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kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

アメリカ西海岸美術紀行1 サンフランシスコ①

2010-01-14 | 美術
アメリカの美術館はヨーロッパのそれと違って大富豪が名画を蒐集したあげく美術館を創設、というパターンが多い。NYの現在では「国立」的私立であるメトロポリタンでさえもともとの出自はそうである。今回西海岸訪問の目的であったゲティ・センターももちろんそうで、ゲティについては後日書くことにしてまずサンフラシスコ。
基本的に近代美術の蒐集は目を見張るものがあるが、それ以前、バロックやルネサンス、中世美術となるとメトロポリタンを除いて弱いのがアメリカの美術館の一般的傾向であると思う(ボストンやフィラデルフィア、シカゴなど米の有名美術館に行っていない浅はかな思い込みであるが)。であるからと言って、アメリカの美術館が物足りないかというとそんなことはない。サンフラシスコ近代美術館(SF MOMA)はNYのMoMAのサンフラシスコ版で、NYよりかなり規模は小さいもののサム・フランシスやジャクソン・ポロック、マーク・ロスコなど20世紀戦後美術シーンを沸かせたアートシーンが百花繚乱である。そして、フランク・ステラ、ドナルド・ジャッドなどミニマル・アートの大作も楽しめるのが、概してアメリカの近代美術館の醍醐味だ。SF MOMA(なぜか、本家のMoMAはoを小文字で書くのに対し、SFではすべて大文字である)もその例に漏れず、中規模近代・現代美術作品がたくさんあるのがうれしいところ。サム・フランシスの流れるドローイングに身を任せ、ポロックのドリッピングにスーラなどとはもちろん違う点描を、ロスコの突きつめた静謐さ。抽象表現主義はこちらに「あなたはどう考えるのか?」をいろんな意味で突きつける。それは弾劾でもないし、一部知識層の高邁なご宣託でもない。考えることの共有。ロスコに囲まれた至福の空間はすぐにでも手に入る。
一転して、リージョン・オブ・オーナー美術館(Legion of Honor Museum)は、かなりブルジョア趣味というか、「いいところ」である。その証ではないが、ちょうど開催されていた特別展が「Cartier」展。残念ながら、ブランドのカルチェにはとんと縁がないが、展示されている時計、首飾り、ティアラなどため息の出る美しさ。宝石の光も、細工の細微さもあるが、総合芸術としての細密美術の粋をあんな小さな世界で見せてくれる。職人の技術とそれを要した、追い求めたハイクラスのマッチングがいま、輝きをもって甦る。
(ティエポロ「フローラの帝国」 リージョン・オブ・オーナー美術館)
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ボルゲーゼはベルニーニに出会うため

2009-12-04 | 美術
岡崎公園は向かいの京都市立美術館で開催されていたルーブル美術館展は待ち時間1時間などと大人気だったので、本展もさぞ混雑しているのではと思ったが、意外に少ない人出であった。はたと気が付いた。ルーブルというと来ている作品がどうであれ、一定人気があり、ルーブルの名前を知らない人は少ないであろうから、パリにまでは行けないと考える人が行った可能性はある。しかし、ボルゲーゼというと知る人ぞ知る美術館なのであろう。
ローマはヴァチカン美術館をはじめ、やはり見所は多い。美術館もヴァチカン、フォロロマーノ近辺と交通の便はよいが、ボルゲーゼはバスに乗らなければならず少し離れている。しかし、足を伸ばしてみるほどのその価値は。
