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かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

太安万侶展と薬師寺

2023年11月08日 | Nara ( Japan )
昨日は、某コンサートの予約開始日だったのだが、30分ぐらい繋がらず、繋がった時には、売り切れだった。
残念。
予想はされたのだが、繋がるテクニックは、あるのだろうか。
こういう場合は、不公平感を無くすため、抽選にして欲しいかな?



さて、今日は関西遠征最終日。
また、奈良に行って、時限性のあるものを二つ見て来た。
まずは、橿原考古学研究所附属博物館で開催されている、太安万侶展。

時間がなくて近鉄特急を使ったが、初めて乗る車輌で、立派。



この博物館は、初めてだが、こちらも立派。
展示の仕方もいい。
後ろには、畝傍山が見える。
神武天皇陵の近く。



今回の展示は、古事記を編纂したと伝えられる太安万侶が亡くなって、1300年ということで、本展開催となった。



この太安万侶像は、南北朝時代のもののようだ。



本展の目玉は、この墓誌。
昭和54年に偶然発見された。
初めて見たが、重文に指定されている。
古事記の編纂者が実在の人物であったことや、その住所、当時の暮らし振りなどが、明らかになって来た。



墓誌のレプリカも展示されており、その後の研究成果が披露されている。
例えば、文字の隣に下書きの跡があることや、書き順が、バラバラであること、炭素年代測定から、お墓は、安麻呂が亡くなってから、20年後ぐらいのものであることなどなど。

墓誌というのはもっと厚いものと思っていたら、ペラペラの薄さで、良く残っていたものだと思う。
その他にも墓誌が展示されているが、そう数は多くなく、その中で、安麻呂のような有名人の墓誌が見つかったというのは、かなりラッキーであったことがわかる。



ここからは、常設展。
人類誕生!から、中世までの展示だが、やはり目玉は、いわゆる古代。
特に古墳時代の展示が素晴らしい。



見たことのなかっな発掘物なども、綺麗に展示されており、本気で見たら、1日かかる。



前に、トーハクの国宝展で見た、藤ノ木塚古墳の出土品も、常設展示されていた。
すべて国宝、見事なものだ。
朝鮮からの直輸入か?
ということで、また訪れたくなる素晴らしい博物館だった。



そこから、西ノ京の薬師寺に行った。
電車で30分ぐらい。
薬師寺には、10回近く来ただろうか。
前回は、東塔が修理中で、覆いで見れなかった。
その前は、修理前の特別内陣公開で、天平時代の絵が残る内陣の板に感動した。
そして、今回は、大改修が終わり、東塔、西塔内陣が特別公開されている。

何度訪れても素晴らしい。
修学旅行生はたくさんいたが、何故か外国人は、少ない。
東大寺と、えらい違いだ。



まずは、端にある東院堂。
これまでは、中の国宝の聖観音様だけに注目していたが、この前のフォーラムで、建物もひじように興味深いものであることがわかった。
当初の向きが90度違っていたことや、当初は、中国風で、土間だったのが、再建時に板床に変えられたことが、わかって来た。
鎌倉時代の再建で、日本最古の禅堂という。



大改修を終えた東塔。
素晴らしいの一言。
日本の塔の中でも、最も美しい?
今回の改修で、天平時代からの水煙は、新しいものに取り替えられたそうだ。
元の水煙は、大事に保管されているのだろう。

内陣は、中村晋也氏の釈迦八相が4相づつ納められているが、創建時に納められていたと伝わるそうだ。
八相は、私がインドで訪れた八相と若干異なるのだが、これらも素晴らしいものだった。
法隆寺の五重塔に納められている塑像群が有名だが、当然それも意識しただろう。
東塔の内陣の上を見上げると、創建当時の板が引き続き使用されていて、また天平のグラデーションを見ることができた。
西塔の上は、新たに再現されたものになっている。

そう痛むものでも無さそうなので、これからも、公開はされると思う。



金堂も輝いているが、もちろん目玉は、中の仏像。
学生時代、初めて訪れた時は、東塔しかなかった。



西塔、東塔を、臨む。



講堂は、金堂よりも大きい。
仏像もさることながら、仏足石も見逃せない。
ここの釈迦十大弟子像も中村氏によるもの。



最後は、もちろん玄奘三蔵院伽藍。
同時に特別公開されている。
3回目か4回目。
平山画伯の渾身の唐聖域壁画が拝める。
私は、この絵に感動して、シルクロードや、インドに行ったようなものだ。
20世紀最後の大晦日に、平山画伯が、最後の筆を入れるところが実況中継されたことも、忘れられない。
それぞれの絵には、その日付が記されている。

