この季節北欧はいつまでも明るい。堪能して、20分の道のりをまた歩き、コペンハーゲンに戻った。トラブルもあったが、夕食は、少し遅めにストロイエ(コペンハーゲン中心の繁華街)近くのデンマーク伝統料理のお店に落ち着き、充実したコペンハーゲン2日目の夜を終えた。(ルイジアナ現代美術館庭園にあったジャン・デュビュッフェの「ウルループ」)
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北欧めぐり2013 ①

2013-09-01 | 美術
連日35度の猛暑の日本を抜け出して涼を得ようと北欧まで来たが、暑かった。
ストックホルムもコペンハーゲンも連日30度近くまであがり、結局ジャケットは羽織っていたものの、持って行った長袖は一度も袖を通さず。けれど、そこは北欧、明け方は寒いくらいで、カラッとしていた。とは言うものの、昼間の日射しはとても強い。毎朝日焼け止めを顔に塗りたくって出かけたが、結構焼けた。今回は暑い北欧の旅から。
ストックホルム郊外のドロットニングホルム宮殿に船で行くところから観光は始まった。北欧の宮殿は概してシンプル。規模も小さい。北欧デザインの一環というのだろうか、無駄がなく合理的で中・南欧にあるような豪奢な出で立ちを期待するとはずれる。しかも、ノルウェーを除いて北欧はみな立憲君主国。いまだに王様が宮殿に住んでいたりして(ドロットニングホルムは違うが)、現国王一家のプロパガンダの場であったりする。まあ、国民が君主制を望んでいるのだから仕方ない。ドロトニングホルムはストックホルム市庁舎の向かいから船で出て、旧市街ガムラスタンを臨みながら50分ほどで着く。離宮の面持ちで静かな佇まいの上、船から見ていると徐々に宮殿が眼前に広がってきて優美だ。小さな桟橋で降り、ゆるやかな海風を受け宮殿に向かう。ヴェルサイユなどと比べると本当に小ぶりで、調度品も多くない。しかし、この小ささが絶対王政、革命へと共和制を選んだフランスとは違っていまだに王制を敷く北欧ならではの証なのだと思う。宮殿裏手の庭園は結構広い。中心部分へは残念ながら入れなかったが。近隣の家族連れだろうか、芝生でまどろんでいる親と走り回っている子どももいる。歩いて宮殿の庭で過ごせるなんてなんと贅沢なことではないか。しかし、それが楽しめるのも多分6~9月くらいだけだろう。真冬は凍てついた固い地面が広がっているだけに違いない。
船で市庁舎向いに戻り、国立美術館を目指すが改修中。よく調べてきたらよかった。ストックホルム現代美術館は、ガムラスタンの隣の島にあり、けっこう広い。ニキ・ド・サンファルのコレクションもあり楽しい。しかし暑い。季節がいい頃なら、島から島へそぞろ歩きするところだが、ガムラスタンのノーベル美術館へはタクシーで向かった。
ちょうど、平和を考える企画展をしていて、「平和」は戦争の反対語ではないと言った受賞者マザー・テレサの言葉を裏付けるように、紛争はもちろん、世界中の飢餓や差別、暴力を若い人や子ども向けに展示する手法は、その迫力や平易な説明とともに見る者を圧倒する。小さな博物館だが、見ごたえがあった。歴代平和賞受賞者の解説が続くが、佐藤栄作首相やオバマ大統領の解説がほとんどなかった(気づかなかった)ことにほっとした。(ドロットニングホルム宮殿)

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完璧主義者としての具象の表現者   フランシス・ベーコンとまみえる

2013-07-07 | 美術
12、3年前だろうか、初めてロンドンを訪れた時、ナショナル・ギャラリーでちょうどフランシス・ベーコン展をしていた。F・ベーコンはすでに知っていたが、あの奇妙にねじれた画風にはそれほど親近感を感じなかった。まあ、ベーコンのあの形態にいきなり惹かれるというのは、かなりぶっとんだ感性の持ち主か、変なもん好きではないかと思っていた。が、そもそもアートとは変なもんを変ではない世界に提供する営為ではなかったか。
ベーコンの作品はある意味、西洋的価値観を少しも逸脱していない。