本展ではカラヴァッジョの作品も来ていて、それがある種の「売り」ではあるが、ボルゲーゼの傑作はベルニーニの諸作品である。「プルセロピナの略奪」は、繊細かつ剛胆で大理石がここまで柔らかくなるのかという逸品であるが、残念ながらベルニーニの作品はボルゲーゼ卿胸像だけである。とは言ってもカラヴァッジョの「花かごを持つ少年」やラファエロの「一角獣を諾貴婦人」さらに真作が失われたダ・ヴィンチの「レダ」模写は美しい。
ボルゲーゼの素晴らしさは収納展示品はもちろんのこと、各部屋を彩る天井画の豪華さもある。寝そべって見るわけにはいかないが、規模の小ささを感じさせないほど見落とすことが許されないほどの濃度である。
本展をもってボルゲーゼ美術館の真価がもっと知られることを切に望む。
(カラヴァッジョ 花かごを持つ少年)
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参加することで感じる現代アート  神戸ビエンナーレ(2)

2009-10-19 | 美術
海外の美術館でも、日本の美術館でもガイドツアーは滅多に利用しない。それは、ガイドツアーの人たちが邪魔だなあと思うことが多く、ツアーの人たちが見たい作品に群がっていて近づけないということもあったからだ。だから、自分がツアーに参加した場合はできるだけ一般の観覧者の邪魔にならないよう時にはガイドから距離を置いて回るのだ。これが、海外のツアーでよく使用されるような無線を使ってイヤホンから聴くというシステムなら問題ないが、ガイドの地声だけでは聞こえる範囲に制限がある。今回その失敗を体験してしまった。
現代美術は解説がないとコンセプトがよく分からないものも多く、神戸ビエンナーレのディレクターであり、兵庫県立美術館の学芸員である越智裕二郎さんの案内でツアーに参加することにした。しかし、参加申し込みが多く、急遽参加人員を増やしたためか(50人くらいはいたのではないか)、越智さんの解説を聞くどころか、グループが固まって一緒に行動しては他の観客に迷惑になることは明らかであった。だから余計に後ろの方に、グループの団子にならないように、通路を確保できるようにある程度離れてついていったため、ガイドを楽しめる雰囲気ではなかった。やはり、ガイドツアー参加というのはいろいろな意味で難しい。
会期も半ばにさしかかり、少し開幕当初よりお客さんの減った会場で、改めてビエンナーレの目玉であるアート・イン・コテンナをじっくり見ることかできた。ビエンナーレ大賞をとった戸島麻貴の「beyond the sea」は相変わらずの人気で、私たちガイドツアーが入場した頃にはシステムがダウンしていたが、しばらくすると復旧し早くも行列ができていた。「beyond…」は、オーストラリアから運び込んだとてもきめの細かな砂を敷き詰め、そこに映し出されるいろいろな海のイメージがサウンドと共に変化。惹き込まれる作品。その隣のコンテナが前回紹介した伊庭野と藤井の作品。そしてその隣がピオリオの「輪音の森」とこれまた映像を巧みに配置した瞑想的作品。このあたりはいつも行列だが、映像にデジタルに頼らない(厳密に言うと伊庭野・藤井作品はCG計算の粋であるがデジタルではない)作品もみるべきものが。
制作ボランティアをしていたとき「現代美術は結局根気と大工」などと言い放っていたが、段ボール紙を仏像の形に刻み込んだありがたい?「BUTSU」(木堀雄二)、アナログの極地とも言うべき「ワールドカウハウス」(石上和弘)、海外からはコールダーのモビールを思わせる「ShadowWanings」(Hans Schohl)など、面白いものも多い。
ツアーの目玉である乗船しての海上アート見学。神戸在住の榎忠の「伝説のバー ローズ」はバーというよりほとんどラブホテルか飾り窓。ただ本ビエンナーレでもっともビッグネームであろう植松奎二の石を使った作品は、越智さんの設置がどれだけ大変であったかの解説も聞けて、インスタレーションとはいえ巨大系・重量系の苦労がしのばれた。
