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kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

「ぼくは君たちを憎まないことにした」  繰り返される「争い」に終止符をとの希望

2023-12-01 | 映画

私ごとで恐縮だが、甥がお連れ合いを失った。まだ42歳。母親を亡くした子どもは5歳。甥は「まだよく分かっていないのではないか」。体調不全と聞いてはいたが、お正月しか会わない程度なので、詳しくは知らなかった。甥の母(私の姉)によれば、「もともと病気を抱えていたが、コロナに勝てなかった」。父子にかける言葉も見つからない。甥の場合は、日々弱っていく妻を見ていて、半ば覚悟もあったかもしれないが、アントワーヌとまだ2歳に満たない息子メルヴィルの場合はどうか。夕方明るくコンサートに出かけた妻、母のエレーヌを見送ったばかりなのに。テレビや親族、友人からの連絡にコンサート会場で無差別テロルに巻き込まれたと分かった妻と再会できたのは3日後。美しく横たわっていた。

2015年11月13日夜。パリの数カ所をISIL(イスラム国、IS)のジハーディストが襲撃した。最大の犠牲者を出したバタクラン劇場に居合わせたのがエレーヌと友人ブリュノだった。事件後すぐに病院を探し回ったアントワーヌはやっとエレーヌに会えた後、パソコンにメッセージを書き連ねる。「ぼくは君たちを憎まないことにした」。瞬く間に拡散し、ビューは2万5千。もともとジャーナリストにして作家の彼は文才があったのだろう。しかし、怒りや恨みではなく、犯人らに対する穏やかな「憎まない」宣言はなぜこれほど人々の心を打ったのか。

実行犯たるISILの戦闘員が、その行動の背景に西洋社会に対する憎悪を抱いていたことは、正当かどうかは別にして多分間違いないだろう。そして、アントワーヌの理解によれば、戦闘員が望んだのは西洋社会のイスラム世界に対する憎悪を煽ることだった。しかし、彼はその土俵に乗らなかった。「憎悪で怒りに応じることは、君たちと同じ無知に陥ることになるから。君たちはぼくが恐怖を抱き、他人を疑いの目で見、安全のために自由を犠牲にすることを望んでいる。でも、君たちの負けだ。ぼくは今まで通りの暮らしを続ける。」

実行犯らが「無知」かどうかは理解の分かれるところだと思うが、少なくとも、アントワーヌはフランス社会が恐怖のあまり極端な監視国家、自由や民主主義を放棄することに断固反対する。自由、民主主義国家であり続ける限り、このような事件は再び起こり得るかもしれないのにである。これは、自由のためには憎しみの増幅という方法は取らないとする宣言だ。

王政を武力で倒し、共和政を獲得したフランスは国歌にまで「武器を取れ」とある。18世紀の武器はもちろん軍事力そのものを指すが、現代では言論の意味合いが大きいだろう、理想的には。現にフランスは中東地域で繰り返される戦乱に武力介入、武器輸出を行っている。だからISILがフランスを攻撃対象としたことは故なしではないのだ。

けれど、国家のような組織も「イスラム国」も一人ひとりの集合体である。一人ひとりの意志ではなく、組織の意思が個を圧殺、統制する思考回路そのものをアントワーヌは拒否したのだろう。さすが「一般意志」や「アンガージュマン」を生んだ国と言えるかもしれない。

ちょうど、映画公開と同時期にパレスチナのガザ地区を支配するハマスによる、イスラエル攻撃、そしてその反撃としてのイスラエルによる容赦ないガザ地区への攻撃で数多の死者が出ている。国家としてのイスラエルを認めないハマスには、人工国家イスラエルによる土地簒奪に対する憎しみが、ハマスによるイスラエル急襲に対し、イスラエルはホロコーストにも準え憎しみを増していると解説されている。とにかく「殺すな」しかないのだが、どこかで憎しみの連鎖を断ち切らなくてはならない。が、とても難しい。

アントワーヌは憎まないが「赦す」とは言っていない。国家犯罪、組織犯罪と個人による殺傷とは様相は違うだろうが、憎悪の放棄と赦しが人類社会に普遍的に存在する「争い」の特効ではない特効薬とも思えるのだが、和解の道のりは遠い。けれど希望だ。

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現題はM.R.I (核磁気共鳴画像法)  「ヨーロッパ新世紀」は欧州の脳内画像を描く

2023-10-27 | 映画

藤原帰一は著名な政治学者である上に映画評論家としても名を馳せている。藤原の国際政治に関する論壇時評は正確なことを述べているとは思うが、どこか隔靴掻痒の感じを受けた。それは私の読解不足もあるだろうが、世界を席巻する反民主主義的な動きに対する客観視、双方に対する同等の理解、抑制的な書きぶりにあったと思う。それが、この「ヨーロッパ新世紀」映画評はどうだ(社会と自分に潜む差別と暴力 人ごとではない「ヨーロッパ新世紀」:藤原帰一のいつでもシネマ(ひとシネマ)
https://news.yahoo.co.jp/articles/02f048b95ed205c95c69b3323977952be01b42ca)重ねて評する意味も失うほど正鵠を得ていて言葉もない。

