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kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

ハコと作品のマッチング 空間プロジェクトの成功例「地中美術館」  

2010-10-24 | 美術
馬鹿な、年甲斐もないことをしてしまった。瀬戸内国際芸術祭訪問1日目の晩、高松市内で酔ってこけ、足を痛めたのである。歩道と横断歩道の段差に酔って気づかなかったようである。不覚。この信号を渡れば、ホテルまでもう少しであったのに。
結局芸術祭は1日だけ、それも直島のベネッセ施設だけ廻るので終わってしまった。ベネッセの美術館なら芸術祭に関係なく訪れることができるのだが。なので、今回は国際芸術祭報告と言うより、ベネッセの3美術館、地中美術館、李禹煥(リー・ウーハン)美術館そしてベネッセハウスミユージアム訪問記である。
通常公立の美術館はまずハコありきで、そこに陳列できる大きさの作品しか展示することはできない。年に何回も企画展を開催するのが普通なので当然と言えば当然だ。しかし、ハコから造る私設の美術館では、企画展にとらわれることなく何を展示するかによってハコも設計することができる。その典型例、成功例が地中美術館である。
展示されている作家はわずか3人。モネ、ジェームズ・タレル、ウォルター・デ・マリア。そしてハコを設計した安藤忠雄。ベネッセの会長福武總一郎が「「自然と人間との関係を考える場所」を追求した美術館」をつくりたいと、すでに蒐集していた自然を愛したモネの絵を展示、自然をモチーフにワイドな作品を発表していた現代美術家のタレル、空間芸術ですでに高い評価を得ていたデ・マリア、そして安藤を招請。安藤は兵庫県立美術館なども設計しているが、コンクリート打ちっ放しの武骨な幾何学形は、「自然」とは似つかわしくないようにも見える。しかし安藤は、阪神・淡路大震災で大きな打撃を受けた兵庫県で県立美術館のほかに、淡路夢舞台や六甲の集合住宅など自然の中に違和感なく生える制作もこなしている。そして今回、安藤が企図したのは小さな島の景観を損なわない、外からは異物の美術館があるとは分からない構造、そうすべて地中に建築することであった。
しかし、地中にあるからといって、外の世界と全く閉ざされたコンクリートのハコであっては単なる地下室である。そこで安藤は得意の光=陽光を取り入れる隙間と吹き抜けを大胆に配して、地中にあっても明るく、また外からは建物があるとは見えない空間を演出したのだ。
そして、空間芸術といえばデ・マリアの登場である。デ・マリアはもともとインスタレーションを得意とし、アルミニウムの他、大理石を使った簡明ながら大規模、圧倒的な迫力でミニマル・アートを牽引してきた。ミニマル・アートと自然?すぐには繋がらないようにも思えるが、そこは安藤のハコ。教会のようなおごそかな空間に大理石の大きな球体がぽつり。周囲にはキリストの磔刑を思わせる金色に彩色された木彫3本がいたるところに。ここでは何を意味するかではない、何を感じるかなのである。球体の上は空。
空は作品の一部である。そう認識させられたのがタレルの作品。実は「オープン・スカイ」と名付けられたものは本当の空ではなく人工的に作り出されたものであるそうだが、つくねんと石のイスに腰掛け、見上げたら本当の空が流れているようにしか見えない。雨の時どうするのだろうというは杞憂で、タレルの作品も空間と人間の関係をなき物にする妖術のようでもある。
晩年、視力をおとし、細かな筆致が不可能になったモネの睡蓮。大作としてはパリのオランジェリーにあるものが有名だが、ここの作品も有る意味負けていない。それは、齢80のモネが残る力を振り絞って描いたようにも見え、その迫力が少なからず感じられるからだ。
アートは作品そのものだけではない。それら作品を展示する空間もまたアートなのだ。ベルリンのゲマルデ・ガルリーのように絵画ばかりだが、空間も素敵な美術館がヨーロッパにはいくつもある。地中美術館は少し違う意味で作品とハコの共存を成功させた希有な例であり、現代美術の可能性を拓く大きな足跡でもある。
他の2施設も入館料はチト高いが、美術館建設という一大プロジェクトが隅々まで味わえる奇観の成功が、直島という瀬戸内の小さな島で展開されている。
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「都市の祝祭」は定着するか   愛知トリエンナーレ