幾度も描かれたイノケウティウス教皇像。ベーコン自身はアイルランド出身のプロテスタントで、信仰心は篤くないが、第二ヴァチカン公会議(1962-65)をかなり意識していたようである。教皇の図は、何度も描かれ、ベーコン自身はベラスケスのかの教皇像に感銘受けたから語ってもい、真相は不明だがこだわっていたのは間違いない。
20世紀美術、英国アートを代表し、その死後もさまざまな解釈にさらされるベーコンは、変なものを描き、同時にキリスト教的寓意にも目を向けていた。例えば、重ねて制作された三幅対。違ったポーズの肉体は、およそキリスト教と関係ないように見えるが、三幅対は、正面に聖母子、左右に東方三博士の礼拝、受胎告知を並べられるなどイエス誕生のお決まりの構図。ベーコンがどこまでそれを意識していたかは分からないが、3点で一まとまりの完成品とするあたり、妙に定型的ではある。しかも、ベーコンの三幅対はキリスト教の決まり事ほどではないが、十分定型的。
イノケティウス教皇を勝手に叫ばさせるなど冒涜的で、ゲイであることを表明していたベーコンは、そのねじれた作品群とはうらはらに現実世界と付き合う程度に十分謙抑的であったと思う。それは、82歳まで生きた破天荒とは正反対の人生にも垣間見られるが、ニーチェやドストエフスキーに親しんだ知性人であったばかりでなく、ピカソやマグリットの斬新性を取り入れ、また、その取り入れたことを否定する先達に対する熱心さと繊細さに表れているように思えてならない。
ロンドンで最初見た時は、正直少し気持ち悪い絵を描く人だなあ思った。けれど、人体の「神経組織」への執着(保坂健二朗東京国立近代美術館主任研究員)が、あの執拗な歪んだ身体に反映されるとき、それはまさに「絵画的に」「美しい」域に達していることを否定することはできない。それほど、ベーコンの身体解説は自然なのである、逆に言えば。
ベーコンが活躍した時代、アメリカではポロック、デ・クーニング、ジャッドなどコンセプチュアル・アート、ミニマル・アート全盛期であった。それらに反抗するかのように現実の肉体に愚直に挑んだベーコン。面白いことにベーコンは完成品と素人目には感じても「習作」と名付けている作品が多い。そう、歪んで見える、顔も潰されている、と第一印象をベーコンに突きつけるべきではない。そこにあるのは、教皇をはじめ描く対象への誠実な興味と、飽くなき完璧主義、それを裏打ちする絵画世界における具象の忠実な表現者としての矜持である。その圧倒的な印象と、その背景に触れた時、やはりベーコンは20世紀を代表する画家にほかならないと実感できる。(叫ぶ教皇の頭部のための習作)
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アメリカ東海岸美術館巡り2013 6

2013-01-21 | 美術
前回METについて書いたが、そのMETに行く直前の朝、METの別館クロイスターズを訪れた。クロイスターズは、スペインやフランスから回廊と修道院を移設した中世専門の美術館である。中世美術にあふれた空間は、ヨーロッパにいくつもあるが、「美術館」として大規模に特化したのは、パリのクリュニュー美術館とバルセロナのカタルーニャ美術館以外に思い浮かばない。カタルーニャは、ビザンチン様式が主流で、ロマネスクからゴシックへと、あの得も言われぬ、それは必ずしもキリスト教とは関係のない、旧い佇まいはやはりクリュニューとこのクロイスターズであろう。
中世美術には静謐が似合う。冷たさもある石の回廊が美しく、その外側に広がる薄暗い部屋には彫刻や調度品、絵画、家具、タピストリーが並ぶ。中世彫刻といえばリーメンシュナイダーははずせない。リーメンシュナイダーに特徴づけられる深く、峻厳さにあふれた思惟像はこのビショップでも再現されている。ほかにも、まるで運ばれたのではなく最初からそこにあったかのような威厳に満ちた彫りばかりだ。絵画ではカンピンのメローデ祭壇画がある。15世紀初頭の作品は、ルネサンス以前フランドルの画家たちが、後世いかにこの発色を遺そうとしたかのとの創意工夫が偲ばれる。受胎告知は数えきれないほど描かれた画題であるが、ルネサンス以前、特に中世フランドルや北方ルネサンスのものほど美しい受胎告知はないのではないかと、一人思っている。
