私がこの項を書くために、よく大映社員名簿を見ていることは以前にもお知らせしました
が、その社員名簿は昭和45年度(1970)のもので、大映崩壊は昭和46年(1971)ですから、
最後の社員名簿ということになります。この中には契約俳優の名前も列挙されており、目
を通して行くと遠藤辰雄が目に飛び込んできました。ということで今回は遠藤辰雄さんの
登場です。
彼は昭和48年(1973)以後に遠藤太津朗を芸名にしましたが、それまでは本名の遠藤辰
雄で出演していました。彼については映画より後年に大活躍したテレビの方があまりにも
有名ですが、テレビにシフトするまでは各社の映画に出演していた人です。
苦労人で努力家の遠藤さんも俳優業は中々芽が出ず、バイトで運転手や沖仲仕などの肉
体労働をやって生活費を稼いだ話は業界では誰もが知っている有名な話。大映では「続・
新悪名」「女系家族」「新・座頭市物語」「喧嘩犬」「座頭市あばれ凧」「大魔神」「眠狂四郎無
頼剣」「ひとり狼」などに出演していますが、極悪非道の悪役から三枚目までと演技の幅が
とても広く、重宝な俳優さんで、もし仮に大映が存続したら更に話題作を残したであろうと
残念でたまりません。
テレビでの活躍は今さら述べるまでもありませんが、平成24年(2012)に心筋梗塞のため
84歳で帰らぬ人となりました。生きていたら今年で88歳です。
お立寄り有難うございます。どうかこれを機に宜しくお付き合い下さい。
遠藤太津朗さんは長い経験と努力で、結果は映画もテレビも席捲しましたね。
素晴らしい俳優さんだと私も思っています。
なかなか芽が出ないのは一番偉いですし苦労を重ねて頑張る方は尊敬されると思います。私はこう言う方みたいにやる方が返って良いかも知れないですけどね。
なかなか芽が出ないのは一番偉いですし苦労を重ねて頑張る方は尊敬されると思います。私はこう言う方みたいにやる方が返って良いかも知れないですけどね。
大阪ですか、お疲れさまです。
私は大映後の玩具時代に、関西の責任者で行けと言われて、外国に行くような気がして
会社を辞めようと思ったことがあります。
無理に納得させられて三年間住んだ大阪ですが、また転勤を言われた際は離れがたい気が
しました。大阪は不思議な街です。
おはようございます 今、大阪に来ていますが新潟に比べてもの凄く暑いです(^。+;
遠藤さん、本当にコミカルで憎めない悪役をやらせたらぴったりでしたね。
舞台版の「暴れん坊将軍」では、テレビ版で船越英二さんが演じられた御側御用取次役(じい)」と言う珍しい善い役でしたです。
そう言えば先日、三ノ輪に立ち寄ったんですけど「銭型平次」での遠藤さんが演じられた「三ノ輪の万七親分」はこの辺りの人だったのかと思い返しておりました。
↑のタム親父さんの項にも書きましたが、日本怪優の一人だと私は思っています。
惜しい人は早死にで、残念至極ですね。
上田吉二郎という怪優がいましたが、彼に次ぐくらい面白い俳優さんだったと
思っています。もう少し長生きしてこの一本を残してもらいたかったです。
博多どんたくは初日に雨が降り、カメラ片手に張り切って私は出鼻をくじかれ
ました。
二日目はどうしても出かける気にならず、家内と近郊ドライヴに出かけた始末です。
度々拝見していました。
役柄がはっきりと伝わる存在感には
どきどきしました(o^-^)
その中でも、どこかユーモラスな
印象がありました。
実際の遠藤さんの笑顔を拝見し
本当に納得しました(´ー`)
演劇の楽しさを伝えてくださった
素晴らしい俳優さんでした。
どんたくはいかがでしたでしょうか。毎年たいそうな盛り上がりだそうですが、今年はどんな感じだったのか、いささか気になります。
遠藤さんと言えば、私はやはり「大魔神」の、藤巻さんを拷問し、武人像を壊そうとする、憎々しい犬神軍十郎の役が真っ先に思い浮かびます。こわもての悪役から、後年「必殺」シリーズで見せたコミカルな演技まで、オールラウンドな脇役の方でした。珍しく東宝作品に出演した「蟻地獄作戦」の八路軍の将軍役も、1シーンの出演でしたが印象的でした。
スイカのスチールの上のスチールは、富田仲治郎さんのようにも見えますが、でも遠藤さんですよね?