だが、私なりに言葉を継ぐ。主人公は思い入れることのできないキャラクターである。マティアスは出稼ぎ先のドイツの工場で「怠惰なロマめ」と言われ、キレて暴力を振るった挙句、ルーマニアに逃げ帰る。突然帰ってきた夫に妻は冷たい。森で怖い思いをした息子ルディは言葉を発せなくなっているが、男ならこうあるべきとマッチョな対応しかできない。そして認知症が進んでいる父親の介護もままならない。村では、マティアスのかつての恋人シーラが現場責任者を務めるパン工場でスリランカ人を雇うことに。そもそも、マティアスが出稼ぎに行ったように村の人手不足をより貧しい国からの労働者でまかなっていたのだ。

村の人種構成は多様だ。ルーマニア語を話す者が多数だが、オーストリア・ハンガリー帝国下であった時期もあり、ハンガリー語を話す者、そしてドイツ語を話す者。さらに元々漂流民であったロマを祖先に持つ者もいる。様々な言語が飛び交う中でルーマニア語とハンガリー語を話す者の微妙な関係を含め、ロマには差別感情がある。だから、マティアスは「ロマ呼ばわり」されて怒ったのだ。そして、ルーマニア語系は東方正教、ドイツ語系はプロテスタント、元々あるカトリックと宗教的にも複雑に混交している。だが、人の移動が容易ではなかった共産主義の時代、ある意味上からの圧政の強さゆえ、これらの違いは表面化していなかったのだろう。それが、ソ連崩壊、ルーマニアもチャウシェスク独裁政権の崩壊で「自由化」した。人の移動も自由になった。

この作品には、ヨーロッパにおける現在の問題が集約されている。圧政からの人々の繋がる生きる知恵としての「共存」が、自由を得て、互いの違いをヒューチャーし出した。人種、民族、言語、宗教、習慣、生活文化そしてヨーロッパを超えた人間との摩擦。そしてグローバリズムという名の新自由主義。シーラのパン工場でスリランカ人を雇ったのは、現地のルーマニア人からの募集がないから。村では最低賃金で働く人間などいないのだ。しかし、肌の色の違う人間は許容できないと、住民は差別感情を露わにする。「イスラム教徒の作ったパンなど食べられない」。シーラはEUの基準に則った雇用条件で合法に雇っていたが、EUの価値観自体が許せない。「自分だけ儲けているフランスが勝手に決めた」。スリランカ人宿舎に火炎瓶が投げ込まれるにおよび、シーラは彼らを解雇せざるを得なくなる。真面目な働き手であったのに。

作品中最も白熱したシーン。村をあげての住民集会。排外言説が声高に叫ばれ、グローバルスタンダードに近しいシーラらは劣勢で、そのシーラを精神的に擁護するでもなく、手を握ってくれと何の役にも立たないマティアス。そんな中、マティアスの父の自死が伝えられる。絶望は、とうの昔に発生していたのに、マティアスはじめ村人の誰もが気づかないふりをしていたのだ。

声の出なかったルディが叫ぶ。でも、その叫びで村が救われるわけでもない。ただ、一人ひとり叫ぶことが大切なのだ。差別や争いは嫌だと。

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世界最大人口国の歪みを撃つ女性たち  「燃え上がる女性記者たち」

2023-10-21 | 映画

記者クラブに入れない報道関係者は排除され、政権をヨイショ発言する記者も混じる。首相をはじめ、政府側の会見ではひたすらパソコンに向かい、二の矢、三の矢も継がない迫力のない質問。よく見られる日本のメディア状況だ。それと同列には論じられないことはもちろん分かる。しかし、記者自身がインド社会でカーストの最下層のダリトで女性ばかりの「カバル・ラハリヤ(ニュースの波)」記者たちの奮闘ぶりはどうだ。

冒頭、ダリト女性への度重なるレイプ事件を記者のリーダー格であるミーラが取材するシーン。警察に訴えても相手にしてもらえないと泣き寝入りする被害者と家族。ミーラ自身、妻が働くことに必ずしも理解があるわけではない夫がいる。子どもの世話をはじめ、家事に追われ、暗い狭い路地を通うミーラに危険がないわけではない。違法鉱山で児童労働者として働いて育ったスニータ。違法鉱山はマフィアが牛耳っている。その実態を果敢に取材、地元政治家の腐敗も明らかにしていく。彼女らの取材で活躍する強力なアイテムがスマホである。

英語もできない、今まで周囲になかったデジタル機器は不安という記者らの懸念をよそに「私が教えるから大丈夫」と熱心に教えるミーラ。そして、記者らが取材先で動画を撮り、すぐに編集、動画サイトで配信。瞬く間にフォロアーは100万超えに。関心を寄せる層が全国に広がれば、対応を余儀なくされる地域もある。報道から15日で電気が通った、渋々ながら動く警察当局など。