2010-09-26 | 美術
今年の夏は猛暑であったので美術散策するにはよい季節になった。特に愛知トリエンナーレのように会場がいくつも分かれており、屋外を歩き回らなければならない展覧会ではなおさらである。
日本では数年に一度の美術展の古参である横浜トリエンナーレや2007年に始まった神戸ビエンナーレはほとんどの展示が屋内であり、会場も大きく離れているわけではない。本来2年に一度、3年に一度の大美術展は一箇所の会場で収まるようなものではないのであろう。しかし、そうであればこそ、移動に難をきたす人に対する対応も必要ではないか。今回愛知の会場の一つに繊維問屋街の古いビルをいくつもの展示場にした試みがある。町をアートに巻き込む、それも古い場所に現代アートをという試みそれ自体は意欲的で、面白い。しかし、古い建物ゆえ、段差も多く、5階建てでもエレベーターもない。階段も急で狭い。健常者でもひやひやするところさえあった。
展示自体は、それら古い建物にあわせるかのような面白い作品が多かった。小栗沙弥子のガムの包み紙を張り巡らした作品(旧玉屋ビル)など、作品解説があればもっとその面白さを感じられる作品は多かったように思う。現代美術はえてして解説がないと何を表しているのか分からないものが多い。ただ、今回もオーディオガイドを借りたのだが、現代美術作品でよく見られる一辺倒な解説  社会と個人との関係を表している(もしくは「模索している」)  ばかりで少しうんざりしたのも事実である。見ただけではすぐには意味の理解できない現代美術作品の多くは、なんらかの「社会と個人(人間)との関係」を表しているのは当たり前であって、その「関係」がなんであるのか、どのようなものであるのか、それは変わりゆくものであるのか、変わらないものであるのか、そこを知りたいのである。
現代美術で「現代」を象徴するキーワードは、大衆、情報、消費、戦争、飢餓、貧困、差別、ハイテクノロジーなどである。ここでは、写真を除いて造形としての美術(ビデオインスタレーションを含む)は先進国の都市で描かれる、創作されることが多い。そこでこの作品が「社会と個人の関係」をたとえば「戦争」を考える、表すものとして描こうとすると、直截的な表現を用いられることはなく、いわばメタファーと化している。そのメタファーを読み解く能力がこちらにないのは置いておくとしても、多くの人にとって何の説明もなければ、そのメタファーが「社会と個人の関係」に思いを馳せ、「戦争」を考える題材となっていることなど分かりようがない。
上記のような社会問題にまみえる題材を持っていない現代美術は、社会を無化させた美術としてトリエンナーレのような国際美術展では必ずしも主流ではない。しかし一方で、ビデオ、CGを駆使し、いったいどうやって描いているんだろうと鑑賞者を驚嘆させる技術が前面に出た作品も多い。いずれにしても、大上段に理念を振りかざすのではなく、作家個人の趣味や嗜好によって、作品の奥にある、あるいはない意図を「社会と個人の関係」とひと括りにする安易さが、現代美術の解説として貧しいのである。
草間彌生や蔡國強などの「大物」も出品しているが、これらはいわば「祝祭」(「アートは都市の「祝祭」」=総合芸術監督建畠晢の言葉)としてのトリエンナーレの看板見世物であって、本当に面白い、考えさせられる作品はほかに多いのだろう。
名古屋という東京でも大阪でも地方でもない中途半端な街で、国際美術展が成功、定着するか。ひとむかし前、文化はハコモノと、巨大建設だの、なにやらメッセだのと見栄えに走った時代があった。そうではなく、現代美術が「現代」とは特に意識されずに私たちの生活の一部になりえるか、主催者、作家、鑑賞者すべてが問われている愛知トリエンナーレであった。(蔡國強「美人魚」制作風景)
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東京美術めぐり

2010-08-15 | 美術
