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中島けんです。新しい映画や舞台の感想を中心に、大映の思い出、海外旅行・地元の話題などを写真付きで書かせていただきます。

大映宣伝部・番外編の番外 (41) 南美川洋子さん、梓 英子さん

2014年12月08日 | 日記

     
     ↑「千羽鶴」(原作・川端康成、監督・増村保造)左から南美川・若尾・京・梓

              

     昨晩、久しぶりで昭和45年度の大映社員名簿を見ました。この名簿は大映で
     最後となった社員名簿で、この翌年に大映は倒産しています。
     契約俳優欄には京さんをはじめ若尾ちゃんや勝ちゃんの名前もあり、いつか
     折を見てこの名簿に載っている、大映で最後まで戦った戦友?の名前をご紹
     介したいと思っています。

     そして女優欄に目を通すと、梓英子、南美川洋子の名前もあります。この二人
     については順次ご紹介をしようと考えていたので、今週はこの二人を取り上げ
     ます。
     もし大映がそのまま存続していれば、この二人は大映の主軸女優として大き
     く伸びた正統派だと私は思っています。結局は大映が断末魔のような作品を
     連発し、もし大映が残ったとしても大映にはいなかったかもしれませんが、大
     映後も映画界で活躍して欲しかったご両人なので、とても残念な思いがいつ
     までも残っています。

     南美川洋子は某テレビ局へ見学に行き、プロデュサーにスカウトされたのが
     きっかけで芸能界と縁が出来、昭和43年(1968)に大映と契約を結びました。
     大映での作品は23本に終わっていますが、中でも「千羽鶴」を彼女の代表作
     としてやりたいし、雷ちゃんの「眠狂四郎卍斬り」にも出ていますが、後の作品
     は先述の大映末期的作品で、清純派が似合う彼女だったのに、浮かばれな
     かったと思います。
     昭和46年(1971)の大映倒産時に嫌気がさしたのか、この年に結婚して引退し
     ています。数年後に何本かのテレビに出演したそうですが、すぐに消えまし
     た。昭和25年(1950)生れですから現在64歳、元気で幸せであって欲しいです。

     一方、梓英子は東京の高校を中退して芸能界入りをしており、昭和39年(196
     4)には松竹や東映などで映画出演をしていました。最初の作品が「青い乳房
     の埋葬」という映画で、あられもない姿を残していて、周囲は随分気にしてい
     たようですが、彼女は新しい自分を産み出したい決心で大映に入ってきたも
     のと思います。
     大映入社は昭和42年(1967)で、それまでとは違って清純派として活躍、13本
     の作品に出ていますが、「積木の箱」「千羽鶴」「眠狂四郎円月殺法」「ああ海
     軍」「女体」などと、南美川洋子に比べてまともな作品本数が多い彼女です。
     昭和45年(1970)あたりからは彼女にふさわしい作品が減り、テレビに活躍の
     場を移しましたが、昭和48年(1973)に結婚して完全に引退しています。
     今でも彼女のことを口に出す男性は結構いて、「彼女は永遠の小悪魔」と呼
     ぶ人たちがいるくらい。
     彼女は昭和22年(1947)の生れですから現在は67歳です。彼女も元気で幸せ
     だと嬉しいのですが・・・。

  
 ↑左から南美川、川端康成氏、若尾、梓       ↑左から梓、南美川、雷蔵
 

コメント (9)    この記事についてブログを書く
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9 コメント

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大映末期の女優たち (猛虎)
2014-12-09 07:08:49
南美川さん、梓さんともに懐かしい名前ですね。南美川さんは、煽情的なタイトルの作品に似合わない清楚な感じの人でした。梓さんはテレビの印象が強いのですが、大映でも活躍されていたんですね。
当時の大映には他にも川崎あかね、水木正子、八並映子らが頑張っていました。
作品的には後世に残るものは少ないけれど、みんな頑張って大映を支えていた人たちだと思います。今では、ほとんど語られることもなくなってしまった彼女たちのことも、いつかここで採り上げていただければと思います。
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梓英子さん (アパッチ)
2014-12-09 21:38:11
中島けんさん、初めまして。
最近このブログを知りまして、初コメントさせて頂きます。

梓英子さんは今までの大映女優には居ないタイプで、ヒロイン役の「喜劇泥棒学校」では田宮二郎さんを翻弄し、「喜劇 おひかえなすって!」では川崎敬三さんに惚れた薄幸の女を好演しましたね。