規模はもちろん小さいがステンドグラスも美しい。光の少なかった中世。教会により光をとりこもうとこじんまりしたロマネスク様式とうって変わって、ゴシックは大規模な、窓を多く施し、より高い建物を志向した。そのいわば完成形がランスやシャルトルであるが、このような名も知れぬ回廊がいい。柱一つひとつに表情があり、クリュニューでも記したが、蛇口一つにとっても楽しい彫りがあり、油断がならない。神は細部に宿ると誰かが言った。温かい季節なら回廊の中庭も解放されているという。建築、作品、すべての雰囲気に囲まれて豊かな静謐を満喫したい。そんな気にさせるクロイスターズである。
 
駆け足で、MoMA(ニューヨーク市立近代美術館)とブルックリン美術館も行った。MoMAは前回、12年前だったかに訪れたときは改装中で、マンハッタン島を離れた場所で小規模な仮設展示であったので、マチスの「ダンス」やピカソの「アヴィニョンの娘たち」など限られた作品しか見られなかった。それが、今回雪辱を果たせた。大げさだけれども。ガイドブックに沿って常設の4階に行くといきなりアンドリュー・ワイエスの「クリスティーナの世界」。アメリカン・リアリズムここにありとばかりの記念碑的作品。時代的には印象派より前だが、堅苦しいアカデミーのなかったおかげで19世紀にはリアリズムが発達した。それは南北戦争前夜の豊かな農場主(もちろん黒人奴隷差別・搾取の上で)が持つ広大な穀倉地帯と草原が描かれ、アメリカと言えども本格的な近代のまだ手前であったことが示唆されている。
アメリカの美術館の豊かさは、富豪らの印象派買い漁りにより成り立ったとくどく述べた。MoMAは、そのような印象派以前、歴史の浅いアメリカでは19世紀初頭、に始まってこぼれるほど多量な印象派、二つの大戦間の美術、世界中の戦後美術を先導したドローイングやその他、などModern=近代のすべてを俯瞰できる御殿のような存在だ。ちょうど、企画展も日本の50年代~美術をはじめいくつも同時併催していた。ポンピドゥー・センター、テート・モダン、ピナコテーク・モデルニ、ソフィア王妃芸術センター。ヨーロッパの名だたる近代美術館がたばになっても、MoMAの資金力と構成力には追い付かないのではないか(そんなことはないが)と思わせるほどの充実した新生MoMAであった。(カンピン 「メローデ祭壇画」 この稿了)
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アメリカ東海岸美術館巡り2013 5

2013-01-20 | 美術
銀行家アンドリュー・メロン ワシントン・ナショナル・ギャラリー、石油王ジャン・ポール・ゲティ ロサンジェルス・ゲティ・センター、化粧品ビジネスなどの実業家ノートン・サイモン パサデナ・ノートン・サイモン美術館、ミシン業者ロバート&フランシーヌ・スターリング・クラーク ウィリアムズタウン・クラーク美術館、製薬会社アルバート・クームズ・バーンズ フィラデルフィア・バーンズ財団美術館…。
アメリカの美術館は、企業家・富豪が公立美術館に資金提供、作品寄贈したコレクション、あるいは自ら美術館を設立してできたものが圧倒的に多い。そして、世界でも屈指、アメリカ最大のメトロポリタン美術館。パリで開かれたアメリカ独立を祝う会合で政治家ジョン・ジェイの「国民の美術館をつくろう」との呼びかけにより、資金と作品が集まった。呼びかけに応じ、提供したのは金融王ジョン・ビアポンド・モルガン、石油王ジョン・ロックフェラー、鉄鋼王ジョン・デイビスなど。現代のウォール街に対しオキュパイ運動した99%から見れば1%、後の富豪たちである。これらの富豪の作品寄贈、資金提供によりメトロポリタンは設立され、現在でも作品寄贈は続いているという。また、入館料は基本的にはdonation(寄付)。といいながら、ちゃんとadmission25ドルと明記されていて、それを支払わないと、入館許可の証であるバッジをもらえないので、結局みんな25ドル支払っているのだが。