東京に行ったのでいくつかの展覧会をはしごした。六本木ヒルズという、かの「ほりえもん」も住む?超タカビーなビルにある森美術館。開館当初は森美術館=MORI ART MUSEUMしかなかったらしいが、後にMORI ART CENTERもできて、2館になったのを知らず、間抜けなことをした。考えれば今回、森美術館に行こうと思ったのは、森美術館、金沢21世紀美術館、直島美術館の3館を巡ってスタンプをもらうと特製グッズがもらえるからという、景品ねらいのおばさんみたいな行動故だが、それはさておき、森美術館の現在。六本木ヒルズの52階、展望台にも行けるかゆい?商法で展覧会も1500円と高額だ。どうもMUSEUMは現代美術、CENTERはそれ以外という棲み分けみたいでそれを知らずに間違ってチケットを買ってしまった愚か者。
森美術館で開催していたのは「ネイチャー・センス展」。吉岡徳仁、篠田太郎、栗林隆のインスタレーションである。若手とは言い難いが、デザインなどでそれぞれの地歩を築いてきた3人が取り組んだ「自然を知覚する潜在的な力(ネイチャー・センス)」とは。吉岡は真綿の舞う雪景色さながらのかなり大規模な設え。篠田太郎の天井から水滴が落ちる水面は無限の想像力をかき立てる仕掛け。地中の動物からのぞき見た地上の風景は意外に小さき世界と実体験を提供するのは栗林隆の作品。どれもが奇抜ででも納得させられ、どこか笑いを包含する身近さ。
国立新美術館では二つの企画展を見たが、「マン・レイ」展は大阪にも巡回するようなのでまたの機会にして、現在の印象派人気の一端を司る「オルセー美術館展2010 ポスト印象派」展である。ポスト印象派というからには印象派そのものが措定されていなければならない。印象派というと1876年以降、ルノワール、モネ、ピサロなどを指し、ポスト印象派はセザンヌ、ルドン、そしてスーラなどを指すらしい。それはそうだが、印象派というと「ありたがっている」印象派好きの日本人にポスト印象派とは分かりにくい分類ではないか。たしかにセザンヌは印象派を超えて、新しい表現を模索し、その試みはキュビズム、フォービズムに発展し、ポスト印象派に擬せられるスーラは当然点描主義を完成させた本人であり、ポストに分類され展示されていたバイヤールなどはナビ派という「矮小化」されたものとなっている。
ポスト印象派という以前に、点描主義、ナビ派、キュビズム、フォービズムそしてシュルリアズムと印象派以降の傾向を分類したことが無駄になったかにも思える今回の「ポスト印象派展」。ポストと括ればそれはそうであるが、印象派以降美術はすべて「ポスト」であるのだから、ポストとはあまりにも乱暴ではないか。
たしかによい作品は来ている。しかし、美術史を鑑みるとき、すべからく「ポスト」であることをあえて、「ポスト」と名付けずに、いろいろな象徴指向を名付けたのはなかったか。そして、「ポスト」と括らないことによって、自分はどの指向が好きか、興味がわくかをときほどくことによって「ポスト」以前の本家印象派に視線が向かうのではなかったか。
「ポスト印象派」と括られることによって、あらためて印象派の業績に興味が沸くとともに、「ポスト」と擬せられたセザンヌ、バイヤール、ルドン、ピカソなどなどの試み、挑戦が再確認できる展示ではある。あまりも多い観覧者のために本展示を詳しく見たわけではない上の感想ではあるが、ルソーの「戦争」など見逃せない作品ももちろん来ていた。
(ルソー「戦争」)
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理想との距離、「近代」との距離   ロトチェンコとステパ-ノワ「ロシア構成主義のまなざし」

2010-07-19 | 美術
ロシア構成主義というと、勘違いしていたのはマレーヴィッチのシュプレマテズムの亜流と勝手に思っていたからだ。むしろ、マレーヴィッチはロシアの農民像にこだわったかに見えるのに反し、構成主義はそのようなロシアの現実(革命ですぐに貧農層が救われたわけではもちろんない)は別にして、いわば「新社会建設のため」という理念先行のようにも見える。
構成主義のはじまりとされるタトリンは、タトリンタワーで社会主義(共産主義)の力を表現、証明しようとしたが、理想と現実は別である。タトリンタワーが社会主義の勝利として完成すれば、それはそれで納得がいくが、それは所詮「理想」にすぎない。というのもまた、この時代の社会主義のあり方を示すものとも言える。なぜなら、政治課題として「社会主義的」なるものは、ソ連がどうであれ、北欧やその他ヨーロッパにおいて現実化されているのであり、芸術の力を借りたから成就あるいは成しえなかったのとは違う局面ではたらいているのである。構成主義が革命の現実化をいくら理想としようとも、タトリンやここで紹介するロトチェンコも社会主義プロパガンダとしての役割であったとしても、今は芸術性と社会性の様々な局面でだけでしか評価されるにすぎないからである。