兵庫県立美術館に着き、招待作家らの「LINK  しなやかな逸脱」展は榎の「RPM-1200」(廃鉄を旋盤で磨き込むときの単位らしい)、被写体になりきる澤田知子、ドローイング系の奥田善巳らの一昔前?の現代芸術もあり、越智さんの解説とともに回れたが、先述のツアーグループがインデペンダントの客を害しかねない場面にも遭遇し、すこし躊躇した。
なにはともあれ、現代芸術は「参加」することも楽しむ大きな方法の一つ。そういった意味では、グリーンアート(コンテナ)展で東京芸大の現役院生であるユニット イピリマ(アイヌの言葉でつぶやきという)の「しおん」は、海底イメージの中からしみ出すかすかな鼓動を楽しむ空間は、ゆっくりそこにいる時間を持ちにくいので、制作する側に少しでも参加できたことがよかったのかも。それこそ現代アートを彩るキーワード アソシエーションの一里塚であったのかもしれない。
(植松奎二「傾くかたち」)
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飛躍する芸術家の登竜門となるか   神戸ビエンナーレ(1)

2009-10-12 | 美術
神戸ビエンナーレは2007年に引き続いて2回目の開催となる。日本で数年に1回開催される芸術展は、横浜トリエンナーレや越後妻有トリエンナーレが有名で、ビエンナーレという2年に1回開催という試みは、震災復興の象徴と位置づける神戸市の野心の現れと見ることもできるであろう。
先輩格の横浜トリエンナーレが総合ディレクター川俣正、招待出品者に蔡國強など超有名アーティストを擁したのに対し、日本を代表する港町として対抗心のある神戸は、若手アーティストの登竜門的エキシヒビションを前面に出しているように見える。今回もそれは如実で、現役の大学院生の作品もある。
実は、神戸ビには、今回もボランティアとして参加していて、制作ボランティアとしてグリーンアートコンテンナのイピリマとメインのアートコンテナで特別賞を受賞したどちらも東京工大出身の伊庭野大輔と藤井亮介のユニットによる「Walk into the Light」を少し手伝った。また会場ボランティアとしても開催中の店番(?)、観客整理などを手伝ったのでその上での感想。
若手アーティストの登竜門と先述したが、なるほど今回入賞すればその後のアーティスト生活に「泊」が付くであろうし、将来神戸ビが世界的アート発信源になった時に神戸ビ出身ということであれば芸術家生活として成功が約束されるかもしれない。
作品をまだすべて見たわけではないので、手伝ったりしたコンテナを中心に。
「Walk into the Light」は、理系出身のユニットらしく、綿密に角度を計算された鏡を何千枚も貼り付けた壁面に光源がきらきらと彷徨う、万華鏡の中に入り込んだような幻想的かつ土ボタルあるいは満天の星空を想起させるコンポジション。なんらかの光を題材にしたインスタレーションはとかく効果音を備えがちであるが、「Walk…」は効果音も一切なしのところがよい。しばし、きらめく無数の点光に見とれてみては。
ビエンナーレ大賞を受賞した戸島麻貴の「beyond the sea」は、「Walk into the Light」の隣にあり、どちらも行列して待たねばならない。「beyond…」は東京藝大先端芸術表現科出身の作者により映像表現の面白さを満喫させてくれる。砂浜のイメージのキャンパス(といっても床に敷き詰めている)に次々と現れるイメージは砂浜というエコロジカルなアナログと、映像が矢継ぎ早に変化するデジタルを同時に経験でき惹き込まれる逸品。
13分のタームというのになかなか出てこない観客もちらほら。じっくり、ゆっくり見とれる作品は、現代芸術のインスタレーション優位の中にあって普遍性や永久性、持続性をも期待させる。(「Walk into the Light」)
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積極的に?だまされてみよう   だまし絵の世界

2009-09-11 | 美術