広さについては言うまでもない。今回は午後半日ということもあり、最初から全館回るつもりはなかった。それでも、中世美術、ヨーロッパ絵画・彫刻、近現代美術までで、アメリカ美術は行かなかったのに、夕方まであまり休まずへとへとに。エジプトやアジア、イスラム美術は全然行っていない。また、館内中央西側を占めるロバート・レーマン・コレクションやいくつかの企画展もあり(その日は、マチス展のほか、18世紀の西洋家具展、戦前の著名なアメリカ人画家George Bellows(読み方がよく分からない。ジョージ・ベロウズか?)の回顧展など)、とてもでないが、一日で回りきれる質・量ではない。しかし、今回ワシントンD.C.はフィラデルフィアの大美術館を回って再認識したのは、アメリカは近現代美術は充実しているが、中世美術は弱いということである。これはもちろん、アメリカという国の新しさ故であるし、ピューリタンの国として、キリスト教芸術たるカトリックの基盤がないアメリカでは、ある意味近代以前のキリスト教美術をすべて捨象して新たな美術世界を求めることを可能にした。それが近代美術の充実、それも印象派とその流れのなかでの作品の蒐集、そして、第2次世界大戦で国土が傷つかなかったアメリカが戦後美術をけん引することを運命づけられたのだ。メトロポリタンは、弱い中世絵画はさておいて、印象派のほか金に飽かせて集めまくった!エジプト美術など、世界3大美術館の一角に数えられているにしては、ルーブルやエルミタージュがそのコレクションはにおいてキリスト教美術が西洋美術の基本というわりには歪である。
ヨーロッパ諸国が第2次大戦後、国土復興に時間をとられている間、アメリカの富豪はそれこそ、近代絵画を浚えまくった。その典型がルノワールを集めたバーンズであり、マチスを集めたコーン姉妹(ボルチモア美術館)などである。そして、その集大成がメトロポリタンであるとすれば、今、よき状態でルノワールなどを満喫することができるのは、そのような「浚えた」故であろう。文化保護主義の観点からは、そのような所業が正当かどうかはわからない。ただ、資本主義アメリカのおかげで、貴重な美術作品が一堂に集められた眼福は否定できない。覇権主義と美術作品の維持。キリスト教美術に対する一方の核であるイスラム世界では、偶像崇拝禁止厳格化の下に過去の美術作品を破壊する勢力もある。そして、資本主義ゆえにここまで拡大した貧富の格差に目を向けないで美術擁護か?
大きなメトロポリタンで、身に余る大きな課題を少しだけ考えた。(ジャクソン・ポロック「秋のソナタ」)
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アメリカ東海岸美術館巡り2013 4

2013-01-16 | 美術
白状すると、日本で西洋絵画の人気はイコール印象派人気であって、キリスト教美術を解さない日本人が、その逃げ道として印象派を必要以上にありたがっているのではいか、とひねくれると同時に「本当に面白いのはキリスト教美術なのに」と少し傲慢な態度でこれまで印象派絵画には接してきた。「馬鹿にしていた」わけである。今回、バーンズ財団美術館を訪れて、これまでの自分の傲岸さと不明を反省しなければならないと思った。
1994年に国立西洋美術館でバーンズ・コレクション展として開催されたとき、たまたま東京に行っていたが、入場3時間以上待ちだとかにおののいて、入らなかった覚えがある。その時はバーンズ・コレクションのなんたるかも知らず「なぜこんなに人気があるのかな」と能天気に思っていたのだ。しかし、今ならあれだけ人気があった理由も分かるし、バーンズ・コレクションの貴重さも分かる。敵のように集めまくったルノワール、セザンヌ、マチス、スーチン…。冗談ではない「敵」としか思えないほどの蒐集ぶり。例えば、入った部屋、進んだ部屋からルノワールがなくならないのだ。こちらもルノワール、おっとセザンヌも尽きない。最初の部屋の右にはっとするほど美しいのはスーラの「Models(「裸婦たち」とか「ポーズする女たち」と紹介される)」。スーラがわずか31歳で亡くなったのは、あのような根を詰めた作品を描いたからだと思わずにいられないほど精緻に構成されている。200×250mの大作であり、作品数の少ないスーラのなかでも間違いなく傑作である。スーラを左に部屋(MAIN ROOM)の正面に向かうと、入口のすぐ上にはセザンヌ、左右にルノワールが10点ほど、ルノワールの間にセザンヌも10点ほど。