前置きが長くなってしまったが、本展はアレクサンドル・ロトチェンコとその制作のパートナー、伴侶であったワルワーラ・ステパノーワを紹介する日本ではじめての本格的回顧展である。いつも気になるのは、男性の芸術家の伴侶やパートナーであった女性はいつも男性の付け足しみたいに扱われることだ。業績や作品で仕方ない面もあるが、ステパーノワとロトチェンコというふうには紹介されないのが、男女平等であるはずの社会主義でも解せないところだ。カンデンスキーとミュンターとか、モディリアニとジャンヌとか、対等に扱われる、あるいは男性芸術家なくして紹介されることなどあるのだろうか。
少し脱線したが、ロトチェンコの仕事は、具象から抽象、多彩から幾何学的、耽美主義から実用主義とどんどん合理主義化していく。もちろん革命が近代の産物であるとき、その合理性は必然であって、同時に、デザインにおける虚飾の排し方は近代デザインの使命を証明するのかようで心地よい。しかもロトチェンコのデザイン、工芸、建築的発想は、理想主義的、現実化に距離はあったとはいえ、「近代」を知った人類が等しく生きていくためのグランドデザイン的発想に満ちていたことこそ評価されるべきである。ロトチェンコのようにロシア革命(社会主義)ゴリゴリでこれまで紹介、評価されなかった人に比べて、大きく日の当たってきた(と筆者は思う)リートフェルトなどのオランダはデ・ステイルやル・コルビジェなどの仕事と比べても、その人に対するまなざしは十分「人間的」である。
一方、3次元を2次元で表現し、また2次元の仕事をしなくなったロトチェンコは市井の人の営みを写すのが趣味の写真家であったともいう。ロトチェンコのフォトグラフは、社会主義を離れてプレッソンよりも早く、人間の姿を切り取って見せた。それはそれで興味深いが、理想に燃えた社会主義の体現を芸術活動でこなしえたのは幸福というほかなく、また、フルシチョフによるスターリン批判(1956年)を知らずに没したこともまた、この上なく幸せでなかったかとも考えるのである。
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不可思議な饒舌さ   束芋「断面の世代」(国立国際美術館)

2010-07-18 | 美術
束芋のビデオインスタレーションを初めて見たのはたしか2001年の横浜トリエンナーレだったか、電車?が流れていく様に引き込まれたのを覚えている。ただ、そのときはビデオインスタレーションが多くて、束芋の作品だったかよくわからないが、単調な中にも惹かれる作品があり、もう一度見たいと思い探しているが、いまだにたどり着いていない。それはさておき、今回の束芋のテーマは「断面の世代」。
今回のテーマと記したが、束芋自身の問題意識が自己を「断面の世代」と規定することに本展の見所がある。「私が想定した、私を取り囲む入れ子になった球体状の世界を両手に収まるくらいの大きさで捉え、その世界に包丁を入れる。両手の中で切り口が露になり、私の目にはその断面が私を取り囲む世界を理解する上で役立つ二次元の地図となる」「二次元の地図の段階では判然としなかった地図上の要素が、時間軸にならべられることで、私にとって「キュウリ」や「かんぴょう」といった意味の形になっていく」「断面は、社会に属する個や時代に属する個の一端を浮かび上がらせることを信じ、私はそれを眺めてみたいと思う」(キーワード【断面】展覧会図録)。
1975年生まれの束芋は、自分の親の世代である団塊の世代が、太巻きの「キュウリ」や「かんぴょう」と違った個性の集合体が時代をつくっていったことに比し、自分たちは太巻きを断面で切った(時にうすっぺらな)一枚であるという。いろいろな要素はあるけれど、これといった強い自己主張や、かといって他の強い自己主張に対する共感もない。兵庫の平凡なサラリーマン家庭に生まれ、大阪の団地暮らしを経験している束芋はその平凡さが、世界でおこっている大きな出来事(束芋が小学生・中学生をすごした時代、80年代後半以降はソ連の解体、ベルリンの壁崩壊など東西冷戦が終焉するまさに激動の時代であった)とはかけ離れた、変わらない日常であることを醒めた目で束芋は見続けていたのかもしれない。