ということで、何度目かの薬師寺も最高だった。
無事、関西遠征を締めくくった。
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正倉院展

2023年11月04日 | Nara ( Japan )


今日は、毎年恒例の正倉院展。
天気は、最高。
富士山もくっきり。



興福寺の講堂と五重塔は、修復工事のため、立ち入り禁止になっていた。
いつもどこか工事している。



そして、正倉院展。



毎年訪れているから、重複も出ているんだけど、いつも圧倒される。
1200年以上前のものが、きらきら輝いている。
今年の,目玉は、琵琶だが、螺鈿円鏡、斑犀如意など息を呑む美しさ。
珍しいところでは、六角厨子残欠や、布作面なども。
スッポンの形の合子の精巧さにもびっくり。
何度訪れても感動する。
また来年も訪れたい。



今回は、泊まりは,京都。
夜はきんなべ。
昔々、来た記憶がある。



140年続く老舗で,和紙なべが名物。
破れることはないのかとお聞きしたら、あるとのこと。
ちょっと不思議ではある。
味、サービスは、申し分なし。



京都タワー。
今や、京都のシンボル。
明日は.京都を巡る予定。
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奈良を知る。日本を知る。

2023年10月26日 | Nara ( Japan )


今日は、何回目かの丸キャリTravel「奈良を知る。日本を知る。」。
テレビでもJR東海のCMをよく見るが、大キャンペーン中。
私は、そのずっと前からハマってるんだけど。



第一部は、奈良文化財研究所 都城発掘調査部 平城地区資料研究室長の馬場さんによる「ポスト壬申の乱を生きる-持統天皇の孫娘・吉備内親王と悲劇の宰相・長屋王の物語-」の話。
素晴らしく面白かった。

平城京の地図と、天皇家の家系図を片手の話だったが、地図は頭に入っているので、家系図を見ながら聞いた。
山川異域 風月同天 寄諸仏子 共結来縁と縫い込まれている袈裟を鑑真が見て、日本に行くことを決めたと伝えられているそうで、それは、長屋王の持たせたものだったそうだ。
その長屋王は、濡れ衣を着せられ自害したことは有名だが、その背景に深く迫る迫力ある話だった。
そもそもこの時期を振り返ると、アジアでの混乱が、唐が中国を、新羅が朝鮮を統一により、一服収束し、平和と共存を目指し、日本では、壬申の乱を経て、安定の時代に向かいつつある時期だった。
言わば、個・武・血から、官僚、法制度システムに移行しようとしていた時期だった。
今風にいえば、人治から法治へということだろうか。

そして長屋王ほ、血筋も、財力も、人的ネットワークも申し分のない人物。
その妻だった吉備内親王も、それに輪をかけたような血筋。
しかも仏教への信心も、深かった。
この辺の情報は、木簡発掘、寺院宮殿の諸発掘で、明らかになったところで、馬場先生の功績も大きい。

薬師寺に東院堂があり。その中の観音様が有名だが、建物の位置が,中途半端だなとは前から思っていたが、発掘の結果、最初は、建物は、90度違う南方を向いており、しかもその基盤は、奈良の中でもも、もっともしっかり作られていたのであることがわかったそうだ。
馬場氏は、吉備内親王の自意識の強さを感じたという。
吉備内親王が、母の元明天皇(天武・持統の直系)のために建てたと伝えられている。
聖武、光明、孝謙は、新たな国作りを,目指しており、長屋王、吉備内親王、膳夫王との決定的な亀裂に繋がったのではと見る。
そもそも薬師寺の本体は、聖武・持統中心に建設されていた。
長屋王は、記録からは、一級の文化人で、常識人だが、仏教にたいしては、正当な、より厳格な仏教を指向。
鑑真に贈った袈裟を作ったのも吉備内親王かもしれないとのこと。
一方、聖武側は、より大衆に寄り添った仏教を指向し、そこでも、対立が生じたのではないか。
ただ、より古い考えを持っていたのは、長屋王より吉備内親王で、長屋王の変の本当のターゲットは、吉備内親王ではなかったかと考える。

ところが、長屋王の変後、パンデミックが続き、それが長屋王の祟りではないかと考えて、聖武・持統は、大仏建立に走ったのではないか。
それが御霊信仰の始まりで、神仏習合の画期にもなったのではないか。
皮肉にも、その後の日本の歴史に大きな影響を与えた考え方のきっかけになっているように見える。

その後も政変が続き、皮肉にも、鑑真の来日に功績のあった大伴古麻呂は、謀反の疑いで獄死。
長屋王の変で、功績?のあった新田部親王の旧宅跡地に、鑑真による唐招提寺が作られたという。
鑑真も政変により、複雑な立場に陥ったのではないかと見る。
本来は、東大寺を任されてもおかしくなかったが。

