“セルシウス”とは、温度の単位で、いわゆる摂氏のことです。
(ちなみに、こちらの方がよく聞くかもしれませんが、“ファーレンハイト”は華氏です。)
僕たち日本人は、おもにこの摂氏で温度の話をしますね。
水の融点は0度、沸点は100度。人の体温は大体36度程度で、気温が38度とにもなると、猛烈に暑くて。
昨日、これはたまたまなのですが、DVDで「サンシャイン2057」という映画を観ました。
ネタバレしない程度に簡単にお話を言いますと、時は2057年・・・太陽が滅亡の危機に瀕してしまい、温度が下がっていってしまっている未来。
人類の持つ全ての核を全部宇宙船に積んで、太陽の内部で爆発させ、また太陽を復活させようというミッションに関わる人たちの人間模様を描いたSF映画です。
僕の大好きなダニー・ボイル監督の映画らしく、映像がとても現代的で、綺麗で・・・と、映画としては十分に楽しめるものでした。
ただ、映画ですから、思いもかけない事件が起こります(以下、行きがかり上、ちょっとだけネタバレっぽくなります。すみません)。
太陽の表面ギリギリにまで迫る宇宙船。
そこで、どうしても宇宙船の外に出なければならない事態が発生するんですね。
太陽の表面温度は、5500度と言われています。映画の中で、温度が下がってしまってきた太陽の表面温度がどのくらいかはわかりませんが、 それでも、4000度とかは十分にあるでしょう。まさに、燃える火球の映像は、それはとても迫力のあるものでした。 そして、その熱にもろさらされて、一瞬で燃え尽きる人間の肉体。その恐怖。
太陽の光は、約8分かかって、地球に到達します。
太陽までの距離は、149,597,870 km。
地球と月の距離の、約400倍あります。
それでも、太陽の5500度という熱は、地球をこんなにも暖めるのに十分なばかりか、 猛暑や、異常気象を引き起こすくらい、強烈なエネルギーを持ったものなのです。
昭和20年8月6日。65年前の、今から約一週間後、広島に原爆が落とされました。
原爆は、地上600mの距離で、爆発しました。
そして、その熱は、平均で4000度。高いところでは、なんと6000度あったのだ、
と、広島でピースガイドの方が教えてくれました。
わずか地上600mのところに、あの強烈な熱を持つ太陽が現れたら。
多くの人の身体から、水分は一瞬で全て蒸発し、炭化したそうです。
毎日、とっても暑いですが、それでも、36度とか、38度とかですよね。
4000度とか、6000度とか、そんな熱を浴びせられた人々は、どんな気持ち、
いや、気持ちを持つ余裕があったとも思えません。わけも分らずに、焼かれた、のですよね。
先日、旅から帰ってきて、昨年、録画しておいた「少女たちの日記帳」を見返しました(以前、こちらの記事でお伝えしました)。
やはり、怒りと悔しさで、涙が止まりませんでした。
再放送があると良いのですが・・・、と思って情報を探しておりましたら、動画サイトでご覧頂けるところがありました(いつまでご覧いただけるかは分りませんので、お早めに・・・。)
こちら、よろしかったら、是非です(43分ほどあります。また、読み込むのに少々時間がかかります)。
写真は、広島平和記念公園内、「原爆の子の像」下にて。
では。
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明日は早起きのため今日は観られませんが、近々拝見させていただきます。
サイトのご紹介、ありがとうございました。
では。
“原爆”という言葉を見聞きしない日はありません。
そして先日は、甥っ子と行ったファーストフードのお店で、
平和公園に届ける折り鶴にご協力を・・・とあったので、折ってきました。
思わぬところで、折り鶴をお届けする機会に出会えて、
参加することができて嬉しく思いました。
リンク、ありがとうございました。
観ることができず残念に思っていた番組なので、拝見します。
遠い太陽の熱でも、夏は凄く暑くて日焼けする。
それなのに、それが近くまで来たなら・・・
想像がつかず、言葉に詰まります。
広島のあの日も、きっと暑くてセミの鳴き声も凄くて
それが、一瞬にして街も人も焼かれセミの鳴き声も止まり
夏なのか?昼なのか?何処なのか?分からなくなるほど
ただ、熱くて痛くて苦しくて・・・・・
今、セミの鳴き声を聞きながら想いました。
先日、原爆に関する写真や資料をPCにて拝見しました。
ほかにも何かないかと探していたところです。
読みたいと思った本(原爆を体験された方が書いた本(故人))と一緒に、ケンさんに教えていただいたサイトを観たいと思います。
教えてくださりありがとうございました。
でも、今日の文章はずっと忘れないと思います。
音楽を楽しめるような平和をずっと守っていくこと、
これが戦争で亡くなった方たちへの私たちの義務だと
思います。
考えさせていただいてありがとうございました。
この番組も、きちんと、観ます。
切ない想いで、胸がいっぱいです。
毎年、この時期になると、悲しさと怒りがこみあがってきます。
当時、原爆を経験され、今生きてこられている方々
あの原爆により、夢や希望を一瞬で奪われてしまった方々の事。
これは私たちが生きている間に伝えていかなければいけない話。
物語でなく、実話なんだ。
たくさんの子ども達に伝えていきたい。
出来れば、この時期だけの放送じゃ~なく、月に一度…放送して頂きたい。
原爆を投下されていない地域の方々にもっと伝えて欲しいと。