京都造形芸術大学の卒業制作であった「にっぽんの台所」にはじまり、「にっぽんの横断歩道」や横浜トリエンナーレで筆者が見たと思われる「にっぽんの通勤快速」など「にっぽんの」シリーズはもちろん、「団地層」や新聞の連載小説「惡人」(吉田修一原作)の挿絵など、どこかおかしさ、怖さ、シニカルな眼を持ちながら決定的な意図や構図といったものが見つけられない不安定さや不気味さがあふれている。それは、「惡人」に見られるように束芋の作品群が手や足など、ときには臓器といった体の一部を切り取って、それがメタモルフォーゼとなって他の物質に変転していく不可思議さばかりのせいではない。人間に拠り所などないのだというあきらめと、それでいて、その拠り所のなさこそが自己の存在証明であるかのような「断面の世代」故の大きな物語から遠い存在である自分たちを現している証なのだろう。
テレビも3Dの時代。日本が誇るアニメーションの世界では、表現できないものはないのではないかと思われるくらい緻密で、時にスタイリッシュである。それらデジタル世代のはずの束芋が描く風景は泥臭く、アナログを思わせる古くささでもある。しかし、束芋の手法は自ら描いた何百枚、何千枚ものコンテをパソコンに取り込んで、ととても高度で緻密なものである。ビデオインスタレーション作家というとパソコンに手慣れた、絵もあまり自分で描かないIT世代という偏見を見事に打ち壊す職人芸である。そう、束芋の部分、部分を描く、手や足、髪はどこかおどろおどろしいと書いたが、すぐれたデッサン力を背景にそれはそれで美しいのだ。
束芋の映像には奇妙なBGMはあるが、台詞はない。けれど、落ちてくる家具(にっぽんの台所)、人並み(にっぽんの通勤快速)、パンツから枝が生え、シャワーになり、その水泡の中から指が生えてくる様(惡人)など、これ以上に饒舌な表現もないと思えてくるから不思議だ。
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麗子登場!!  日本近代画の生成

2010-06-20 | 美術
世界の美術館、特にヨーロッパの有名どころは割と行ったほうだと思うが、日本の美術館は老後でも行けると思い、足が向かなかった。けれど、これまでの常設展、企画展情報などから、ここは行ってみたいというところがいくつかある。
千葉県は佐倉市の川村美術館はマーク・ロスコの回顧展を開催するなど油断ならない?ところであるが、2番目にあげるならここ神奈川県立近代美術館だろう。それも今や3館体制となった中で葉山館は、なかなか見逃せないコレクションと企画展で惹かれるものがあった。葉山といえば、天皇の別荘があり、ただでさえ縁遠いし、神奈川県は横浜を除いて関西からは若干不便。しかし、葉山館はもちろん鎌倉にある鶴岡八幡宮そばの神奈川県立近代美術館が、恥ずかしながら日本における「近代」美術館の発祥地とは知らなかったのを再発見できるだけでも本展は有意義であった。
面白いと感じたのは、現在印象派とポスト印象派再発見とばかりに(オルセーの改修に合わせて大規模な展覧会が国立新美術館や森アーツギャラリーなどで開催されていることと無縁ではない)いろいろ開催されている中で、モネやゴッホなどものすごい日本贔屓で、作風に日本テイストが氾濫していることを確認すると同時に、20世紀初等の日本画壇が西洋画壇(とはいってもほとんどフランス、パリ)にとてつもなく影響を受けていたということ。
違うのはモネもゴッホも来日はしていないが、西洋画に影響を受けた日本人が少なからずパリに滞在した者が多いこと。早くは黒田清輝に始まり、20世紀にはエコール・ド・パリのパリにとっては異国の人に交ざって前田寛治、児島善三郎、里見勝蔵、佐伯裕三、荻須高徳などが渡仏し、そして藤田嗣治に至って日本人であるにもかかわらずフランス画壇で成功したと見なされる頂点の者まで輩出したのである。
と同時に、パリまでは行かなかった日本人画家の斬新かつ貪欲な吸収性がこの時代、すなはち日本における近代画壇の金字塔をいくつも打ち立てているのは驚きである。
萬鉄五郎のフォーブは見る者を圧倒する。マチスの真似に過ぎないという指摘もちろん正しかろうが、フランスよりはるかに裸婦像に抵抗のあった日本でここまで被写体そのものが見る側を見返す威圧感たるや傑作に恥じない。あるいは岡本唐貴(白土三平の父)や坂田一男のキュビズム・シュルレアリズムは、ロシア構成主義やイタリア未来派の影響が見られるとはいえ、驚くほど独創的である。
