袴田事件(4)

そもそも「容疑者の姓」をもって関係する事件の名称にすること自体きわめてデタラメでないか、と思うのだが、これは誰の責任なのだろう。袴田巌さんは強盗殺人(1966年6月30日)の真犯人であるとされ、一旦は死刑になることが決まった(1980年12月12日の最高裁)のだが、前述のように、2014年「再審開始決定」。そして先日5月23日に静岡地裁で再審が開始された。

袴田さんはこの法廷に出席を免除されて(心身の負担が大きいので)いたが、お姉さんが参加して巌さんに代わって発言していた。「58年間闘ってきました。私も91歳、弟は88歳です。弟巌を人間らしく過ごさせてください」と訴えていた。

この事件で袴田さんを強盗殺人の犯人とする検察側が示している根拠はただひとつ、5点の衣類だという。事件から1年2か月後、現場近くの味噌タンクから見つかった物なのだ、袴田さんが事件当時身につけていた下着の類いだ。これが有罪の決め手。

「5点の衣類」は、事件の発生から1年2か月後の、すでに裁判も始まっていた時期に現場近くのみそタンクから見つかった血のついたシャツやステテコなどで、死刑が確定した判決では袴田さんが犯行当時着ていたものだとして、有罪の決め手とされた。

弁護団からの要請を受けて、「5点の衣類」についた血痕の赤みについての鑑定を行った旭川医科大学の奥田勝博助教は再審の法廷で弁護側の証人として証言した。
検察側の専門家が弁護側の鑑定結果について「異論はない」などと証言したことについて、奥田助教は「発言を聞いた時は正直驚いた」と述べた。
その上で、検察側の専門家が「赤みが残らないとは断定できない」という見解を示していることについて、奥田助教は「みそに漬けた期間が数日とか数週間であれば断定はできないかもしれないが、1年2か月という期間は時間の単位が違いすぎるので、黒くなる化学反応を妨げる要因を考慮する必要はない。赤みが残らないと断定できる」と反論した。

つまり、ほとんど唯一の物的証拠である血痕の残る衣類が、袴田さんの身につけていた物ということは、科学的にあり得ないということだ。

先日、HBCが「報道特集」として「冤罪事件」をあつかっていた。「人質司法」といってよいいくつかの事件(例えば大川原加工機の問題)に鋭いメスをいれた番組があった。袴田事件もその一つだろう。これについてもこのサイト、2023年12月28日に取り上げている。参照いただければ幸いだ。


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