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中島けんです。新しい映画や舞台の感想を中心に、大映の思い出、海外旅行・地元の話題などを写真付きで書かせていただきます。

永田雅一氏のこと、その13 (最終回)

2011年07月30日 | 日記

     
         ↑左は、永田社長が南先住に作った今は無き東京スタジアム。
         ↑右は、永田社長が静かに眠る都内のお墓です。
   
     六社協定に関連する田宮二郎のことだって私は合点が行かないのです。
     田宮夫婦とは個人的にも仲良くしていて、彼の自宅で食事や麻雀したりで
     あったので彼の気持ちもよく判るのです。彼が出演する作品で、ポスター
     の序列で撮影所長ともめました。
     俳優にとっては序列は大事なことだし、撮影所長は新任で自分の権威を落
     としたくない・・・の争いでした。
     そこで永田社長が中に入って手打ちにすればあのような大事に至らなかった
     と思います。
     大映を退社し六社協定の壁に苦しみ、テレビに時々出たり、キャバレー回り
     などしていた田宮と、私は渚まゆみと一緒に彼の言い分をを聞かされたこと
     もありました・・・。

     とにかく永田社長の思惑と違って、この協定はどんどん一人歩きをして行き
     ました。
     大映が崩壊した原因は多々ありますが、私はこの五社協定こそが自らの首
     をしめ、大映崩壊のはじまりの一歩と思っています。

     大映崩壊は多くの原因が重なった結果です。一時株主に対して七割配当を
     した時期があります。
     そんな時期に財務の強化が全くなされなかったこと、社長の周辺からそれま
     で社長を支えてきた有力な人が離脱したり亡くなったこと、フジ・テレビを
     創立させた有力メンバーの一社でありながら、それを生かすことが出来なか
     ったし、テレビ全体への対応が失敗したこと、政界に必要以上に深入りした
     こと、重要な興行面で明るい人が不在だったこと・・・、などなどで、巷間伝え
     られる中田康子のことなど小さなことです。

     最初はこの崩壊原因についても私なりに詳しく書くつもりだったのですが、ど
     うしてもこれから先は書きそびれます。
     少し整理をした後で改めてちゃんと書きますのでお許しください。

     去年だったか「その木戸を通って」を見てたら脚本担当が大映宣伝部仲間の
     中村努氏でした。池広さんもまだ頑張ってるし、若尾ちゃんも、藤村志保さん
     も、松坂も、みんな頑張っています。
     私ももうちょっと頑張るつもりです。

     大映の宣伝部にいたお陰で、色んな事を学びましたし、支社の宣伝課長をや
     ったお陰で身につけたことも多かったです。
     普通の会社ですと支社での仕事は支社長の管轄で行なうのでしょうが、大映
     は違いました。
     私たちは本社の直轄部門として、宣伝費(全国宣伝費の九州配分は当時12%
     でした)の使途も私の裁量ですし、行動も支社の管轄から離れていました。
     しかも10人の部下を預けられて業務遂行するのですから、大変でしたがそ
     こで責任と考えること決断することを学ばせてもらったことは、大映を離れて
     もどれだけ役に立ったか、計り知れません。大映サマサマです。

     永田雅一氏のことはこれでひとまず終わりますが、暫らく間を置いてこの続
     きと、仲良くしてもらった俳優さんやスタッフのこと書かせていただくつも
     りです。
     取りあえず長いことお付き合いいただいたことにお礼申し上げます。
 
      最後はおふざけで済みませんが、最近の私と親友の上原明氏(撮影監督)です。
      たまにはこうして気分転換を計っています。
      
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