これら「自由な」傾向は1920年代までで、30年代以降は戦時体制、国家総動員体制への距離によって画家は進路を決せられる。戦後戦争協力故に断罪された藤田嗣治らよりはるかに戦争協力した大物、猪熊玄一郎など戦後の美術家に対する戦争責任追及は十分でないところが、同時に30年代以前の作家の正当な評価と掘り起こし、そして追及が、その画業と別のところでなされるとしたら不幸である。
第1次大戦と第2次大戦の2度の戦地体験を持つオットー・ディックスが「人間は愚かで変わらない」と述べたとき、日本人画家のいかほどがその愚かさを自認しえたであろうか。
神戸が誇る小磯良平の「斉唱」(1941年)を暗い時代の画家の自立と抵抗と評価する甘さに日本近代画の限界と到達点をにおわす展示に納得がいったのは少し深読みかもしれない。
今回、日本における近代美術館の発祥たる神奈川県立近代美術館と第2番目の兵庫県立近代美術館の「近代画」をめぐるコラボレートはかような近代画の責任の所在を明らかにする意味で含蓄深いものであると思う。(「斉唱」小磯良平 兵庫県立美術館)
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アメリカ西海岸美術紀行5 ロサンゼルス③

2010-01-31 | 美術
今回西海岸はロサンゼルスを訪れたのはここに行きたかったからだ。そしてここの規模、蒐集作品のすばらしさに想像力をかき立てられたのが、実は愛読マンガ「ギャラリーフェイク」であって、実はゲティ・センターの存在自体知らなかった。
ゲッティ・センターが、もともとゲッティ美術館であったこと、J・ポール・ゲッティという大金持ちがつくった美術館であること以外は恥ずかしながら何も知らなかったのだ。アメリカの美術館はだいたい富豪がその蒐集作品を見せるために建てられたものが圧倒的だ。メトロポリタンしかり、バーンズ財団美術館しかり。そしてその規模たるやMETは世界3大美術術館の一つ、バーンズ財団美術館は長い間公開されていなかったが公開されるやその規模に観衆は度肝をぬかれたという。
そしてゲッティ・センター。「圧巻」である。石油王ゲッティが建てた個人美術館は、その資産から導き出される予算はMETの4倍、東京は国立西洋術館の100倍!という。そして利子だけでも増え続ける資産を費消するために入場料も無料という太っ腹ぶり。ビバリヒルズの高級住宅街のさらに上にあるゲッティ・センターは眺望も抜群、丘の頂までトラムのような列車で移動する。登り切った終着駅の左右に拡がるビバリヒルズの邸宅群と太平洋。ここは言い過ぎれば桃源郷である。その桃源郷たる所以はゲッティ・センターの収蔵作品とその見せ方にある。
ゲッティ・センターはセンターと言うだけあって、その中に美術館はもちろん講堂、研究所など多くの施設を擁している。そして美術館の中でその研究成果を分かりやすく、かつ興味深く見せてくれる。たとえば精巧な彫刻はどのように作っていくかを、映像と実際の制作過程を、作品を分解して木を彫るところから、色付け、組み立てなど大仰な聖人像が出来上がっていく様はまさに研究の成果だ。理解できる範囲での英語の説明書きも丁寧で、グラフィックでそれぞれの行程が見られるのも楽しい。これがあくまで研究成果の一端で、企画展も19~20世紀労働者の写真集で興味深いのに常設店の規模たるや半端ではない。
美術館は4つの棟に分かれ、エントランスから時計回りに古い時代の作品から見て回れるようになっている。もちろん、どの棟から入っても構わないし、一度入った棟にもう一度入ることも可能だ。この点、大きな美術館で中には一方通行しかできないところ(例えばバチカン美術館など)に比べてとてもよく考えられている。中世美術からルネサンスの北館、バロック、ロココ、ロマン主義の東館と南館、そして19世紀以降の西館と時代区分を区切り回りやすい。ただ、回りやすいと言っても一つ回るので相当の時間を要する。筆者は行きのバスで2時間もかかったため、午後まるまる費やして回ったが、本来なら1日あっても回りきれないくらいだろう。
アメリカの美術館はやはり20世紀美術が得意だが、ここは違う。レストランも素敵、庭園を回るだけで時を忘れる。至福の美術空間とはゲッティ・センターのことである。(了)
(不思議なフォルムのゲッテイ・センター庭園)
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アメリカ西海岸美術紀行4 ロサンゼルス②

2010-01-25 | 美術