部屋反対側は左にマチスのSeated Riffan、右にピカソのComposition、そして上部にはマチスの巨大なThe Dance。ふう~、こんな狭い展示空間にため息の出る作品群。そう、バーンズ財団美術館はどの部屋もそれほど広くなく、2フロアで20室ほど。しかし、そのコレクションのすごさもさることながら、展示方法がユニーク。先ほど述べたようにルノワールとセザンヌが混ぜて、それも上下左右に、展示されているわ、ハルスの左右にセザンヌがあったり、アンリ・ルソーの下にはイスラム調のテーブルがあったり。そう、時代や関連性を無視しているように見える展示なのだ。しかし、これは美術館の創始者アルバート・クームズ・バーンズの美意識、発想の豊かさと見ていいだろう。冒頭、印象派を軽くみていた自身を反省したが、ルノワールやセザンヌの技量は、これだけそろっているとよく分かるし、モネやドガ、そして後期印象派、新印象派などを含めて、印象派が絵画の世界を変えたのは間違いない。そう、印象派は絵画の世界を分かったのに間違いない。
1974年モネの「印象・日の出」で始まった印象派は、アカデミーなど旧来の画壇に酷評されながらも、その足取りを着実に広げてきた。生前には全く評価されなかったゴッホや、子どもでももっとましな絵を描くとコケにされたアンリ・ルソーなどフォーブの黎明は後に20世紀豊かな近代絵画の世界に道筋をつけた。しかし、フランス国内よりも、いやヨーロッパ中を集めても、アメリカにある印象派やそれに続く近代絵画の方が多いのではないかと思うほどのすさまじいコレクションである。その筆頭がバーンズだ。アメリカの金持ちが買い漁ったから、印象派の価値が上がり、また注目されたというまるで現代の未公開株の仕手戦のような趣もある。しかし、であるからといって、ルノワールやセザンヌの仕事の評価は下がらない。たくさん、見てはじめて分かる印象派とその評価の本質に出会えたような気がした。(バーンズ財団美術館)
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アメリカ東海岸美術館巡り2013 3

2013-01-14 | 美術
「大きい」を表す英語のbigは「大きい」の中では小さい方らしい。gigantic(ジャイガンティックとか発音するらしい。難しい)がもっと大きくて、enormousとかhugeとかは受験英語にもあったような気がするが、colossalはもっと大きくて(ローマのコロセウムから来たのだと筆者の英会話の先生が言っていた)、さらに、ginormousとか(giganticとenormousを合成した造語ではないかとにらんでいる)より大きさを表す単語は進化?しているようだ。
どうも、ハンバーガーとかそれを食べる人間とか巨大化していくのが得意のアメリカでは、「小さい」を表す単語は多くないのに(と勝手に思ってる。英語詳しい方、教えてください)、なぜか「大きい」を表す単語は変化に富む。
フィラデルフィア美術館はせいぜいbigだろうとなめていたら、enormousかなんかで、まともに見ていたら一日では足りない規模だ。特に近現代美術のコレクションはすさまじい。ああ、そういえば美術書の作品引用に「フィラデルフィア美術館所蔵」とのキャプションが入っているのが多かったような。例えばマルセル・デュシャンの「大ガラス」や「遺作」など。「大ガラス」は東京大学にもあるくいらいで、日本やヨーロッパで何回も見た。しかし「遺作」は、さすがにフィラデルフィアまで来ないとなかなか見られないのではないか(ただし、横浜美術館でデュシャン展をしていた時には展示されていたようである。筆者もポンピドゥーかどこで見た。)。まあ、わざわざ見に来る作品かどうかは別にして。そしてドガの彫刻も多い。ドガというとバレエの油彩、パステル画などが思い浮かぶが、アラベスクなどたくさんの彫刻をつくっていて、日本で大規模な展示は難しいだろう。それに、そもそも近代絵画、印象派以降、スーラなど新印象派、ゴッホなどのフォービズム、そしピカソ以降と印象派の後ヨーロッパ画壇でどう展開していったのかを知るには、このようにまとめて見る必要がある。