開会直後の土曜日、かなりの人出で見られない作品もあった。会場アンケートに「エッシャーの作品は人気があるのだから、誘導ロープ(のようなもの)を設置せず、広々とした展示がよかったのではないか」旨苦言を呈したが、それくらいエッシャーの不思議なメタモルフォーゼは見入ってしまうのである。
しかし速水学芸員も指摘するように(「20世紀のだまし絵」? マグリット、エッシャー、デュシャンと「うそつきのパラドックス」図録所収)エッシャーやマグリットはそもそも「だまし絵」であろうか。たしかにトロンプルイユという時、そこには明らかに見る側をだまそう、あるいは、その作品を献上する側に喜んでもらおうという意図が丸見えである。しかし、「だまし絵」という時、「だます」という鑑賞者の一時的な反応に重きを置き、その作品を提示するにいたった制作者の意図まで与ることは少ないように思える。
「だます」という純粋に一義的な観点でいえば、2次元世界である絵画で立体的な3次元空間を表そうとした遠近法もある意味で「だまし」であるし、現実にはあり得ない図柄を鑑賞者が了解した上で提供、表現するのもある意味「だまし」である。しかし、それらは「だまし絵」ではない。
現実ではありえないという意味では、キュビズムやシュルレアリズムの絵画はもちろんその対象であるし、遠近法が確立する以前の絵画も(もっとも、キリスト教絵画は、聖書に基づく題材なので、それも非現実的といえば非現実的ではあるが)、現実を反映しているわけではない。しかし、「だまし」を企図するかどうかは別にして、制作者が鑑賞者に考えさせようと意図して描いた絵は「だまし」そのものであって、それらはマグリットやエッシャーによって十分その任を果たしている。
で、トロンプルイユである。アルチンボルドは仕え、ハプスブルク家の王や貴族を喜ばせるためにあのような果物や野菜、魚でできた顔、摩訶不思議な顔を生み出したという。当時四大元素と考えられていた地、空気、火、水を表し、同時に四季をも捉えたし、その季節感も驚くほど正確であったという。すなわち季節はずれの生物・植物は描かない、博物学的にも正確な描写につとめたことなど。
奇抜な絵を描くアルチンボルドを重用したのは、これも奇矯との評判のルドルフ2世。ルドルフ2世は首都をウィーンからプラハに移し、政治に興味を示さず、生涯独身であったが芸術と学問には庇護を惜しまなかったらしい。宗教改革が吹き荒れ、芸術家が冷や飯を食べることになるのではとルドルフのもとに参集したのである。イタリア人のアルチンボルドもウィーンに移ってから運良く歴代ハプスブルク家に引き立てられ、ルドルフ2世にまで引き継がれるのであるが、やはりルドルフ2世を描いたあのトロンプルイユが秀逸である。トロンプルイユというのはこういうものを指すのであろう。そう、アルチンボルドの描く顔には花や植物、魚を見落とすほど「だまされる」。
だまされてナンボの世界ではアルチンボルドの作品は見事そのために存在していることが分かってしまう。それくらい、作者の「だまそう」という意図も鑑賞者の「だまされよう」という姿勢も明確に反応するからだ。もっとも、アルチンボルド以降、このような博物学的に精巧な作品を遺そうとした意欲作は見あたらない。それくらい、ルドルフ2世の治世も、芸術が政治と離れて純粋に実験主義的に流れる時代も長くはなかったということであろう。
近代は政治とは離れて、あるいは、政治的であるからこそ(ロシア構成主義はその典型)「だまし」的技法が意味を持った世紀と言えるのかもしれない。さらに20世紀にはデザインの観点から様々な試み、挑戦が私たちを迎える(福田繁雄なり)。
価値反転とも言うべき20世紀の「だまし絵」は、それ以前のCGのなかった時代と分けて考えるべきであろう。そして、忘れてはならない日本の歌川国芳などにも触れるには紙幅が尽きたが、また機会があれば。

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ゴシックを回る旅 2