奈良時代の一番ドロドロした時代が段々浮き彫りになってきている。

第二部は、シノラー(今は、ならラー)が加わったパネルディスカッション。
お題は、「自然と文化の地 平城宮跡・西ノ京を旅する」。
正直、時間も限られたし、奈良観光の宣伝的な感じで、新味はない。
ちなみに、西大寺で好きな仏像は、シノラーは善財童子、馬場氏は、愛染明王と駅近くにあるお堂の邪鬼。
この邪鬼は、奈良時代のものだそうだ。

馬場さんは、西大寺の線路好きで(私も)、ブラタモリに出演した時、タモリさんに強く賛同されたそうだ。
それと、平城宮ノ湿気を維持するため水を撒いているが、そのため、燕のねぐらになっているのだそうだ。

西大寺の発掘では、食堂院で、奈良最大級の井戸を発見したが、今は、マンションになっているとのこと。
後ほ、好きな食べ物とか、お土産とか、奈良の朝、夜の魅力とかで、要するに、奈良に泊まってねという話。
シノラーはソウメン好きだそうだが、ブランディングを可士和さんがやっているそうだ。
どうしても、京都の方が華やかだが、奈良も史跡以外の楽しみ方が増えていることは、分かった。

ということで、一部中心に、素晴らしいイベントだった。
また、機会があれば、参加したい。
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奈良を知る。日本を知る。

2023年04月19日 | Nara ( Japan )


今日は、いい天気。
汗ばむぐらい。

明後日、エリッククラプトンのコンサートに行く予定なのだが、ぎりぎりにしか行けないので、グッズのみ事前に買いに行った。



16時から、事前販売開始ということで、15時に行ったら、もう列ができていた。
16時ちょうどに販売開始となり、みな買うものを決めているようで、効率よく希望の品をゲットでき、16時15分には出口へ。



売り切れにならないかとか、公演に間に合うかとか、いらいらしながら待つより、精神衛生上きわめてよろしい。
かといって、いつも、時間的余裕を持って行けるとは限らないのだが。



今日の、メインは、丸キャリTravel×JR東日本企画の、『奈良を知る。日本を知る。』。
この企画は、もう30回近くやっているそうだが、私は、3回目か。
かつ、リアルはたぶん初めて。
オフィスから近いホールが会場なので、便利。

ネットで申し込んでいたのだが、抽選結果が届かなかったので、電話で照会したら、当たっていて、リアルで行けた。
610人入る会場だったが、超満員。
何故こんなにも人気があるのか?



今回も2部形式で、第1部は、米澤貴紀さんの「建物から読み解く春日大社の信仰」。
昨年も、春日大社がテーマだったが、違う切り口で、かつ先日訪れたばかりでもあり、たいへん面白かった。
隠岐の神社の建築様式が、出雲と伊勢と春日のごちゃまぜとガイドさんが言っていたが、春日大社の社殿を研究すると、いろんなことがわかるのだという。
神社の作りは、切妻が基本。
春日大社は、その妻入部分に、長い庇の屋根を付けており、切妻部分の曲線(波風板)を残すところが特徴という。
普段、見ることができないが、造替の際、古い社殿は、関係のある神社に譲られるということで、そこから、構造が研究できる。
千木、鰹木は位の高い神社の象徴。
土台の上に柱が立つのも春日大社の特徴の一つ。
鮮やかな朱色は、邪悪を避ける色という大陸の考え方を反映しているものと考えられる。
瑞垣という黒いぎざぎざがあるのは、知っていたが、意味はわからなかった。
この構造は、古墳から見つかる家の埴輪にも見られるもので、聖なる地域を区切る意味があるのだという。

神社の向きにも特徴があり、基本的な方向は、都から御蓋山を望む方向になるが、入り口は通常の神社と同じ南側にある。
何重もの回廊に囲まれているが、これは、お寺の影響。
もともと神仏習合の神社だった。
奈良国立博物館の裏の場所付近に、五重塔が二基立っていたが、一つは、藤原忠実の発願、一つは、鳥羽上皇の発願によるものだったという。
当時の、天皇家と、藤原家は、密接に、血縁関係で結ばれており、まさに国家を代表する神社だった。

などなど興味深い話が満載。
次回奈良に行った時、よく見てみよう。

第二部は、保山(ほざん)耕一さんによる「映像詩で巡る奈良~千年続く祈りの風景~」。

保山さんは、世界遺産の番組などで映像を手掛けたカメラマンだったが、直腸がんを患い退職され、その後地元の奈良の映像を撮り続けておられる。
見た感じ全くご病気は感じられなかったが、末期がんということで、命を削って活動されているものと思われる。
映像を3本見せていただいたが、すばらしい。

