落葉松亭日記

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憂国忌

2010年11月25日 | 政治・外交
40年前のこの日、作家三島由紀夫が割腹自殺をした。
陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地内東部方面総監部の総監室を森田必勝ら楯の会メンバー4名とともに訪れ、隙を突いて益田兼利総監を人質に取り籠城。バルコニーから檄文を撒き、自衛隊の決起・クーデターを促す演説をした後割腹自殺した(三島事件)、45歳没。(wikipedia)

野次の中、バルコニーから最後の演説をした。

「・・・自衛隊が立ち上がらなければ、憲法改正ってものはないんだよ。諸君は永久にだねえ、ただアメリカの軍隊になってしまうんだぞ。
・・・諸君は武士だろう。武士ならば、自分を否定する憲法を、どうして守るんだ。
・・・自分等を否定する憲法というものにペコペコするんだ。これがある限り、諸君てものは永久に救われんのだぞ。
・・・自衛隊は違憲なんだよ。

・・・諸君は憲法改正のために立ち上がらないと、見極めがついた。これで俺の自衛隊に対する夢はなくなったんだ。それではここで、俺は、天皇陛下万歳を叫ぶ。」

悲痛な檄も野次にかき消され「天皇陛下万歳」は聞こえなかったそうだ。

同年7月に産経新聞に発表された、戦後日本に対する「決別宣言」。

「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことが出来ない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日増しに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、ある経済大国が極東の一角に残るであろう。それでいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。」

当時管理人は、万博のアルバイトを終わり、次の仕事を捜していた頃だ。三島事件は知ってはいたが、ノンポリの典型、口をきいてもらえない部類だ。氏の作品は「潮騒」「金閣寺」ぐらいしか読んでいない。三島氏と行動を共にした会員等は管理人より少し若い年輩だった。

今の日本は氏の決別宣言の通りになっている。国民は尖閣事件、朝鮮半島の戦争再開で多少は覚醒したかも知れないが・・・
北は、米の韓国支援を牽制するために同盟国日本にミサイルを撃ち込むこともあり得る。
周辺国の暴挙を抑止するためにも憲法改正、国防の強化が必要と思う。

参考:新潮45・12月号

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