2009-08-24 | 美術
 信仰心のない筆者が畏敬の念を覚えざるを得ないキリスト教作品がいくつかある。ヤン・ファン・エイク「神秘の子羊」であったり、ミケランジェロ「ピエタ」であったり。フランス国鉄シャルトル駅で下車し、彫刻のある公園を横切って聖堂前の広場に立ったとき、ああ、これが大聖堂の中の大聖堂シャルトルか、天を仰ぐがごとく圧倒されていたのは本当だ。そして、大聖堂の眼前に立ったとき、信者でもない自分が跪いていいものだろうかと思えるほど。そのあまりにも大きく、であって崇高な様にひれ伏したくなったものだ。クリスチャンでもない者が跪く真似なんて本当の信者に対し無礼きわまりない。しかし、天気がよいこともあって、晴天に立ちはだかる大聖堂は、あなたもマリアの慈悲を受け取りなさいと言わんばかりの(と信者でない者が勝手に思う)寛容さなのであった。
 宗教的?感動はさておき、実はゴシック建築の素晴らしさを表現するのは難しい。それは一つは先代のロマネスク建築との違いを確認することであるし、あるいは、その後このような大仰なキリスト教建築がもうなされなかったことの確認でもあるからだ。16世紀宗教改革がヨーロッパを席巻するまで、強大な権力を持った教会はいわば豪奢の贅を教会(美術)につぎこんだという点で、そう、やりたい放題であった。しかし、そのひどさがルターらの奢侈を咎め、信仰本来の姿を要望することになるのであるが、それはルネサンス期に顕著になったこれでもかと教会が贅を尽くすために金集めに走った結果でもある。つまり、ゴシック期の教会建築は、それ以前のことなのだ。もちろん、信者の浄財を集め得たから、すなわち収奪したから、あのような巨大建築が成り立ったのであるが。
 シャルトルに限らず、大聖堂のステンドグラスをよく見てみると、旧約・新約聖書の物語が描かれる中で、地元の信者の日々の営みもよく描かれている。たとえば、ぶどうを収穫している農民であるとか、大工や居酒屋の場面も。むろん、聖堂建築に大工は欠かせないし、ぶどうからできるワインはキリストの血であるからだが。しかし、大聖堂がその大聖堂をつくり、まもる町の人たちの信仰の中心であったとともに、営みを再確認する場であったことも確かであろう。
 シャルトル大聖堂の中に入ってステンドグラスを見上げてみる。あんなに高い位置にある小さな細工を字を読めなかった中世の人が聖書代わりに読んだという説も、いやいや、中世は字の読めない人は多かったかもしれないが、聖書の教えをちゃんと知っていたのだ、だから、自分たちの日々の営みの細工も混ぜ込んだのだという説もどちらもなるほどと思ってしまう。
 けれどと、思うのだ。聖書の記述は、イエスの超自然的な行いの数々(奇跡)も含めて、私たち道徳的な日常生活を望む者にとっては実に教訓的、示唆的ではないか。それが分かっているからこそ中世の人は、あのとてつもなく高い位置に煌めくステンドグラスの物語に自身の信仰を確認したのではないか。800年前のことであっても、信仰とは自己の行いを映す鏡としての役割を果たしたこともあるという点では現在と何も変わらないと思うのである。
 シャルトルの崇高さはその建物にあるのではない。それを造り、何世紀をも生きながらえた剄さとそれを可能にした人々の信念が崇高なのだ。
(シャルトル大聖堂 全景)
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ゴシックを回る旅 1

2009-08-18 | 美術
 中世とは「中間の時代」すなわち、古代と近代にはさまれた時代を言い、西洋では産業的にはともかく、文化的にはルネサンス期以降を近代と見なすことから、中世は15世紀以前を指すものとされる。かように中世とは古い時代を指すものだが、先に文化的にと述べたが、日本ではルネサンス期の美術こそ、ダ・ヴィンチであるとか、ミケランジェロであるとか、ボッティチェリであるとか、ある程度親近感があるように見える。しかし、それ以前となるとどうか。