マネが火をつけた革新的画壇=印象派の先達、ルノワール、モネ、ドガ、をセザンヌが後に続く者を生み出し、フォービズムのゴッホやゴーギャン、キュビズムのピカソ、ブラックを経て、シュルレアリズムに至るまでの流れは、ある程度作品がそろっていないと理解しがたい。その意味でセザンヌとマチスのコレクションは重要である。水浴画ですでにフォルムとしての絵画論を完成していたセザンヌは、山を描くときも、人を描くときも同じように対象分析=分解を終えていた。自然を円筒形と球と円錐形で捉えよといったセザンヌは、色彩についても少なくとも彼が考える無駄な色を排せよとした。シュルレアリズムはその一つの到達点であり、シュルレアリズムというと抽象的な無機質との思い込みを、見る側の想像力を刺激してやまない豊かなフォルムとカラーを生み出した。それはマチスを見ればさらに明らかになる。なぜ、このような簡単なドローイングで、乏しい色数でこのような華やか、豊かな表現が可能であるのか。それは、印象派以前、非現実的な歴史絵巻を主にしていたアカデミズム画壇が「見せる」絵画を念頭に置いていたのに対し、印象派は描く自らが「見る」絵画を追求したからではないか。自分がどう見るかは、へたをすると唯我独尊になる危険は大きいが、セザンヌがモネを賞賛して発した「モネは眼に過ぎない。しかし、なんという眼だ」に端的に表れている。
自ら「見る」にこだわった印象派の面々は、やさしい女性(少女)や家族像を繰り返し描いたルノワール、バレエという現実に動いている者を止まった状態で表わしたドガ、ロマン主義を排したところで田園を想起させたピサロなどを見れば、印象派が絵画の世界を変えたと知るには十分である。
アメリカは美術の世界をも変えようとした。それは財であり、ともすれば旧いキリスト教美術の価値よりも、後世に力を持つであろう(実際、そうであった)印象派の作品に価値を見、買い漁ったアメリカの富豪のすばらしき成金趣味の証として現在の私たちの眼福に寄与しているのは紛れもない事実である。(セザンヌ The Large Bathers)
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アメリカ東海岸美術館巡り2013 2

2013-01-10 | 美術
ワシントンD.C.と言えばスミソニアンである。スミソニアンが擁する博物館・美術館などは19あるが、ナショナル・ギャラリーは前回記述の通りアンドリュー・メロンが私的に蒐集した作品がそもそもの始まりで厳密にはスミソニアンには含まれない。スミソニアンでやはり有名なのは、広島への原爆投下に肯定的解説を付したエノラ・ゲイを展示する国立航空宇宙博物館であろう。エノラ・ゲイはともかく飛行機や宇宙船など見てもよく分からないので、行かなかったが、ほかにも自然史博物館とか国立アメリカ歴史博物館とか純粋に美術館と呼べるのは少ないので結局行ったのは現代美術を展示するハーシュホーン美術館だけである。
ちょうど艾未未(アイ・ウェイウェイ)展をしていた。今でこそ北京オリンピックの「鳥の巣」を制作したことで有名になっているが、日本で艾未未展が大きな国立美術館で開催されることなど考えがたい。もちろん筆者とて艾未未の仕事をよく知っていたわけではなく、自身が被写体になることも含めて、一風変わった写真や、木材や多分スチールなどを使用した大きなインスタレーションなどを見たことがあるだけである。艾未未自身は、今回知ったが、その言動から中国共産党からにらまれ拘禁されたりしてもいるらしいが、結局発言しないことにより(撤回や反省ではなさそう)、劉暁波氏のようではなく完全な拘留状態は脱したようである。いずれにしても、中国という一党独裁の国で、アーティストであれ発言するということ、弾圧されないように発言するということの重みは、艾未未展を開催することのできない日本のアート状況とアーティストの政治的発言(の少なさ)と比べると、その覚悟において差があり、また、艾未未を紹介できるアメリカの言論状況からも後背の感を抱かざるを得ない。(アメリカによる中国の反民主主義的状況に対する一種のけん制、プロパガンダと勘ぐることもできるがここでは触れない)