突撃取材とも思える手法とともに、警察内部での取材や地方の行政幹部の執務室での取材などが許されている現状も驚きだ。そして軽くあしらわれても諦めないしつこい取材も。ダリト、女性と蔑まされてきた者たちが、自己の生存意義と社会改革のために小さな力を集合させて前進するエネルギーが美しい。

しかし、「世界最大の民主主義国」と自称するインドは、今や中国を凌ぐ世界一の人口国となり、英語の語学力を背景にITの世界で急成長を遂げている。先ほど開催されたG20では、グローバルサウスの盟主と振る舞い、G7先進国を出し抜いた声明を発表するほどの「イケイケ」である。そしてその歪み、裏面も大きくドス黒い。

「民主主義国」と言いながら、実態はモディ政権の人民党一党独裁である。14億もの人口を抱え、隣国パキスタンや中国との軍事衝突もある。カーストをはじめ深刻な格差と、化学工場事故に代表されるような公害、ダム工事などに伴う強制移住もあるが、これら差別や環境破壊について、国民を徹底的に弾圧している現実がある。モディ政権の手法は「服従の政治」と言われるが、その実態は何の根回し、国民への説明もなく大々的に打ち上げた政策について有無を言わせず断行し、既成事実を積み上げていく恐怖政治である。映画ではモディが主導するヒンズー至上主義の危うい熱狂も描かれる。

ジャーナリズムが第4の権力としてその存在意義をあらしめるのは、この「服従の政治」を地方の一つひとつの事件、事態を丹念に暴くことにより、頂点たる政権の腐敗を撃つことだ。そしてその根底にはカーストと女性への差別を温存するインドという国そのものが内包する反民主主義の様相を少しずつ崩していこうとするメディアが本来持つべき信念がある。国民への説明もなく大々的に打ち上げて既成事実化していく手法は、自公の安倍政権や大阪での維新政治を彷彿させる。日本にもミーラらが活躍する「カバル・ラハリヤ」が必要だ。

女たちは気づいている……

“専門家”に任せてはおけないことに (『誇りと抵抗』アルンダティ・ロイ)

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官側の無策、差別追従も民間のデマも昔日のことではない  「福田村事件」

2023-09-17 | 映画

2023年は、関東大震災100年ということで「朝鮮人虐殺」に焦点を当てた様々な集会、イベントが開催された。市民レベルでは震災時の朝鮮人を含む虐殺・差別の歴史を忘れまいとする意思が示されたものと思う。しかし、公のレベルではどうか。朝鮮人虐殺の記録はないと言った松野博一官房長官や朝鮮人追悼慰霊祭への文章を拒否した小池百合子東京都知事の態度は許せないものだ。関東大震災における朝鮮人虐殺については公文書で確認されているし、否定言説などあり得ない。今年も朝鮮人虐殺慰霊祭の会場で虐殺そのものを否定し、日本人が「不逞鮮人に殺された」などと声高に叫ぶ右派集団の言説を後ろ押しするかのような官製ヘイトの様相さえ感じる(くだんの右派集団は、結局慰霊祭会場へは近づけなかった)。

「A」や「i 新聞記者」などドキュメンタリー作家として数々の映画を制作してきた森達也監督が満を辞しての挑んだのが劇映画「福田村事件」である。「福田村事件」は朝鮮人が虐殺されたのではない。しかし、殺した側は朝鮮人と思い凶行に及んでいる。朝鮮人なら殺して構わないと思っていたということだ。映画は、殺された香川県出身の行商人が被差別部落出身であること、自分たちは「(朝)鮮人ではない」などと重曹的な差別も露わにする。そのような優越意識に支えられて福田村に入った行商人一行は自分たちに敵意の刃が向くことなど想像だにしてなかったろう。そして、村人たちが凶暴な人殺しになるとは。

森達也監督は、本作を制作することになった動機を重ねて話している。それは「A」などの取材でオウム真理教の信徒に幾人も出会ったが、みな温厚で優しい人だったと。とても集団殺戮に加担するようには思えなかったと。しかし同時にそういう一人ひとりは穏やかでも集団になるとサリン事件を起こすことになるのだと。集団の怖さを描く実話として福田村事件を取り上げた。しかし、企画は通らず長くあたためていたそうだ。それが、フォークシンガーの中川五郎が「1923年 福田村の虐殺」を作詞(曲はアメリカ民謡が元となっている)し、歌ったことで、プロデューサーの荒井晴彦がぜひ映画にしたいと思い、制作が現実化したという。だが、中川がもともと森達也の『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』(2003 晶文社。2008年にちくま文庫版)を読み、作詞を思いたったからというのだから、偶然と人の思いの重なり合い・奇遇さを考えずにはいられない。 