 さきに文化的にはと述べたのは、政治的には西ローマ帝国の滅亡(476年)から中世と指すようなので、キリスト教が大きく普及(313年 ミラノ勅令で公認以降か。ちなみにローマ帝国によって国教とされたのは380年)したとされる3~4世紀以降ルネサンス期までを中世と呼ぶようなのでそれに従うこととする。では、私たちはルネサンス期以前のキリスト教美術をどれくらい知っているであろうか。
 ゴシック建築は、キリスト教がヨーロッパの多くの人の心をとらえ、教会が肥大化するまさにその時期に花開いた傲慢ともまみえるほどの巨大美術の粋である。それは12世紀のロマネスクの時代のようにあちこちの村々で普段着の信仰とも言える身近さではない、いわば、司教という権威が大きな都市を支配し、かつ、信者を護り、支配する機能としての建造物。それが大聖堂なのである。
 順番に見ていこう。
 ランス大聖堂は、フランス歴代の王の聖別、戴冠式を行ったところであり、シャンパーニュ地方の中心地にある。もちろん大聖堂自体がカテドラル(司教座)であるから、都市にいくつもあるわけではない。そして中でもランスはその筆頭ということである。ランス大聖堂は、フランスのゴシック建築の中でとりわけ大きい方ではない。しかし、ゴシック建築の粋であるシャルトル大聖堂の様式を発展させたとされるランスは、ステンドグラスも18世紀に透明ガラスに換え、それが幸いにしてというわけではないが、第1次大戦後に修復された部分も大きく、現在、その美しい様相を保っているのは僥倖である。
 ランスといえば、ジャンヌ・ダルクであるが、ジャンヌがランス入りしたのも、シャルル7世を戴冠させるためであったらしいが、イギリスに負けていたフランスの王が正式な王として認められるためには、ランスで戴冠する必要があったというランス大聖堂の重要性がここでも証されるのである。結局、ジャンヌは因えられ、イギリス側によって火刑に処せられるが、フランスがボルドーの地を奪回し、最終的に百年戦争に勝利するのはそれよりわずか10年ほど後のことである。そして、ルネサンスを目前にして、ゴシックの時代も終わりを告げていたのであるから、ヨーロッパの政治史が文化史と不可分であるとの初学者知識を満足させてくれるだけの物語をランス大聖堂は有している。
  次に訪れたのは大聖堂の中の大聖堂シャルトルである。(写真はランス大聖堂正面入口の「微笑みの天使像」)
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躍動する魂のきらめき    ImpressionismからIxpressionismへ 

2009-07-06 | 美術
速水豊学芸員が指摘するように「表現主義」を日本で語るとき、ドイツ絵画を思い浮かべるそれに止まらないらしい。ただし、筆者は絵画や彫刻など「静」客体以外の世界には疎いのでここでは絵画などについてしたためてみることにする。
一見すると日本の画家たちはヨーロッパの表現主義(そのティピカルなのはドイツのそれ)をよく取り込んでいるものだと感心する。黒田清輝は渡航しているからもちろんのこと、萬鉄五郎、神原泰など同時代のヨーロッパ画壇の状況を素早く取り入れ、あるいは先んじている。しかしながらヨーロッパで席巻していた「表現主義」に皆が取り込まれていたわけではなく、同一化しない、違うものだとわざわざことわって絵画を発表した者も多い。そういった意味で日本の「表現主義」は大正デモクラシーの自由主義的な雰囲気の中でゆるされたのかもしれない。
ところで印象主義=Impressionism に続く絵画の傾向にどのような名称が与えられただ