スミソニアンとは違うプライベートの美術館を回ったが、これがよかった。コーコランギャラリーは、規模は小さいが館の美術館特有の峻厳さに満ちている。ここではルノアールのようなやさしいタッチか、ゲインズバラのような威厳が似合うのかもしれない。私人の館を美術館に改装し、ついには居住者が出て行って、美術館専業になったフィリップス・コレクションはすばらしい。近代以前の作品以外に近代の抽象的作品 ― マーク・ロスコやパウル・クレーの部屋があるのは、僥倖 ― もしっかりと位置づけされていて、個人の館であっても美術史の一渡りを感じされる展示はセンスが抜きん出ている。ナショナル・ギャラリーのような公立の大きな美術館ももちろんいいが、小さな私立美術館、それも私邸をそのまま使用した場合は、その管理の難しさとともに、展示のセンスが問われる。審美眼とはこのような場でこそ養われるのではないか。(フィリップス・コレクション外観)
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アメリカ東海岸美術館巡り2013 1

2013-01-08 | 美術
アメリカが広くて、金持ちの美術館が多いとは知っていたが、これまで見過ごしていたのを挽回できてよかった。最初から大げさだが、ワシントンのナショナル・ギャラリーは予想を超える大きさと収蔵品だったからだ。アメリカはMETがあるが、ここも引けを取らない。なにせ「国立」なのだから、民間に負けるわけにはいかない。だが、収蔵品は寄附、寄託ばかりだという。そもそもナショナル・ギャラリーの設立からして銀行家のアンドリュー・メロンがロンドンのナショナル・ギャラリーを見てアメリカにも作りたいと自身の蒐集作品をすべて寄贈したことに始まるそうな。そしてロンドンのを真似て入場料も無料。広さからいうとロンドンのと、どちらが広いか分からないが、収蔵点数はルーブルに負けないそうなので、ロンドンより規模が大きいのだろう。ただ、ロンドンと違って彫刻や工芸作品も展示しており、特にロダンとドガのコレクションは圧巻である。絵画は、12世紀!のものに始まり、ポスト印象派頃までで、ルノアールやモネ、どこかで見たことのある有名作品も多い。ただ、1930年頃以降のヨーロッパからの購入と言う制約からか、北方ルネサンスやバロック、スペイン絵画は少ないと感じた。しかし、イタリアルネサンス、500年前のダ・ヴィンチ(21歳の作品「ジネブラ・デ・ベンチの肖像」は有名。西半球でダ・ヴィンチが見られるのはここだけだそう)やボッティチェリ、彼らより古いフラ・アンジェリコやフィリッポ・リッピもあり、よくぞはるばるきれいな状態でアメリカ大陸まで来たものだと感心する。ほかにもフェルメールが3点! レンブラント末期の鬼気迫る自画像、そしてもちろんアメリカ印象派、近代絵画も多い。
後にできた東館は現代美術。ちょうど、ロイ・リキテンシュタイン展とバーネット・ニューマン展をしていて、リキテンシュタインをあれだけ一同に見られるのはアメリカならでは。あの細かなドットが一つ、ひとつ息づいているように感じられて、リキテンシュタインが、アンディ・ウォホールと競い合わずに、己のペインティングを追求した様が浮かぶよう。常設にはカルダーのモビール部屋、ブランクーシも空間の鳥2点など、うれしくてたまらない。ショップでモビールも売っていたが、美術館や大きな公共空間でこそ映えるアート。我慢した。
ただ、アメリカのコンセプチュアル・アート(ポロックもあります)やミニマル・アートなど大画面のドローイングは多いが、ヨーロッパの近代と現代を結ぶ作品(たとえばキリコであるとか、ドローネーであるとか)は、ピカソ、ミロなどの超有名作家に比して少ないのではないか。にしても、マネ以後の印象派のモネ、ルノアール、ドガ、セザンヌなど親しみやすい作品数はさすが。多分フランス以外ではこれほどそろっていないのではないかと思うほど、ピサロやメアリー・カサット(フランス生活の長いアメリカ人らしいが)の作品も多い。特にルノアール「じょうろを持つ少女」だのモネ「パラソルと女性」だの教科書どころかなんかのコマーシャルやテレビで見た、見たという作品ばかり。
「ナショナル」の力に改めて驚くとともに、「財」のアメリカを実感する。(ブランクーシ「空間の鳥」)
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バロック絵画の萌芽 配置と色遣いに見るエル・グレコ展