関東大震災で「朝鮮人が井戸に毒を放り込んだ」「暴動」などとするデマの拡散に大きな役割を果たしたのが、時の山本權兵衛内閣の無策や東京都警察のデマをそのまま信用した対応であることが明らかになっている。現在の言葉でなら「官製ヘイト」ともいうべき対応を繰り返したのである。様相はもちろん違うが、松野官房長官や小池都知事の対応は、虐殺を認めない悪質なものであるし、当時は新聞がデマ拡散に大きな役割を果たしたが、現在ではネットで瞬時に拡散する。現に東日本大震災(2011)や熊本地震(2016)では、悪意のデマがSNSで拡散した。

官側の無策や誘導と、民間の偽情報拡散。そこに放り込まれた一般民衆は、根底にある朝鮮人(やその他マイノリティ)に対する差別感情と、被報復意識を基底に「一人ではないから」一気に暴走した。「虐殺のスイッチ」はそこかしこに存したのである。映画では、冷静さを説く村のインテリ層である村長や朝鮮半島帰りの元教師の非力さも描かれる。結局、合理的、論理的言説で村人の暴走を抑えようとした「インテリ層」「リベラル層」が集団主義というエモーションに敗北した姿だった。

 「福田村事件」では結局虐殺の首謀者らは逮捕、起訴されたが、大正天皇「崩御」の特赦で解放されている。故なく朝鮮人(と間違えて)虐殺したのに天皇の名の下に解かれる歴史の実相、いや、天皇即位に基づく「恩赦」の規定は現在も生きていることを忘れてはならない。人々に巣食う差別意識と天皇制国家は不可分な関係であることが明かなのだ。

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ホロコースト作品が私を離さない  アウシュヴィッツからの生還2作

2023-08-23 | 映画

「シモーヌ フランスに最も愛された政治家」は欧州議会議長に女性として初めて選出されたシモーヌ・ヴェイユの生涯を綴る物語だが、その大きく占める枢要部分はアウシュヴィッツなど強制収容所の体験談である。そして「アウシュヴィッツの生還者」は、主人公の戦後の人生に強制収容所での体験がフラッシュバックする描き方だ。

かくも映画ではホロコーストが幾度も描かれてきたし、たくさん観てきた。なぜ、幾度も描かれるのだろう。そして何度も観てしまうのだろう。人類史上最悪とも言うべき大量殺戮を可能にした経緯と、そこに至る差別や優生思想の発露など歴史の汚点を最大限追体験できるからだろうか。その戒めによって、もうあのような歴史を繰り返してはならないというヒューマニズムの発露なのだろうか。そう言う面ももちろんあるが、自分自身を振り返るともう少し別の意味もあるように思う。

1944年、16歳で捕えられたシモーヌは母、姉ミルーとともにアウシュヴィッツに送られる。しかし、ソ連の進軍でナチス・ドイツが敗退を重ねていた時期、別の収容所への死の行進。次々と斃れゆく中でも親子三人は生き流れえるが母はついに事切れる。解放後、男性社会を懸命に生きたシモーヌはやがて法務官として刑務所改革に取り組み、国会議員として中絶合法化を成立させる。そんなシモーヌがアウシュヴィッツを訪れ、その頃の経験を詳しく語り出したのは2004年。78歳。その時点ではまだ政界を引退していなかった。

一方、「アウシュヴィッツの生還者」では、ボクサーのハリー・ハフトの現実に強制収容所での体験が挟み込まれ、彼はその記憶に苛まされている。ポーランド系ユダヤ人のハフトは「生還者」として英雄視されるが、なぜ生還できたのか。それは彼がナチスの軍高官の余興で開かれた収容所でのボクシング・マッチに勝ち続けたからだった。敗れたユダヤ人はその場で殺された。そのような過去を明らかにしたのは収容所送りで生き別れた恋人レアに自分の無事を伝えたいからだった。しかし、名を売るために挑戦したとんでもなく格上の相手にコテンパンにされて、レアを探すのを諦め引退を決める。しかし、戦時トラウマは拭いきれなかった。

シモーヌに加害体験はないが、目の前で母を助けられなかったサバイバーズ・ギルトの思いはあるだろう。ましてや、ハフトは多くの同胞を死なせ、また彼を支えた妻にも打ち明けられなかった収容所での壮絶な体験は、解放後彼を苛むに十分だ。ボクシングしか教えることのないハフトは、肉体戦には向かなそうな息子にトレーニングを強要し、息子もまた父親と距離があり疎ましいようだ。けれど、レアと再会できたハフトはやっと息子アランに全てを打ち明ける。アランが書いた父親の体験談が映画となった。だから「アウシュヴィッツの生還者」は全くの創作ではない。ホロコーストは描ききれていない。いや、描くには個々の物語がありすぎるのだ。

現在、自身を顧みてもホロコーストのような生か死かといった究極の選択を迫られる状況にはもちろんなかった。けれど、個々の関係で他者への思慮を欠いた言動は、ときにその時の思惑以上に他者を蔑んだり、傷つけたりしたことがあるはずだ。だから、それを思い出すことで苦しくなる。ましてやホロコーストだ。

