来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
鎌倉殿の13人(1)
今年の大河ドラマは、ご存じのように「鎌倉殿の13人」だが、13人とは誰か、容易にはわからない。ずっと見ていかなければならないのだろう。
私はこれまでの大河ドラマはだいたいは見てきた。今回も、あまり面白くないが、他に見る物もないのでつきあっている。
主人公は鎌倉幕府の初代トップ(「鎌倉殿」)の源頼朝だ。
頼朝の父は義朝。この義朝の子どもたち、つまり頼朝の兄弟姉妹は10人いたという。名前がはっきりしているのは9人。そしてこの子どもの母の名で資料等に出るのは2,3名だ。頼朝の母は由良御前、義経の母は常盤御前という呼ばれ方をしていた女性。なお、しばしば出てくる、エライ女性へのいわば敬称である「御前」はまさに敬称で「さま」というような意味。
頼朝と義経は母親違いの兄弟。頼朝の母は由良御前、義経の母は常盤御前。頼朝の兄がいたようだが、母親の偉さ(由良はいわば正妻だったとのこと)で頼朝が源家の棟梁になった。義経は9番目の男子だったから「九郎義経」と言われたのだろう。
昔、男の子はナンバーネームが多かった。一郎、次郎、三郎…など。なお太郎次郎は「一郎・二郎」の別称。
妻は、正妻、側室の違いがあっても、名前の下に「御前」をつける言い方が多かった。エライ人の妻は正妻、側室を問わず「なんとか御前」とよんだとのこと。
子どもは幼いときには母親と暮らすから、「兄弟」であっても、母違いであれば、他人みたいなものだった。だから、頼朝が弟を情け容赦もなく殺していくのは、「他人」よりも「オレにとっては要注意人物になる」という怖れがあったのではないか。また、頼朝の孫が親父の弟を殺すなど、これからいろいろな殺し合いが演じられていくのだろう。この中で、13人という頼朝の妻の実家(北条氏)が鎌倉幕府の本柱として浮かび上がるのだ。
私はこれまでの大河ドラマはだいたいは見てきた。今回も、あまり面白くないが、他に見る物もないのでつきあっている。
主人公は鎌倉幕府の初代トップ(「鎌倉殿」)の源頼朝だ。
頼朝の父は義朝。この義朝の子どもたち、つまり頼朝の兄弟姉妹は10人いたという。名前がはっきりしているのは9人。そしてこの子どもの母の名で資料等に出るのは2,3名だ。頼朝の母は由良御前、義経の母は常盤御前という呼ばれ方をしていた女性。なお、しばしば出てくる、エライ女性へのいわば敬称である「御前」はまさに敬称で「さま」というような意味。
頼朝と義経は母親違いの兄弟。頼朝の母は由良御前、義経の母は常盤御前。頼朝の兄がいたようだが、母親の偉さ(由良はいわば正妻だったとのこと)で頼朝が源家の棟梁になった。義経は9番目の男子だったから「九郎義経」と言われたのだろう。
昔、男の子はナンバーネームが多かった。一郎、次郎、三郎…など。なお太郎次郎は「一郎・二郎」の別称。
妻は、正妻、側室の違いがあっても、名前の下に「御前」をつける言い方が多かった。エライ人の妻は正妻、側室を問わず「なんとか御前」とよんだとのこと。
子どもは幼いときには母親と暮らすから、「兄弟」であっても、母違いであれば、他人みたいなものだった。だから、頼朝が弟を情け容赦もなく殺していくのは、「他人」よりも「オレにとっては要注意人物になる」という怖れがあったのではないか。また、頼朝の孫が親父の弟を殺すなど、これからいろいろな殺し合いが演じられていくのだろう。この中で、13人という頼朝の妻の実家(北条氏)が鎌倉幕府の本柱として浮かび上がるのだ。
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