かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

日本人4万年の旅を再現する

2017年01月27日 | Culture・Arts



今日は、久しぶりの講演会。
先般読んだ本の著者である海部さんの講演会だ。

ひじょうに面白かった。
学者的な面と、冒険家的な面と、起業家的な面、いろんな顔がある海部さんの個性が溢れ出る講演だった。

前半は、先日読んだ本の内容を、わかりやすくポイントをついて説明いただいた。
ホモサピエンスが世界中に住んでいることは、生物としては、稀なことで、また、各地にいた原人、旧人が各々進化したのではなく、アフリカで10万年から20万年前生まれたホモサピエンスが世界に広がったことを示しており、DNA分析から、極めてそのばらつきの幅が狭いこともわかっている。
チンパンジーや、ゴリラは、同じように見えて、その幅はかなり広い。

そして、日本列島に来たのは、3ルートだが、特に興味深いのは、沖縄ルート。
38000年前から急に沖縄列島にホモサピエンスが広まったことは明らかであり、当時、海を渡って来るしか、手段がなかったことも明らかであるからだ。

そこで、実際やってみようということになった。
南方(当時、大陸と陸続きだった台湾)からどのようにホモサピエンスが沖縄列島にたどり着いたかを探るためだ。

クラウドファンディングで、資金を調達し、昨年夏、与那国から、西表への渡航にチャレンジした。ここから、先は、本には触れられていないが、TVでは、ドキュメンタリーとして放映されたとのこと。
使った船は、なんと草船。
与那国島には、草船を作るのに必要なアシと、つる性の植物があるからだ。
そして、二隻を作って、いざ出航となったが、台風到来で、遅れに遅れ、結局、最高とは言えない環境で、出航したが、潮に流され、失敗に終わる。

当時の技術での渡航の難易度の高さが証明された形になったが、一方、潮さえよければ、十分渡航が可能であることも証明できた。
しかし、草船の材料は、そう多くなく、多くの草船を作るのは困難であったであろうこととか、島が見えなくなった瞬間から、目標を持って漕ぎ続けることは困難であること等、新たな謎も生まれた。

これからも、さまざまな研究を続け、2019年に台湾から、与那国への渡航にチャレンジするという。
今度は、台湾に多い、竹を使った筏で。
もう一つの候補は、丸木舟だが、丸木船を作るための工具が当時あったとは考えにくいのだそうだ。

地道な研究と、ロマンあふれる探検。
学者としての、楽しみを満喫していらっしゃる。

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