戦時のPTSDは、やっとアメリカのイラク戦争帰還兵で明らかになり、ベトナム戦争時のそれも後追いで明らかになりつつある。

人を傷つける、あるいは、傷つけてしまったという悔悟を大事にしたいと思う。

(「シモーヌ フランスに最も愛された政治家」は2022、フランス。「アウシュヴィッツの生還者」は、2021年、カナダ・アメリカ・ハンガリー作品)

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学芸員の矜持だけでは救えない文化政策の貧弱さ 「わたしたちの国立西洋美術館」

2023-08-17 | 映画

私がアジアの国へあまり行かなかったのは、たいてい海外旅行は美術館目当てで、それも西洋美術に触れるためであるからだ。だから、身辺事情の変化やコロナ禍、昨今の円安、原油高などで海外渡航が叶わなくなった現在、国立西洋美術館(西美=セイビ)は数少ない目標地となった。

その西美が2020年10月からル・コルビジェが構想した創建時の姿に近づける整備のために休館した。休館中の内部にカメラが入り、収蔵品の移動・整理、館長をはじめ学芸員(研究員)らのインタビューを交えた構成で、西美及び日本の美術館の歴史、役割、課題等に迫るのが本作である。監督は「春画と日本人」を撮った大墻敦(おおがきあつし)。大墻は長らくNHKで美術をはじめ様々なドキュメンタリーを制作してきた。

描かれるのは、学芸員らの美(術作品)に対する愛と、それをどう美術館に集う人に提供できるかと試行錯誤する姿である。しかし、日本最大の西洋美術の殿堂にして、職員はたった20人という。ただ、修復部門を含めて職員全てが学芸員とも考えられないし、任期採用も多いだろう。そして、美術館の仕事は展示や収集だけではない。企画はもちろん、海外美術館やギャラリーなどと対外折衝、広報、図録の制作やグッズの販売など多岐にわたる。在仏美術ジャーナリストはフランスの美術館はそれらを網羅的に備える態勢になってきたと話す。だが、西美は「国立」ながら独立行政法人。自前の予算は悲しいほど少ない。そして、日本で開催される美術展が新聞社やテレビ局の大手メディアの予算で成り立ってきた歴史も明らかにされる。

日本における西洋美術(画)の紹介、導入の歴史は幕末開国から明治初年の揺籃期を経て、黒田清輝を嚆矢とする海外留学組の存在、大正デモクラシー前後の前衛への傾倒、日中・太平洋戦争期の国策に沿った活動だけが許された時代を経験し、戦後の表現の自由の時代とそれを体現した西洋美術への渇望の時代へと連なる。そして同時にフェロノサ・岡倉天心に始まる日本美術の優位性からの攻撃、日本美術か西洋美術かの濁流に揉まれてもきた。その中にあって、松方幸次郎が日本にも本格的な西洋美術館をとの構想のもと、莫大な収集を始めるが、金融恐慌で断念。戦後、散逸したコレクションを日仏友好の証しとして日本へ返還(ただし、真にフランスを代表する作品は返還されなかった)され、その展示場所して建築されたのが西美であった。そして西美のあと、特に高度経済成長期に全国に美術館の建築ラッシュが起こる。それがいずれも今改装期に入っている。どれだけ西洋美術作品に特化した美術館ができても、西美の「王座」の位置は揺るがなかったはずだ。

上述したように西美の予算は小さく、自前の企画で収益を上げるのは困難極まりない。これはそもそものこの国の文化予算の貧弱さと、西美の独法化、いや、公立美術館の多くは指定管理者制度のもと採算重視を迫られている。そこでは新自由主義的な発想、「選択と集中」がそもそも儲けを前提としない学術や文化の領域まで侵食していることは明らかだ。

本作の焦点ではないが、公立の美術館(展)の抱える課題は表現の自由をめぐる世界でも大きくのしかかる。2019年の「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展」を始め、会田誠作品の撤去要請(2015 東京都現代美術館)、最近でも飯山由貴の映像作品の上映禁止(2021 東京都人権プラザ)もあった。

西美の一人ひとりの職員の矜持に敬意を表するとともに、図書館の自由ならぬ「美術館の自由」もぜひ守り抜いてもらいたいと思う。

(「わたしたちの国立西洋美術館 奇跡のコレクションの舞台裏」は7月15日以降公開中)

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「ボク」が「ボク」でいられることを感じられたあの頃 Concert for GEORGE

2023-08-12 | 映画

「ハーモニカがあまりにもできないので小学校を卒業できないのではないか」と恐れていた。歌うのも、楽器も全くダメ。このブログで音楽作品を扱うのは珍しい。しかし、大袈裟にいうとビートルズ少年だった自分のあの頃の存在価値、理由を思いおこさせるナンバーだったのだ。

現在、小・中・高の不登校生徒の多さが問題となっている。特に義務教育の小中にスポットが当たっているようだ。高校は嫌ならやめればいいからだ。陰湿ないじめに遭っていたわけではない自分は不登校にもならず、退学も考えたこともなかった。だが、力のある同級生のいじめの標的にならないよう「パシリ」の日々。学校にいたボクはボクではなかった。家でビートルズのカセットに耳を委ねている時だけボクがいた。そんな気がした。

