仁徳天皇陵の調査がされるそうで、一瞬期待したが、お堀のみだそうで。
まぁ、何にもしないよりはましだけと。
本書は、書評で見て面白そうだったので、ゲット。
ちょっと高いが面白かった。
誤植を見つけてしまったので、出版社に電話したが、この手の本には珍しく第二刷。
ポイントは、著者が中国の文献に詳しいところだろう。
日本史の話だから、普通、日本の文献に頼りがちだが、当時の資料は、当時の日本人が知らなかった、または精通していなかった漢字で残されているのだから、より漢字に精通していた中国人か韓国人の記録をなぞった可能性が高い。
その最たるものが、漢が当時の倭に送ったという金印。
漢の倭の”な”の国王という読み方が浸透していて、私もそう信じてしまっていたが、当時、”な”があったのかも定かではない中、どうしてこうなってしまったのか。
”な”国と金印発見場所が遠いことも気になっていたところだった。
著者によれば、漢の倭”ど”国・王と呼ぶべきではないか。
これは、かなり説得力がある。
当時の、中国の文献、表現方法に詳しくないと、このような考えは浮かばない。
この時代から、奈良時代寸前まで、いろんなイベントに論評を加えているが、通説というのがいかに危ういものかということを思い知らされる。
古代史の研究が本格化したのは、江戸時代かと思うが、まだまだ参考にできる資料は不足していた。
ところが今は、中国、韓国の資料が存分に活用できるし、その後新たな考古学的発見も多くある。
その辺りの情報をフルに活用した思考が展開され、痛快な本だ。
決して我田引水ではなく、かなり説得力のある議論の展開。
小野妹子の遣隋使の際、煬帝を怒らせた部分は、東≫西ではなく、中国と日本のトップを両方を天子と呼んだところにあるという。この議論は、以前も読んだことがあるが、中国の用語の使い方に精通した著者が言うと、説得力がある。
国王から天皇に呼び名が変わったところについては、諸説あるが、通説とあまり結論は変わらない。ただ、その結論にたどり着くまでのプロセスが奥深い。
古代史の醍醐味を存分に味あわせてくれる良書。