ろうか。ポスト印象主義、後期印象主義などの呼び名もあるが、結局 Impress =人間の内面への沈潜 に対してIxpress=人間の外に向かっての発露 Ixpressionismという語が結局大きな地位を獲得したようである。もっとも、一人ひとりの画家を見れば印象主義的、自然主義的な傾向から作品の風合いを大きく変転していった者もいて、たとえばある意味で凡庸な写実主義からキュビズム、フォービズム、シュルレアリズムと大きく画歴が変わったピカソのように。
表現主義といっても細分化されてゆく。というか発展していく。思想的な背景があり、それの体制内発露としてのロシア構成主義、萬鉄五郎から「私はそうではない」ときっぱり断絶されたイタリアの未来派。
しかし、たとえばブリュッケのノルデを、青騎士のマッケを見ても印象主義=Impressionism から発展した形態としての表現主義=Ixpressionism がよく見て取れる。そしてポスト印象主義だろうが、キュビズム、フォービズムだろうが、内面の発露としての表現主義は十分印象主義と別の絵画時代を築いているし、印象主義を経験した過程ですでに印象主義をポスト=越えている。であるからこそ、表現主義の画家たちの仕事はいかに、どれだけ印象主義を超克したかが問われているのであるし、鑑賞者側もそういった眼で見、また期待する。
日本の表現主義と言った場合、ある一つの作品にヨーロッパの画家たち、たとえば萬鉄五郎はゴーギャンを、神原泰はボッチョーニを、柳瀬正夢はカンディンスキーを、あるいは甲斐庄楠音はルノワールをなぞらえ、安心しがちであるが、いやいや 日本の画家たちもヨーロッパのそれの影響を受けたとしてもそれは後塵を拝したわけではない。同時代的に探索の過程として表現主義にたどりついたと解するのが妥当であると思う。
もっと十分楽しめばよい。日本の表現主義を。それは絵画に止まらない。彫刻、写真や演劇など、あるいは柳宗悦らの文芸運動まで巻き込んで発展し、そしてナチスドイツがノルデらの試行を退廃芸術との烙印を押して排斥したように、日本でも芸術は天皇制軍国主義の走狗となっていく。そこで生き残ったのはもう表現主義の残滓もないものであった。今一度楽しめる表現主義の再評価が必要である。(萬鉄五郎「雲のある自画像」)
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博覧強記の好奇心  杉本博司「歴史の歴史」展

2009-05-17 | 美術
レンブラントはあれだけの画業をこなし、生前かなり稼いでいたにもかかわらず、散在がすぎてついには破産したというのは有名である。その散在の理由がとてつもない蒐集癖であったこと。ルネサンス期の絵画など直接の美術作品はもちろんのこと、イスラムのミニチュアや貝殻、あるいはガラクタとしか思えないものまで集めまくったという(尾崎彰宏『レンブラントのコレクション─自己成型への挑戦』三元社)。
杉本博司の膨大な蒐集癖にまずレンブラントを思い出した。ただし、今回本展に出品されたのは、どうやって入手したのか何億年前の貴重な化石や空から降ってくるのをずっと待つわけにもいかない隕石、人類の文明発祥を想起させるエジプト「死者の書」や古代日本は法隆寺の絹、そして『タイム誌』のバックナンバーまである。古週刊誌などガラクタに見えなくもないが、集められたのはほとんど第2次大戦前のものでヒトラーをはじめ、ムッソリーニや、昭和天皇、東条英機などファシズム期の指導者が表紙を飾ることも多く、その登場回数から時代、時代の重要度がかいまみえる。
杉本博司という人をよく知らなかったのだが、2005年に森美術館で回顧展をしていて、それで「ああ、このような写真を撮る人なのだ」という少し変わったコンセプトで対象を捉える写真家というイメージを勝手に持っていた。しかし、今回、その写真家としての広がり、というか写真家には違いないのだけれども、「写真家」というにはあまりにも杉本を評するには足らない気がしてしまった。