1本目は、早朝の春日大社万葉植物園の藤。
まだ入ったことはなかったのだが、池に美しい藤が姿を映す。
まさに今が旬で、昨日の藤の映像も、放映された。
この池は、御蓋山からの水を、春日大社が分けてもらっているものという。

2本目は、山の辺の道の棚田。
山の辺の道は、3回行ったが、神社仏閣・古墳中心で、あまり景色は見ていなかった。
長岳寺のアヤメもすばらしい。

3本目は、月。
奈良のお寺を前景にいろんな月を映している。
奈良の夜は、暗いそうで、月が夜空に映えてきれいという。
福井麻衣さんというハープ奏者とのコラボ作品。

奈良在住のカメラマンならではの視点で、一番いい季節、いいタイミングを狙って撮影。
撮影現場に自分が溶け込まないと、いい絵が撮れないという。
スナップ写真とは全く違う芸術の世界。

ということで、第二部も満喫。
奈良の魅力を再発見できた2時間だった。
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正倉院のしごと

2023年04月09日 | Nara ( Japan )


今日は、ゴルフ。
コンディション最高。
スコアもそこそこ。
この調子で?
桜は終わって、さつきが綺麗。
まだ、4月だけど。



本書も、本屋で見つけた。
興味のある本がどんどん出てくる。

本書の著者は、大学で、美術系の学問で博士号を取った後、正倉院事務所勤務一筋で、定年になったばかりとのこと。
先日六本木で展覧会もあった再現模造の話が中心かと思ったら、ほんの一部で、正倉院宝物の保存に関する総合的な本だった。

切り口としては、正倉院宝物とは何かから始まって、どのように守って来たか、いるか、どのように直してきたか、どのように調べているか、どのように作っているか、どのようにいかしているかなどとなる。
1300年近くのもの間、正倉院宝物が守られてきたのは、基本的には、保存のため専用の正倉院に収められ、一部例外を除いては、ほとんどその中で、人の目に触れないで、眠っていたことによる。
ただ、本書によれば、布や、紙の寿命というのは、大体800年ぐらいで、自然に朽ちていくものという。
だから、正倉院の宝物もそれを防ぐために、さまざまな工夫がほどこされてきたし、今もほどこされている。
不幸にして崩壊してしまったものは、再現・修復すべく、職人たちが取り組んできた。
しかし、その手法は試行錯誤で、時には、宝物を傷めてしまったり、間違った修復をしてしまったり。

基本は、元に戻せるように修復するということという。
そして、現在の技術では難しい場合は、無理をせず、技術の進歩を待つ。
特に、調べるという分野においては、技術の進歩が大きく貢献しているという。
確かに正倉院展に行くと、新たに発見されたことが、誇らしげに説明されている。
調査によって、舶来物と思われたものの内、かなりの物が、国産と判明してきている。

そして、いかにして生かすかという点では、やはり正倉院展の話が中心となる。
定期的に正倉院の中を点検するようになったのは、そう古いことではないが、その機会に公開することも検討されるようになり、実施もされてきた。
ただ、一番の敵である虫や黴の原因になる可能性が高く、また移動時に(もともと脆いため)破損するリスクも大きい。
想定しない壊れ方をすることもあるそうで、なるべく触らず、移動せず、温度・湿度変化させない方が望ましいが、展示する場合、それはどうしても避けられない。
とするとリスクを最小限に抑えて、展示をするしかなく、試行錯誤の上、今の正倉院展の姿になっている。
コロナ以降、入場者数を抑えて、ゆっくり見れると評判もいいそうだ。
宝物に与える悪影響も減少する。
しかし、コロナが明けてまた元に戻ってしまうのか。

筆者は、なるべく移動させずに展示できる独自の宝物館的な施設を持てればベターと考えておられるようだが、これだけの膨大な量の宝物を所蔵・展示する施設となると、なかなか難しいのも現実。
そのジレンマを続ける中で、定年を迎え、これまで考えてきたこと、やってきたことを、総括的に1冊にまとめてあり、ひじょうにわかりやすかった。
毎年正倉院展に足を運んでいる私にとってはなおさらだ。

書かれていることは、極めて真っ当と思われるので、後継者の方々は、本書に書かれていることをベースにさらなる検討を重ねてもらいたいと感じた次第。
高松塚古墳の壁画のようなことは、絶対に避けなければ、ご先祖様に申し訳がたたない。
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