音楽のことはまるで分からないのに、20世紀最大のミュージシャンは?と問われれば「ビートルズ」と賛同してくれる人も多いのではないか。レーベルを出してからのグループとしての彼らの実働はたった10年。しかし、その影響力は絶大で、「ボク」のように活動を直接知らない世代にまで夢中にさせた。

ビートルズというと、その圧倒的な音楽的才能からジョンとポールの合作作品が多く、年下のジョージは少ない。しかし、インドに傾倒し、そのエッセンスを取り込んだ名盤サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドでインドテイストを全開。最も好きなアルバムだ。そのジョージがおそらくグループ解散後、ソロ活動をなす中で自己の道を定めたのだろう。ビートルズ時代から親交を結んでいたエリック・クラプトンがジョージの没後1年で開催したコンサートの記録映像が本作である。

ビートルズ時代は、ジョンとポールの作品ばかりアルバムに採用され、自作が取り上げられず不満だったともされるジョージだが、クラプトンはじめ外部ミュージシャンとも積極的に関わった。だから、クラプトンはこのコンサートを発案した。ビートルズ全体の中では少ないジョージの作品、サムシングやヒア・カムズ・ザ・サンなど心地よいメロディが流れる。そう、あの時も同じだったのだ。

学校は勉強しに行くところ。部活動にも参加していなかった自分は勉強以外の部分で他者と関わりたくなかった。しかし、理数系が苦手な「ボク」が選んだコースは大学進学を考えていないクラス。ヤンキーぽい、遊んでいる生徒が多いクラスだった。休憩時間には化粧を直す女子生徒と、「おぼこい」「ボク」に分からない話で盛り上がる男子生徒。イジメの対象にならないためには力のある(と思われている)学年を代表する(と思われている)同級生に媚びへつらうこと。御用聞よろしく、「○○君。ボクがやるよ」と。

中学時代、粗暴な同級生に殴られたりしたこともあり、成績により彼らとは同じ高校に行くまいと得た地がやっぱり知力ではない力が支配する世界とは。ただ、程度の差はあれ、神童でもない限り、「ボク」のような凡庸な成績でちょっと上に行き、現状から逃れようと考えた者も多かったのではないだろうか。

幸い大学に進学し、彼らと関係は切れ、「パシリ」生活は終わった。だが、イジメや陰湿な攻撃は職場でももちろんあるし、その後「ボク」から「私」となった自分も経験した。

ジョージの一番傑作、代表作である「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」がなかなか演奏されないなと思っていたら、ラストにクラプトンが「泣きのギター」を奏で、歌い出した。もう、そこでは涙でぐちゃぐちゃだ。学校で仮面をかぶっていた「ボク」ではなく、ビートルズに癒された「ボク」を思い出したからだろう。

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加害者か被害者か、視点・視線への想像力 「キャロル オブ・ザ・ベル 家族の絆を奏でる詩(うた)」

2023-07-28 | 映画

映画は、2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻以前に制作されたという。だが、プーチン大統領がウクライナの子どもたちを「戦利品」として強制的に移送、移住させた罪で国際刑事裁判所(ICC)から逮捕状が出ている現在、戦争に巻き込まれた子どもの境遇という意味で既視感を覚えた。

戦争が起こった当時、子どもにその罪はない。しかし、罪があるとされた大人の子孫はどうか。それを深く考えさせる本作だ。そして罪がない子どもと意識して、子ども守ろうとした大人はどう遇されるのか。被害者だと思っていたら、立場が変われば突然加害者の立場に置かれる。戦時下、十分苦しい生活、思いをしてきたのに、戦争が終わったら、今度は戦勝側から断罪され、流刑される。子どもたちとは引き離される。

ポーランド領土だったウクライナのスタニスァヴフ。1939年、裕福なユダヤ人が持つ建物にウクライナ人とポーランド人の一家が店子として入居する。やがてポーランド人の夫婦は侵攻してきたソ連に、ユダヤ人夫婦はナチス・ドイツにより連れ去られる。残された子どもたちを必死に守ろうとするウクライナ人のソフィア。音楽教師で歌の先生だ。ソフィアに歌を学んだ子どもらは美しい歌声を響かせるが、やがて外出は一切できなくなり、夫も失う。ユダヤ人が住んでいた1階に入居してきたドイツ人将校一家も、子どもを残しソ連兵に拉致される。ソフィアは、自身の子に加えて、ユダヤ人、ポーランド人そしてドイツ人の子どもまで匿おうとするが。

戦争が始まるまでは、ウクライナ人はポーランド人を快く思ってはいなかったし、ソ連が侵攻してきた際には、すでにナチスの占領国であったポーランド人を迫害。そして、ナチス・ドイツの侵攻により、ユダヤ人は絶滅収容へ送られ、ソ連による「解放」後は、ドイツ人は収監対象に。その時代、時代によりソフィアに投げかかられる言葉。「なぜ、ポーランドの味方を?」「ソ連側の人間か?」「戦犯ナチスの子どもをなぜ助ける?」と。