梓さんと南美川さんのスナップ写真良いですね。

今後ともよろしくお願いいたします。
返信する
こんばんわ。 (中島けん)
2014-12-09 22:28:49
猛虎さん
大映の最後は、普通作品を出しても興行的に上手く行かないという事で、
キワ物作品が続出しました。

内容からして主な俳優は使えないし、そこで出てきたのが無名若手です。
私は毎月会議で撮影所に入っていましたが、会っていない若手は結構います。
このブログでは会ったことがある俳優を取り上げていましたが、少し枠を
外しましょうかね・・・。
返信する
ようこそ! (中島けん)
2014-12-09 22:35:27
アパッチさん
このブログにお立ち寄りくださり、有難うございます。
ブログを立ち上げて、早いもので満4年になりました
大映のことを思い出しながら書いていますが、それだけ
では面白くないと思い、範疇を広げています。
どうかこれからも宜しくお付き合いください。
返信する
懐かしさで胸がいっぱいです (南美川 洋子)
2016-05-28 11:34:41
久々に自分の芸名を検索してみました。
以前、ウィキペディアで、写真が全くの別のかたの写真になっていて、「古い思い出なので仕方ないのかな」と悲しく思っておりました。
私は、おかげさまで元気でおります。
テニスを楽しんだり、車で都内や神奈川近辺を走ってます。何かの機会にお目にかかれたら嬉しいです。
返信する
南美川様、初めまして。 (タム親父)
2016-05-28 19:20:29
南美川洋子様
初めまして。このブログによくコメントしているタム親父と申します。大映をはじめ、各社の脇役の方に注目している者です。学生時代に、大映の脇役だった南堂正樹さんが経営している居酒屋に入り浸って、親しくしていただきました。何年か前に、スカパーの日本映画専門チャンネルで、南美川様ご自身のリクエストで「与太郎戦記」が放送されましたね。それから、「あゝ陸軍 隼戦闘隊」で、本郷功次郎さんとの川を挟んだ別れのシーンも印象に残っています。
これからも、大映の思い出などを読ませていただけたら嬉しいです。
返信する
お便り有難うございます。 (中島 賢)
2016-05-28 21:14:48
南美川洋子さん

このブログを見つけてくださり有難うございます。
大映に最後までいた人を私は戦友と呼んでいますが、戦友・南美川さんが
お元気でお暮しのことを伺いとても嬉しく思います。
私は宣伝会議で毎月のように撮影所に行っていたし、南美川さん売出しの
プロジェクトの一員でもありましたが、いつも行き違いで一時度もお会い出来
ませんでしたね。
いま私の住む福岡市には紺野ユカちゃんがいて、時々食事をしたり宝塚歌劇を
見に行ったり、しょっちゅう会っては大映の思い出話の花を咲かせています。
このブログもスタートして6年近くなります。最初は永田社長からはじまり、
仲良くしていた俳優さんなどを書き続けていて、最初は曜日不定でしたが
現在は月曜に大映関連をアップしています。
機会があってお会いする機会が出来れば、大映の思い出話に時間が
尽きることが無いでしょう。
次の月曜、30日に元気な南美川さんのことを、皆さんにお知らせしようと
思っています。今後とも宜しくお付き合いください。

返信する
Unknown (中島けん)
2016-05-30 10:50:32
タム親父さん

いつもコメントをいただき有難うございます。
早速ですが、夏木さんの息子さんから、良かったら貴兄のアドレスを教えて下さい
との連絡が入っています。
直接やり取りすることもあると思われているようです。私が中継しますので、ご都合が
悪くなければお知らせください。

返信する
南美川さん、お久しぶりです。 (懸川 久則)
2019-08-29 15:35:49
中島さんのお陰で、お元気な南美川さんの近況を知ることができ、またお写真も拝見でき、とてもうれしいです。
今は映画界とは縁遠いところに居りますが、若い頃に鏡橋の本社や撮影所で、たびたび取材の立会い等々をさせていただいた頃が懐かしいです。シャンプーのコマーシャル撮影で、綺麗な黒髪を傷めないか心配していた姿を思い出します。八並映子さんの訃報も残念です。今は広尾を住まいに、日本橋に仕事に出ています。
お会いできる機会があれば幸甚です。
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