↑ 「妻の日の愛のかたみに」阿蘇ロケで船越英二と私。
私たちが監督や俳優さんと直に交流する場は、撮影所で毎月開催される宣
伝会議の時とか、現地ロケ、作品のキャンペーン、主要館で行なう舞台挨拶
の時などが主です。
会社の中での宣伝業務ですから、どんな作品も監督も俳優も仕事として同等
に扱わなければならないのですが、それでも熱心に仕事に打ち込んでいる姿
を見聞すると、どうしても宣伝屋として特別に力が入ることがあったのは事実
です。
このブログでも何回かアップした「妻の日の愛のかたみ」(1965年)では、愛す
るが故に妻から離婚を言い出された夫の描き方について、実在の元旦那さん
から悪者扱いになるようだったら映画化は中止して欲しい・・・の申し入れがあ
り、監督と私が先方関係者と協議したことを書きましたが、夫役の船越英二
にもその顛末を伝えたこともあり、撮影中は何かと親身に付き合いました。
本人には悪いのですが、大映後は面白い味が出てきたものの、当時は決し
て上手い役者さんとは思えませんでした。でもとても真面目な人で熱心に役
に挑戦する人だったし、一般人としての常識を持った人でもあり、私はとても
好感を持っていました。
ですから、その次の作品だったと思いますが、原作・大岡昇平、監督・市川
崑の「野火」に主演し、飢餓にさいなまれ人肉まで食った敗残兵士役でした
が、自ら断食して役柄に挑戦しているのを撮影所で見受け、我々も何とか少
しでも話題を作り出して世間様に知っていただこうという事で実施したのが、
戦車"野火号"で博多の街を走りまわる・・・でした。
戦車の上部を取り除き、ブルトーザーとして使っている古い炭鉱があると聞
いて早速借り受け、上部をベニヤで作った本物そっくりの戦車です。
「野火」という題名を頭に刻んでいただこういう作戦で、警察などから大目玉
を喰いましたが、会社からは良くやったと評価されたし、船越本人にもこの話
題は伝わっていました。
大映倒産後の私は、今までとは全く違う業種に就いていましたが、彼が亡く
なるまで2度も偶然に会っています。最初は赤坂東急ホテルのレストランで、
二度目はJR岡山駅でバッタリです。
違う業界にいたせいもあって昔の仲間に会うチャンスが無かった私ですが、
船越さんとはなんかご縁があったのでしょうね・・・。
↑ 「野火」のセットで船越英二。
↑↓ ここから6枚は博多の街を走った戦車"野火号"乗っているのはいずれも私。
↑ 左から私、上原明(当時撮影助手)小原譲二、船越英二
近い内に上原氏と会うと思いますので、その時に聞いてみます。
雷蔵ファンの会の貴兄の投稿文拝見しました。熱心な人たちですから宜しくお願いします。
その会が7月20日に撮影所で雷蔵ファンの会を開催します。
当初はゲストに叶順子を計画していたようですが、どうやら他の人に変更されたようです。
撮影所の中は普通ですと、中々は入れませんので、良かったら参加されたら如何でしょう。
こんにちは小三太夫です
今回も貴重なショットをありがとうございます。
戦後の街中を走る九七式中戦車なんて、今では絶対に不可能ですよね。
(海外の太平洋戦争を扱ったドラマ「ザ・パシフィック」で使用された旧日本軍の九五式軽戦車のレプリカを日本の業者が購入して、今、整備中だそうで、嵐山の博物館に実物が有ったのに外国に売却され、寂しかった所でした)
そうそう、最近、「羅生門」でも怪演?され船越さんとも遠縁だった、上田吉二郎翁の事を調べて居りますが、上原さんがキャメラを回した「ガメラ対ギャオス」でもカメラの脇にセリフのカンペを付けた画板を抱えた上田さんの付き人が立って上田さんをサポートして居たのでしょうか?
もしも上原さんにお会いされる様でしたら、大変に恐縮ですが聴いて頂きたいのですが・・・
昨日はテレビのトーク番組で坪内ミキ子さんをお見かけし、横浜での本郷さんのお別れの会でご紹介されたご主人様を思い出して居ります。
全部見ていただいたそうでお疲れさまでした。
書いた私としてはとても嬉しいです。
もう暫らく続けますので、宜しくお付合いください。
ブログを見ていただき有難うございます。
このブログも開設して2年半が経ちました。 その中で大映のことに触れたモノが54あります。
良かったら前の方から見直していただけると嬉しいです。
これからも宜しくお願いします。
リアルタイムでは、大映の映画を拝見できませんでしたが、学生時代に名画座で『妻は告白する』を観て以来の若尾さんのファンです。
いつも更新楽しみにしています。今後ともよろしくお願いします。