子どもに罪はないし、子どもであること以上に違いはない。それが権力を握った側には通じない。国際人道法の概念も確立していなかった時代。悪しき国家を支えた大人も悪で、当然その子孫も排除すべき悪なのだ。もちろん、自由や平和を求めて、あるいは時の圧政に声をあげ、戦いきれなかった大人 ―ソフィアを含む― たちに、全く罪がないわけではない。しかし、戦争が生み出す憎悪は連鎖し、決して消えることのない民族や民衆、市井の人々の記憶としてDNA化されるものだとも思える。

ドイツや戦後ソ連に支配され続けたポーランドから見れば、いつも「やられっぱなし」という感覚だろう。しかしそのポーランドもウクライナにとっては侵略者だった。そのウクライナもロシア系住民から見れば、脅威だった(だから、プーチンは軍事侵攻を正当化した)。かように国と国、民族と民族の歴史的転生は被害者になったり、加害者になったりと立場を変える。しかし、少なくとも近代国家成立以後の紛争では、あからさまな侵略、圧政、殺戮の被害者側はその記憶を忘却できるはずはない。

翻って、日本の右派勢力などが韓国や中国にいつまで戦時中の日本による加害をことあげするのかとの立場はなんともおめでたい発想と思える。忘れてはならないのは被害者ではなく、加害者の方なのだ。国策による被害者側が和解を申し出ない限り、加害者側に忘却の特権は認められないと記すべきだろう。ソフィアの矜持「巻き込まれた子どもに罪はない」の上にさらなる想像力を問われる。(2021年 ウクライナ・ポーランド作品)

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法廷で描かれる葛藤の正体とは  「サントメール ある被告」

2023-07-23 | 映画

日本に裁判員制度が導入されて14年になる。辞退率の高さ、裁判員に対する秘密保持の広さなど課題は多々あるが、定着してきたとみて間違いないだろう。

フランスは日本が裁判員制度を導入する際に参考とした参審制度の国である。参審制とは、アメリカやイギリスで採用されている陪審員制度と違い、裁判官と市民が協働して審理に関わり、判断する。日本独自の形態としての裁判員制度は、現在でも市民が法曹のプロである裁判官の先導に追従してしまうのではとの指摘もあるが、これまでのところ、裁判官による強引な訴訟指揮との声は少なそうだ。もともと日本の刑事裁判は当事者主義が採用されていて、裁判所主導で証拠調べなど審理が進ことは基本的に想定されていない。その感覚からすると、本作で描かれるフランス裁判所の審理風景は驚きだ。

生後15ヶ月の娘を海岸に置き去りにして死なせたとされるセネガル出身の母親ロランスを裁く法廷。動機が不明。裁判長は「なぜ、娘を殺したのか」「分かりません。裁判でそれを知りたい」。被告人であるロランスに矢継ぎ早に質問を繰り返し、その生い立ちまで根掘り葉掘り。

しかし、被告人質問の前に登場する証人らこそロランスが精神的に追い込まれた(のではないか)とされる要因を垣間見せる。ロランスと親子ほど歳の違う、娘の父と目される男性はロランスの妊娠、出産に気づかなったと当事者性のかけらもない。高学歴でフランス語を完璧に話すロランスだが、アフリカ人が「ウィトゲンシュタインを学ぶのは不可解だ」と証言する教授。女性、エスニシティに対する差別意識が顕になる。そして、ロランスが自国のウォロフ語ではなく、母親から「完璧な」フランス語を話すことにこだわり、育てられたとの桎梏も明らかになる。ロランスは呪術の仕業と持ち出し、検察官はそんな証拠はないとますます混迷を深めるが。

実際にあった事件をもとに脚本は書かれ、法廷でのやり取りは調書どおりに再現したとされる本作。実事件と違うのは、それらの様子が、被告人と同じセネガル出身で学者にて作家、母親との葛藤を抱え、自身妊娠中であるラマの視点から描かれることだ。ロランスが自分を「合理主義者だ」と証言しながら、動機も経緯も不合理極まりない事件の真相が追及されるのではなく、ラマが自分こととして事件を受け止めるとき、物語は見る者の「腑に落ちる」。長らくフランスの植民地であったセネガル出身者が、フランスでどのようなアイデンティティを持ちうるのか、どのように白人社会から見られているのか。人種、学歴、女性、複層的な課題こそがロランスの動機であり、「実存」であったのかもしれない。弁護人が母親と子どもの細胞、遺伝子的な結びつきを「キメラ」の話を通して長い最終弁論を終えた時、それまで固く、冷厳としたロランスが泣き崩れる。

興味深いのは、裁判官3人も書記官と思しき人も、2人の弁護人も皆女性であることだ。フランスの司法官(裁判官と検察官)の女性比率は7割近いという。日本の2〜2.5割と大きく異なる。また個人的には参審員の役割ももっと知りたかった。

