「親兄弟を空襲で失い無戸籍のまま80年生きた」

共同通信社が運営している「きくリポ」というサイトで#104が「タイトル」の内容だった。30分強の語りで話しが展開される。
埼玉支局の記者が「今も戦争孤児として暮らしている人がいる」といううわさを聞き、この80歳以上の「孤児」を必死に探し出す。男であるらしいこと以外は何も分からない。しかし昨年の暑い夏「首都圏の河川敷で暮らしている人がいる」ウワサを耳にした。時間がかかったが探し当てることができた。そして話を聞くことができた。昨年暮れのことだった。ホームレスで河川敷で生きているという。今はカメダと名乗っているが、その概要だ。

1945年3月10日の「東京大空襲」。浅草で暮らしていた。一家は自分以外皆死んだ。4歳のことだったという。戦争孤児、その後「浮浪児」というある種の差別語でよばれ続けた。自分のことは、名前も住所も戸籍も何も分からない。戸籍がないから、社会保障系のどれもはじかれた。そのうち「今さら戸籍などつくってもどうする!」という気持ちになった。死に場所を選べない、しかし彼は自殺をしようという気持ちはもたなかったいう。「おれにはまだ終戦は来ていない」と思い続けた。懸命に生き続けることだという信念だったという。

この話をサイトで見、聞いて、自分のこれまでの人生のどこかとつながっている感がしている。私も、幼いとき新潟で生まれたが、父親が中国大陸で戦死したので母の実家の道北の村にいわば疎開してきた。その後終戦の年だろうか、新潟市も空襲されて数十人が犠牲になっている。原爆投下の「候補地」にもなっていたという話もある。
道北の地で終戦を迎えた。父親がひょっとしたら帰ってくるのではないだろうか、と何度想像したか。しかし死亡の戸籍は変わっていない。
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