私自身もケンちゃんのこのブログのおかげで知らなかった原爆の事、知る事が出来たんですもの。
二度とこんな事、してほしくないです。
そして…平和な世界を、平和な未来を…。
ケンちゃん、ありがとうございました_(._.)_
それを見る度、怒りや悔しさ、もどかしさが沸き上がってきます。
想像しただけで…言葉になりません。
戦争を経験された方が、時間が経つにつれて少なくなっていく中で、少しでも伝えていかなくてはいけないと、本当に思います。
“戦争”というのは一つの事件ではなく、亡くなられた方や、現在も苦しまれている方、一人ひとりの、一つずつの、“事件”なんだということを。
そして、二度とあってはならないということを。
番組、リアルタイムで見ていましたが、もう一度見たいと思います。
サイトのご紹介、ありがとうございます。
太陽がなければ、今の地球も何もなかったわけですから。
いつもは明るいイメージの太陽。
でも、その太陽がもしすぐそこに現れたら…。
人の身体が一瞬にして炭化してしまうって…。
原爆投下後の写真を観ると、苦しくってたまらなくなります。炭化してしまった人、体中が焼け焦げた人、身体も残らず影だけになってしまった人。
小さな頃はそんなもの無いと思っていたけれど、写真を観て思いました、「本物の地獄だ…」と。
昨年観ることが出来なかった「少女たちの日記帳」。
動画サイトを教えていただき、ありがとうございます。昨年は観れずに後悔していたので、早速観ようと思います。
年々減っていく戦争・原爆関連の番組。今年は昨年より一本でもいいから多く放送してほしいです。
そして、一人でも多くの人の考えるきっかけ、知るきっかけになってほしいな、と。
では。
広島公演の朝、コメントさせていただいた者です。
岡山ではおそらく、ケンさんに一番近い場所で観てました
もう、すごいの一言、かっこ良かったです
普段から涙もろい私、涙と汗が滝のように
緑ちゃん持ってくればよかったとちょっと後悔
昨日の日記を読んで…
私の祖母は爆心地から2km離れたところで被爆しましたが、神社の石垣のおかげで0歳児の伯父と共に命を救われ、本当の祖父は被爆から10年後、原爆症で亡くなりました。
子供3人抱えて、生き抜くことだけ考えてた、
祖母は爆撃で片足を失った義祖父と再婚し84歳まで生きました。
0歳で被爆した叔父は後遺症と断定されてはいませんが半身不随となって20年近くなります。
血のつながりはなかったけれどやさしいおじぃちゃんと、何事にも動じない、強いばぁちゃんに育ててもらい、私は大きくなりました。
「ピカ(原爆)より怖いもんなんか、この世にないけん。」というのが口癖でホントに強い人でした。
生き延びた人たちの悲惨な現実も、少しでも知ってもらいたくてあえて書かせて頂きました。
今でこそ原爆手帳を持っている人には福祉が手厚くありますが、かつて祖母は50代になるまで被爆したことをあまり口に出せませんでした。
差別がひどかったのです。
就職も、結婚もできない、疎開した鹿児島でも居づらく、何年かしてすぐ広島へ帰ってきたそうです。
原爆の光を浴びたことを隠し続けて亡くなった方も大勢いるはずです。
戦争は未だ爪痕を残しているというのに、平和になった今でもテレビでは毎日のように虐待死や餓死する子供のニュースが流れ、このままでいいのかという気になります。。
私も3歳の子供がいますが、今の世の中で子供がどう育つのか、どう育てていいか、不安があります。
家族そろって、おいしいご飯が食べられる、それだけで幸せなはずなのに、どうして、わが子に手をかける親がこんなにたくさんいるのでしょうか。。。
たくさんの命を犠牲にして取り戻せた平和とは、こういうことじゃなかったのではと思ったりします。。
子供たちの、明日をつくる私たちはどうすべきなのか。ケンさんの日記を読んで昨日からずっと考えてました。
あの日の日記にあったように、
今、生きている、生かされているんですね。
精一杯、次の世代に伝えていかなくちゃって思いました。ケンさんありがとう
少し、忘れかけてました
明日からまた、ツアー始まりますね
いっぱい食べて(笑)バシバシ盛り上がって下さいね
・・・。
本当に、わけもわからず、
何を思う余裕もなく、
突然、焼かれてしまった・・・のですよね。
やっぱり、どうしても、
怒りと悔しさと悲しさでいっぱいになります。
戦争は、原爆は、もう二度と、絶対に・・・。
これは、本当に、ちゃんと伝えていかなければ、です。
どうしても行きたいところがあるので、
今年も、広島と長崎へ飛ぶ予定です。
お会いしたい方もいるので、ね。
昨年放送された「少女たちの日記帳」。
時々、夢にみるほど、自分の中に残っている番組です。
ぜひ再放送を・・・と、知人を通してお願いしていますが、
・・・どうなるかなぁ。してもらえるといいな。
動画サイト、ご紹介いただきありがとうございました。
日本のことを語ってるものではありませんでしたが
「この国には戦争の中で生まれ、育って、
戦争で死んでいく人がたくさんいる」という言葉に
言いようのない気持ちがわいてきました。
日本がしていた戦争は終わりを迎えたから
あたしたちは“戦後”という時代を生きることができてます。
良かった悪かったでは表しきれないけど
終わったから、時間がたったからできることが
もっともっとある気がします。
傷つけたくなくて充分に気を使っても
誰かの心を傷つけずに生きることは難しい。
けど、身体はなるべく傷つけずに生きられると思うんです。
こんなこと、絵空事なんでしょうか…