ノートン・サイモン美術館は近代美術のみならず、ルネサンスやバロック期の作品もそろえているが、数は少ないものの見るべきものがある。ベッリーニやクラナッハ、グイド・レーニなど。そして下階にはアジア美術がたんとある。アメリカの金持ちの蒐集癖はすさまじい。第2次大戦期自国内で戦闘や爆撃、占領を経験したヨーロッパ諸国では戦後間もない頃美術作品の保護どころではなかったらしい。本土は無傷だったアメリカはヨーロッパの戦後の混乱に乗じて美術作品を買いあさり、アメリカへどんどん運んだという。その資金的裏付けが石油や自動車、ノートン・サイモンのような食品などで財を築いた富豪たちである。もちろん何度も言うように近代美術が主で、それ以前の作品はどうしても少ない。
ロサンゼルスはダウンタウンとウエストウッドのちょうど真ん中、“へそ”のあたりにあるのがカウンティ美術館。Countyとは行政区画の「郡」の意味。つまり郡立美術館で、富豪が私設美術館を建てるのがほとんどのアメリカでは珍しい公立の、しかも大規模美術館。土地柄西海岸、ロスでは中国、日本、韓国系アメリカ人も多く、それらの国とのつながりも多い。カウンティ美術館には日本館や高麗(文化)館もある。しかもそれぞれが独立した建物で、訪れたときは一つは改修中、新施設は建設中で美術館をすべてみられたわけではないが、かなりの規模だ。本館にあたる建物は20世紀美術の宝庫。ポロックやジャスパー・ジョ-ンズ、アンドリュー・ワイエスなどのアメリカ美術はもちろんのことマグリットやピカソ、ブラック、デュビュッフェなどのヨーロッパ絵画、ブランクーシ、アルプ、ボッチョーニなどの彫刻も充実していてもうご機嫌である。
ヨーロッパの美術館でもそうだが、ここでも会員特典(membership)というのがあるようで、メンバーだけの企画展、ルノワールと西洋美術みたいなものをしていたが、疲れていたし、印象主義ならもういいかと思い、membershipでなくても観覧できるかも聞かずに後にした。
ロサンゼルス現代美術館は、規模はそれほどでもないがここもアメリカ20世紀美術そのもの。如何せん現代美術は時代を下れば下るほど大きくなるようで、だだっ広いところでよく分からない作品が数点。分からないが面白いものもあり、現代美術ならではの好奇心をそそるあれこれ。そして、現代美術の一カテゴリーであるビデオ作品はなぜかなく、「現代」といっても80年代以降の作品はあまりないのかもしれない。
ちょうど企画展でヨゼフ・ボイスをしていたが、作品そのものよりもボイスの書簡や彼を紹介した紙誌などが展示され、ただでさえ英語読解に問題がある筆者にはつらく、ほとんど素通りしてしまった。ただボイスのあの固いフェルトの雰囲気は楽しめた。
ロサンゼルス現代美術館のすぐ近くにウォルト・ディズニー・コンサート・ホールがあるが設計はあのスペインはビルバオのグッゲンハイム美術館をつくったフランク・O・ゲーリー。シルバーの曲線が快晴に映え、楽しいひとときだった。(ウォルト・ディズニー・コンサート・ホール)
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アメリカ西海岸美術紀行3 ロサンゼルス①

2010-01-24 | 美術
ロサンゼルスには二度とはあまり行きたくないと思うのは、公共交通のあまりの貧弱さ故である。車を持たない者は人にあらず、と感じるほど移動が不便な町だ。大都会であるものの地下鉄は路線も本数も少なく、日常遣いには適さないし、路線バスはタイムテーブルがはっきりしない上とても時間がかかる。と、一旅行者の感想だが、美術館目当てだけでロサンゼルスを訪れ、一人で公共交通で移動する輩などいないのであろう。ただ、バスに乗っても地下鉄に乗っても感じたことだが、美術館やレストランなどであれだけたくさんいた白人が、バスや地下鉄ではほとんど見かけないのだ。カラードばかりで、黒人さえ多くない。あと筆者のような東洋系。移動に車が当たり前ということとそういった車を持つ層が一定の収入のある層に限られていること(ビバリヒルズ界隈を路線バスで通り過ぎたが、なぜこのような金持ち大邸宅の地域を路線バスが走っているのかなと思ったが、乗車してきた人たちを見ても、使用人の通勤手段として必要であることがわかった)、何よりもアメリカが車社会であることを実感したのが、今回のロサンゼルス訪問だった。美術館巡りなど観光をするための公共交通という意味では、ニューヨークはとても便利だった覚えがあるからだ。