サントメールはフランス北部の小さな町。聖なるオメールが原題だが、オメールそのものがもともと司教区の地名であるらしく(そもそも人名)、その聖性は、差別や偏見、何らかの固定した意識に凝り固まった者には感じられないのかもしれない。(「サントメール ある被告」は、アフリカにルーツを持つアリス・ディオップ監督作品 2022)

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拳をペンに変えて学んでいく  「ぼくたちの哲学教室」

2023-07-21 | 映画

もうずいぶん前に亡くなった私の父の口癖、子どもだった私に対する評は、いつも「理屈が多すぎる」だった。何か口答えしようものなら「理屈を言うな!」。彼の言う「理屈」とは何なのか? なぜ「理屈」を言ってはいけないのか? 多ければいけないのか?一切の説明はもちろんない。私がきちんと反論できるようになった時は、彼はもう衰えていた。

父のような戦前生まれ、それも大正時代に生まれた男性の多くはそのような思考傾向が多いのかもしれない。何せ、時代は自分でものを考えることを許さない天皇制軍国主義の下、一兵卒として従軍した父も「理屈」抜きに先輩兵から殴られたこともあったろう。「理屈」抜きに、大陸で中国人を殺したり、殺す場面に遭遇したり、同僚が斃れた姿も目にしたかもしれない。「理屈」の通じない世界をくぐり抜けてきたと言える。そこは紛れもなく言葉ではなく暴力が支配する世界であった。

従兄弟同士でよく喧嘩するディランとコナーを前に、ケヴィン校長がなぜ暴力を振るったのか聞くと、ディランが「だって、パパがいつも言ってる。“相手がかかってきたら必ず殴り返せ”。」ここでケヴィン校長がディラン役(D)、ディランが父親役(F)になり、即行のサイコドラマを演じる。D「親父は殴り返した時、どんな気持ちだった?」F「自慢と、少し心残り」D「どんな心残り?」F「昔一度誤って違う相手を殴ってしまった」D「どんな気がした?」F「いい気はしない」D「どんな気持ちだった?」F「申し訳ない…悲しい気持ちかな」D「そうなんだ、俺も殴った時、相手と同じ気分になった。それが嫌なんだ。昔は厳しい環境だったから殴ったんだろうけれど、俺は誰も殴りたくない。先生や仲間、親父と話して解決したい。だから、親父も俺に“殴れ”と言わないでほしい」F「そうか、わかった」D「俺のこと嫌いになる?」F「いいや、まさかそんな」D「親父、大好きだよ」

(パンフレット訳文から抜粋、意訳)

この映画の焦眉で、かつとても素敵なシーンだ。

舞台は北アイルランドのベルファスト。それもプロテスタント系住民とカトリック系住民が激しく争ったアードイン地区。そこにホーリークロス男子小学校はある。れっきとしたパブリックスクールだ。しかしこの学校が他校と大きく違うのはケヴィン校長主導で「哲学」の授業と日々の実践があること。紛争が一応「停戦」に落ち着いたベルファスト合意が1998年。しかしその後もホーリークロス女子小学校事件(通学するカトリック系の子どもたちをプロテスタント系住民が激しく罵倒、通学妨害。2001年)など紛争が完全に収まったわけではない。そして、映画に出てくる子どもらはそれより後に生まれた子らで、直接は紛争を経験していない。しかし親の世代は暴力が支配し、敵対する相手を激しく憎悪した時代の経験者なのだ。だからディランの父親は暴力には暴力でという発想にもなる。

ケヴィン校長も若い頃は「強い男」であるべきだと、自らの拳でたたかってきた。だが、拳に頼った自身の過去を恥じ、暴力のない社会をと哲学を学び、やがて教員、校長となる。彼の目指すべき道は明確だ。校内でおこるあらゆる喧嘩や口論は、ケヴィンのオフィス外の「思索の壁」に書き込むこと。書くことで自分を客観視できる、冷静になれる。拳をペンに変えることで暴力は防げると。

哲学というと、昔日の偉人の格言、金言とされる短い語彙にゲンナリして、その言葉が発された裏に深く、長い思索があることに思いが至らない。ケヴィンもたまに引用するが、そんな格言を知ることが哲学でないことを実践する。不満や怒りは、そのメカニズムを知ることで暴力へと発展する悪しきサイクルを断ち切ることができる。それが言葉を何よりも大事にした哲学の授業なのだ。

理屈を嫌った私の父は、不合理、不条理を内面化していた世代とも言える。それらに抗い続ける言葉を現在の私は欲している。王制の国、イギリス。ベルファストの紛争では、ロイヤリストがリパブリカンを激しく攻撃した歴史もある。そして、ブレグジットによって再び、北アイルランドはグレートブリテンから孤立する立場に晒された。独立派の動きとともに緊張が続く。哲学によって暴力が回避されることを祈り続ける。

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