2012-10-21 | 美術
スペインの古都トレドは、雨模様の上、お昼に入ったバールでぼられたこともあり、あまりいい思い出がない。しかし、エル・グレコを見るには訪問しなければならない土地だ。
マニエリスムの代表的作家と言われるグレコも、ギリシア出身ということもあり、ギリシア時代はビザンチン様式のイコン画を描いていた。今回は1点しか展示されていなかったが、カソリックの国スペインは、バルセロナのカタルーニャ美術館など中世壁画の宝庫で、ビザンチン様式とどこか近しい雰囲気が好んで描かれたのであろうことが見てとれ興味深い。
グレコはギリシアからイタリアに出て、そこでルネサンスの巨匠、ラフェエルらの画業に触れ、ヴェネツィアで当時の偉大な画家ティントレットの影響を大きく受けたという。なるほど、ティントレットの大げさな表現画風は、遠近法を確立したルネサンスから大げささという点ではその頂点に達したとも言えるバロック期のちょうど中間に位置することがよく分かる。ただ、マニエリスムは「マンネリズム」とも評されるようにルネサンスからバロック期の過渡期として、貴族が金に飽かせて必要以上にデフォルメされた絵を好んだという蔑称の対象という評価とは別に、レオナルド、ミケランジェロらが提唱した古典的調和に対する反動という評価もあるらしい(『世界の美術』河出書房新社 2009年)。
マニエリスムは宮廷様式美という点では神話を描いたパルミジャニーノやプロンツィーノ、そして摩訶不思議な絵画の代表とされるアルチンボルドなどいかにも宮廷に飾れば似合いそうだが、グレコのあの極端に縦に引き伸ばされた構図は宮廷より教会に似合いそうである。事実、グレコは礼拝堂の祭壇画も多く手掛けていて、そのことが本展でよく分かった。そして本展での発見(というほどでもないが)がほかにもある。グレコはマリアが登場する受胎告知、聖家族や聖母戴冠などを多く描いているが、マリアの表情がどれもあまり上手く描けているとは思えないのだ。もちろんマリアが受胎告知を受けたのが14歳、イエスを産んだのが15歳だそうなのであどけない表情であることに間違いはないだろう。ただし、このあどけないと感じるのも現在を起点にしているが。そしてマリアと言えば、中世絵画では大人びて神聖、わりと冷淡な表情であったのが(たとえばジョット)、初期ルネサンスでは重大な告知を受ける際の厳かな表情(フラ・アンジェリコ)を経て、後世に聖母子の決定版を確立したラファエロなどに比してかなり稚拙に見えるのだ。肖像画を多く描いたグレコであるが、キリスト教を主題にした集団が登場する画題では、全体的な構成に力を発揮した分、あまり得意ではなかった分野もあるのかもしれない。構成という点ではキリストを民衆より配置的に下に描くなど(聖衣剥奪)、かなり大胆、画期的な試みであったという。トレドに定住したグレコはこの地で傑作を数多く生み出し、やがてあの細長い人物フォルムとともにそれまでの赤に加えて青を多用し、グレコと言えば青を定着させたように思える。
青が特徴的な画家と言えば、シャガール、カンディンスキーなど近代の画家ではいるが、フェルメールよりおよそ150年前に高価な青をふんだんに使用できたのは、その安定した地位と貴族らの庇護があったからに違いない。余談になるが高価なターコイズ・ブルーを多用し、子だくさんだったフェルメールは破産して、死後、家族が作品を多く手放さねばならなかったのとは大違いである。
本展の目玉、最後を飾る高さ3メートルの「無原罪のお宿り」は、さきにマリアの表情はあまり上手くないと描いたが、マリアを身ごもるアンナの表情はいい。そして、やがてバロック期で華麗に花開いた天井画の萌芽を見るようで、アンナを取り巻く天使、ちょっと不気味なプットー(頭部と翼だけで天空をたくさん飛んでいるあれ)など構図、色の配置もすばらしい。そして、ルーベンスを代表とするバロック期の豊満な肉体美以前、これらほっそりとしたフォルムが新鮮に感じられるのは、ルネサンスと同様に400年残ったグレコの偉業のなせる業に違いない。(無原罪のお宿り)
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