で、ロサンゼルスの美術館は。回れる範囲で回ったそのどれもがすばらしい。ゲティ・センターなどロサンゼルス中心部からバスで2時間もかかったが、行く価値おおいにありである。ゲティ・センターのことは次回以降のブログで紹介することにしてまず訪れた順番でロサンゼルス郊外のパサデナにあるノートン・サイモン美術館を。
カリフォルニアでオレンジジュース会社を買収などして食品企業で財をなしたNorton Simonが西洋近代美術作品を収集し、建てたのがノートン・サイモン美術館(Norton Simon Museum)である。
エントランスに入るとすぐにドガの彫刻に気づく。そしてすぐ隣の大きな部屋に歩を進めると至る所にドガの油彩と彫刻。絵画ではWoman Drying Herself、After The Bath、Dancing In The Wingsなど、彫刻では有名なLittle Dancer Aged FourteenからArabesqueが幾種類も。素晴らしい。よくもこれだけドガを集めたものだ。オルセーにもたしかドガの部屋があったと思うが、どちらのコレクションがすばらしいか俄には答えられない。
ドガの部屋がまだ続くうちにあふれだす西洋近代絵画の絶品たち。時代的には13世紀頃からルネサンス期、古典の時代の作品もあるが、やはり近代作品が圧倒。昨年パリに行ったときには時間がなかったこともあり、オルセーには行かなかったくらい印象主義の作品群から遠ざかっていたが、ノートン・サイモンで数々の作品、ルノワール、ピサロ、モリゾ、モネ、シスレーなどに対面し、改めて印象主義もよいと思えた。
(ドガ アラベスク)
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アメリカ西海岸美術紀行2 サンフランシスコ②

2010-01-20 | 美術
リージョン・オブ・オーナー美術館は全米でも指折りのヨーロッパ美術の殿堂と言われ、確かに美術館前の庭園にロダンがいくつも並ぶは、バロックから、ロココ、ロマン主義、印象主義、ラファエル前派そして20世紀美術と満遍なく押さえているはで、アメリカでこれほど西洋美術にまみえるのも嬉しいなら、アメリカの富豪が美術に金を惜しまなかった証として記憶される美術館である。
ところでリージョン・オブ・オーナー(Legion of Honor )とはフランス語ではレジョンドヌール(勲章)(légion d'honneur)のことである。もともとはナポレオンが制定した国家功労者に与えられる最高勲章のことであり、パリにあったたいそう美しいパレスにその名が与えられた。そしてアメリカ人アルマ・スプレッケルズがそのパレスに感動し、実業家の夫とともにサンフランシスコのこの地にレプリカを建て、それが同じ名を冠した美術館として誕生したのである。そしてリージョン・オブ・オーナー美術館は古代から近代までの美術作品を、現代アートはデ・ヤング美術館というもともとは棲み分けもあったようであるが、見たところデ・ヤング美術館には近代美術も多く、かなりの規模である。
広大なゴールデン・ゲート・パーク公園にあるデ・ヤング美術館は外観からはそうは見えなかったがとてつもない広さである。特別展が「ツタンカーメンとファラオ展」をしており、あまり興味がわかなかったし、23.5ドルの入館料は高いなと思ったが、常設展がこれほど充実しておればあながち高いとは言えないかもしれない。展望台にも上がることができるのも楽しい。
なんといっても、デ・ヤング美術館には20世紀のアメリカの作家たちの作品がたくさん楽しめる。エドワード・ホッパーにアンドリュー・ワイエスなどの具象、ジョージア・オキーフのような象徴性の高い作品から、ジャクソン・ポロックやデ・クーニング、サム・フランシスなど抽象表現主義の作品群は圧巻である。
当初それほど広いとは思わなかったが、行っても行っても終わりがない。上階のオセアニア、南米、アメリカ先住民美術などは疲れてしまいパスした。このあたりは美術館というより博物館という趣である。
N.Y.はメトロポリタン美術館がセントラルパークの中心にあるように、このデ・ヤング美術館も緑にあふれた公園と共にたくさん楽しめる空間であると思う。
(デ・ヤング美術館そばの巨大な安全ピン)

コメント
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