本展のタイトルが示すようにこれは「歴史の歴史」である。それこそ地球誕生から今世紀の最先端の建築物までカメラで写し取るという行為は、「歴史」から考えれば、それはあまりにも一瞬である。しかし、杉本は写真という何千分の一秒の世界であるからこそ、その世界で「歴史」を表そうとしたのではないか。もちろん、杉本の撮影方法はいわゆる動物写真や植物写真のようにほんの一瞬を切り取った(あるいはタイミングがすべて)写真とはひと味も二味も違う。露出を長くして、普通には露光できないものも描いている。そしてそうであれば、この世界に流れる時間を意識させるために徹底的に被写体に付き合う時間も長かろう。そして、人間の生などほんの100年足らずの中でその短い生しかない存在であるからこそ、海であるとか、宗教事物であるとかより長いスパンで人間に対峙する被写体と向き合っているのである(宗教発現の杉本の解説もまた簡潔でよい)。
展覧会での杉本自身の説明は、レンブラントもおそらくそうであったように思うのであるが、ある種の博覧強記を感じざるを得ない。好奇心が過ぎるのだろう。歴史を語るためには、杉本の場合、写すには、歴史が語られた歴史を繙かなければならない。そういう広角レンズ(というか360度か)を持った写真家の宿命として時間を我がものにした説明責任が杉本にはあるように思える。
45億年の中でほんのゴミくずの私たちにも時間を感じる特権は許される。
(写真は十字架教会 建築設計は安藤忠雄)
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イタリア美術紀行6 ヴァチカン(終章)

2009-02-15 | 美術
ヴァチカンはその頑迷な思想背景と、現教皇ベネディクト16世の反ユダヤ発言(ホローコーストへの距離発言といったほうが正確か)からして決して親しみが持てる存在ではない。最近もガス室はなかった発言で司教資格を剥奪されていた人物を復権させるなど醜聞も多い。国家に対して「親しみが持てる」もないものだが、ルーヴルだろうがヴィクトリア&アルバートだろうが絶対王制ゆえに成立した美術館というものは、それゆえに見逃しがたい魅力にあふれているとも感じる。
人口800人ほどのカソリックの総本山、一握りの神父らが11億人の頂点に位置するのは気持ちが悪いといえば悪い。しかし、その11億人の献金(収奪)のおかげでミケランジェロやラファエッロの大作がとてもよい状態で500年の時空を越えて、私たちの眼前に広がっていることを眼福としよう。
さて、システィーナ礼拝堂の「最後の審判」やラファエッロの「アテネの学堂」ばかり有名なのは仕方ないが、見とれるのはそれらばかりではないし、ヴァチカンが集めた絵画や彫刻作品は紀元前から現代美術まで及ぶ。なかでもローマ時代の彫刻は一つ見るのに10秒もかけていられないほどその数夥しい。しかもそれそれが違う表情をしているのだ。ローマ時代の彫刻は眼球が彫られていないこともあって、どこか冷たい感じが否めないが、もちろん作品のモデルは神々なので人間味がないのは当たり前といえば当たり前なのだが。
そして絵画ではフラ・アンジェリコの「聖母子と聖ドミクスと聖カタリナ」、カラヴァッジョの「キリストの埋葬」、ダ・ヴィンチの「聖ヒエロニムス」など名品も多い。なかでも一品一品ごとの素晴らしさよりも天井画やタペストリーの贅に圧倒されるのが、ヴァチカンのヴァチカンたる所以であろう。
以前訪れた時は夏であったので、うだるような暑さの中を並んで待ったものだが、今はネット予約が可能。バウチャーを先に手に入れて並ばずに入れたが、冬のこの時期並んでもたいした時間はとらなかったようだ。今回のイタリア行きでは「最後の晩餐」、スクロヴェーニ礼拝堂、このヴァチカン、そしてボルゲーゼ、クイリナーレ(宮殿)と予約して訪れることが多かった。それもWeb予約が主流。時代は変わったものだ。便利になった分だけ、いつになったら入れるのだろうとヤキモキした行列もまた懐かしい。
(ミケランジェロ「ピエタ」サン・ピエトロ大聖堂)
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